想定を捨てる者
異変は、再発だった。
同じ街ではない。
同じ原因でもない。
だが、結果だけが一致する。
「……またか」
レインは、報告書を伏せた。
拒否しない。
暴れない。
だが、選ばない。
人々は“戻らない状態”に、
慣れ始めていた。
「前より、早いね」
ミリアの声は、重い。
「今回は、
迷ってすらない」
リュカが補足する。
「最初から、
“決めない”を選んでる」
それは、世界が
学習してしまった証拠だった。
⸻
英雄は動いた。
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》も動いた。
だが、どこかが噛み合わない。
「切るべき点が、
増えすぎている」
セインの判断は、鈍る。
「被害最小が、
比較不能だ」
均衡が“定義できない”。
英雄も同じだった。
「守ればいいはずなのに……」
ヴァルハルトは、
守る対象を見失う。
敵はいない。
だが、救済は効かない。
⸻
その様子を、
遠くから見ている存在がいた。
黒衣の男――
ヴァルグリム=ゼイン。
「……なるほど」
低く、呟く。
「最適解が、
“最初から受け取られない”」
彼は、静かに理解する。
英雄は正しい。
蒼衡も合理的だ。
世界機関も間違っていない。
だが。
「想定が、
世界に拒否され始めている」
そこで、初めて。
彼は一つの前提を捨てた。
「……なら」
目が、細くなる。
「壊さずに済ませる理由が、
なくなった」
まだ、攻めない。
だが、次は違う。
“想定内”で収める気が、
消えた。
⸻
一方、ノーリトリート。
レインは、
自分たちの線を見つめていた。
「……揺れてる」
ミリアが言う。
「線じゃない」
レインは、答える。
「僕たちの、
覚悟がだ」
救わないことで、壊さない。
だが、
救わなかった結果は、残る。
「……このまま行くと」
リュカが、言葉を選ぶ。
「次は、
“見てるだけ”じゃ済まない」
レインは、否定しない。
ただ、静かに言った。
「それでも、
引き受ける」
一拍。
「後悔を、
続ける覚悟だけは」
⸻
この時点で、
誰もまだ壊れていない。
だが――
戻れる道は、消えた。
次は、
敵が“動く”。
最初の報告は、短かった。
「戦域、形成確認」
それだけで、
全員が意味を理解した。
災害ではない。
暴走でもない。
意図的に作られた戦場。
⸻
街の外縁、かつて交易路だった場所。
空気が、歪んでいる。
「……重いな」
ヴァルハルト=レオンが、
大剣を握り直す。
踏み出した瞬間、
足元の感覚が変わった。
「地形じゃない」
イリスが、即座に察知する。
「……場そのものが、
“戦う前提”に固定されてる」
答えは、正しかった。
《戦域掌握》。
範囲内すべてが、
戦闘用に最適化される。
連携は鈍る。
回復は遅れる。
判断は、個に分断される。
集団戦ほど不利になる能力。
⸻
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》も、
同時に突入していた。
「……厄介だな」
セイン=ヴァルクスは、
即座に状況を把握する。
「均衡が取れない」
「切る?」
ガランが、低く聞く。
「……まだだ」
セインは、歯を噛みしめる。
「切った瞬間、
被害が跳ね上がる」
それは、
均衡再裁定が
示した未来だった。
⸻
次の瞬間。
空間が、押し潰された。
「来るぞ!」
英雄が叫ぶ。
《黒圧進》。
空気そのものが、
前から殴りつけてくる。
防御が間に合わない。
逃げ場もない。
「……っ!」
ヴァルハルトが、
正面から受け止める。
地面が、沈んだ。
英雄でなければ、
即死だった。
⸻
「連携を断たれています!」
ノインの声が、荒れる。
召喚が、
本来の位置に出ない。
《断線斬》。
指揮・支援・判断。
“つながり”を切る一撃。
それでも、
英雄たちは踏み留まる。
正義が、
真正面から叩き合っている。
⸻
蒼衡も、動いた。
「ユール、配置を!」
「了解!」
《配置誘導》が発動し、
辛うじて陣形を整える。
「……今だ」
セインが、決断する。
「切る」
ガランが、
迷いなく踏み込む。
《断定斬》。
“危険”と判断された流れを、
未来ごと切り落とす。
空間が、裂けた。
⸻
――その瞬間だった。
黒衣の男が、
初めて明確に姿を現す。
「……ああ」
低い声。
「来たな」
英雄が、
覚悟を決めた瞬間。
蒼衡が、
犠牲を選んだ瞬間。
正義が、
世界を代表して振るわれた。
⸻
「……撤退する」
誰に言うでもなく、
ヴァルグリム=ゼインは告げた。
《終幕指定》。
空間に、
終わりの印が刻まれる。
「追うな!」
ヴァルハルトが叫ぶ。
だが、
追えない。
戦域が、
一瞬で解除された。
彼は、
そこにはいなかった。
⸻
静寂。
街は、壊滅していない。
死者も、最小限だ。
だが、
誰も勝っていない。
「……逃げた?」
ミリアが、
遠くから呟く。
ノーリトリートは、
境界線の外にいた。
介入条件は、
越えていない。
だが、
レインは気づいていた。
「……違う」
「?」
「役割を、
果たしただけだ」
その言葉は、
誰にも聞こえなかった。
⸻
英雄は、
剣を下ろす。
蒼衡は、
判断を保留する。
世界機関は、
緊急報告をまとめる。
そして――
ノーリトリートは、動かなかった。
それが、
最も重い結果を残した。
⸻
戦場の外で、
ミリアが小さく言う。
「……これ、
次も来るよね」
レインは、
否定しなかった。
「次は」
一拍。
「もっと、
壊れる」
戦域が消えたあと、
世界は“平常”に戻った。
建物は立っている。
人も歩いている。
被害は、報告書に収まる範囲だ。
だが。
「……静かすぎる」
ミリアが、ぽつりと言った。
誰も反論しなかった。
⸻
英雄は撤収を指示した。
「これ以上は、
現場に残る意味がない」
ヴァルハルト=レオンの声は、
疲れていた。
勝っていない。
だが、負けてもいない。
それが、
一番扱いづらい。
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》も、
同様だった。
「……次は、
判断が間に合わない可能性がある」
セイン=ヴァルクスの言葉は、
珍しく弱かった。
世界機関は、
被害算定を終え、
“対応成功”の文言を入れるか迷った末、
保留にした。
成功とも失敗とも言えない。
その評価が、
すでに異常だった。
⸻
ノーリトリートは、
少し離れた場所に立っていた。
誰も責めない。
誰も呼ばない。
それが、
彼らの立ち位置だった。
「……ねえ」
ミリアが、
レインの袖を引く。
「さっきの、
あの瞬間」
「……うん」
「止められた?」
レインは、すぐに答えなかった。
戦域が固定された瞬間。
英雄が覚悟を決めた瞬間。
蒼衡が犠牲を選んだ瞬間。
その少し前。
確かに、
線を置ける余地はあった。
だが、置けば――
介入条件を越えていた。
「……可能性は、あった」
レインは、正直に言った。
「でも」
一拍。
「やったら、
僕たちが“世界の代わり”になる」
それは、
一度踏み込めば戻れない場所。
だから、やらなかった。
正解でも、
間違いでもない。
ただの、選択。
⸻
そのとき、
背後から声がした。
「……今の答えで、
満足か?」
振り返らなくても、
誰かわかった。
ヴァルグリム=ゼイン。
距離はある。
だが、
はっきり見える位置に立っていた。
今回は、攻撃しない。
「……君は」
レインが、
言葉を選ぶ。
「世界を壊したいわけじゃない」
「当たり前だ」
即答だった。
「壊せば、
“役”が終わらないだろう」
その言葉で、
全てが繋がった。
⸻
「……あなたは」
レインは、
一歩踏み出す。
「敵じゃない」
否定は、返ってこなかった。
「でも、
“味方”でもない」
「正確だ」
ヴァルグリムは、
小さく頷く。
「俺はな」
低い声。
「正義が壊れないために、
必要な位置に立っている」
英雄が勝ち続ける世界は、
いずれ歪む。
蒼衡が切り続ける世界は、
やがて摩耗する。
世界機関が管理し続ける世界は、
責任を失う。
「だから、
俺が“悪”を引き受ける」
淡々とした口調。
「それだけだ」
⸻
ミリアが、
言葉を失う。
「……それって」
「ヒーロー気取りか?」
ヴァルグリムは、
鼻で笑った。
「違う」
「俺は、
必ず倒される側だ」
その前提で、
全てをやっている。
戦場を作る。
正義を振るわせる。
世界に“覚悟”を要求する。
そして、
役割を終えたら、退く。
「……最悪だ」
レインは、
率直に言った。
「そうだろう」
ヴァルグリムは、
否定しない。
⸻
「……それでも」
レインは、
目を逸らさなかった。
「僕は、
あなたを止めない」
「知っている」
「でも」
一拍。
「あなたを、
理解したことは忘れない」
それは、
宣戦でも和解でもない。
ただの、宣告だった。
ヴァルグリムは、
少しだけ目を細める。
「……それが一番、
厄介だ」
次の瞬間、
彼は消えた。
追えない。
追わない。
⸻
夜。
拠点で、
誰もが黙っていた。
「……後悔、
増えたね」
ミリアが、
小さく笑う。
「増えた」
レインは、
はっきり答えた。
「でも」
「?」
「引き受け続けるって、
決めたから」
正義にならない。
世界の代わりに選ばない。
それでも、
見てしまった以上、
忘れない。
それが、
《非裁定》の在り方だ。
⸻
この夜を境に、
レインは知ってしまった。
敵は、
倒すために存在しているのではない。
倒されるまで、
世界を保たせるために存在している。
そして、
それを知ってしまった自分は――
もう、
元の場所には戻れない。




