立っている者を、避ける配置
――敵は、賢かった。
⸻
次の街では、何も起きなかった。
通達もない。
移送もない。
再編の気配すらない。
「……静かすぎない?」
ミリアの第一声は、それだった。
人の流れは自然。
警備の数も通常どおり。
掲示板には、よくある注意喚起が貼られているだけ。
前兆が、ない。
「異常ログも、
削減傾向も検出されない」
リュカが端末を操作しながら言う。
「むしろ、
“何も削られていない”」
それは、逆に異常だった。
レインは、ゆっくりと街を見回す。
視界に入るすべてが、
意図的に“普通”だ。
「……避けられてるな」
小さく、だが確信を持って言った。
「何を?」
ミリアが問う。
「僕たちを」
空気が、わずかに変わる。
「この街には、
“削るべき選択肢”が最初から用意されていない」
「それって……」
エルドが言葉を継ぐ。
「削る前提の配置を、
最初から置いていない、ってことか」
「そう」
レインは頷いた。
「ここは、
“選択肢を消さなくても回る”ように
設計されている」
逃げ道がある。
冗長性がある。
効率は落ちるが、柔軟性が残っている。
つまり――
ノーリトリートが立たない街。
「……賢いね」
ミリアが、皮肉交じりに笑う。
「私たちが介入した場所を、
ちゃんと学習してる」
「敵は、
無理をしない」
レインの声は、低かった。
「立っている場所を、
戦場にしない」
それは、
真正面からの対抗ではない。
避ける。
ずらす。
別の場所へ行く。
英雄が来る前に動き、
蒼衡が切れない場所を選び、
ノーリトリートが立たない形を作る。
「……最悪じゃん」
ミリアが、はっきり言った。
「戦えない」
「戦わせない」
レインは訂正する。
「戦う理由を、
作らせない」
それが、
“想定者”の次の一手だった。
⸻
その夜、リュカが報告をまとめる。
「削減型事案、
発生地点が変わってる」
「中心都市から外れてる?」
「いや。
“介入されなかった街”だけ」
レインは、即座に理解した。
「……学習完了だ」
敵はもう、
ノーリトリートを「未知の変数」とは見ていない。
制御不能だが、
避けられる存在として扱っている。
「これ、
追いかけても意味ないよね」
ミリアが言う。
「追えば、
またずらされる」
「うん」
レインは、目を伏せる。
「だから、
次は逆だ」
三人が、視線を向ける。
「僕たちが、
立つ場所を選ぶ」
それは、
今まで一度もやらなかったこと。
待つ。
受け止める。
越えたら立つ。
その原則を、
ほんの一段だけ、書き換える。
「……予告、するの?」
ミリアが聞く。
「しない」
レインは、静かに答えた。
「予測不能な場所に、
先に立つ」
それができるのは、
未来を選ばず、
正義を置かず、
最適解を提示しない存在だけだ。
《非裁定》は、
次の段階に入った。
守るためではない。
救うためでもない。
“削れない場所”を、
世界に残すために。
選んだのは、街ですらなかった。
交易路の結節点。
都市と都市の間にある、小さな中継地。
人は多いが、拠点はない。
行政の手も薄く、英雄が常駐する理由もない。
「……ここ?」
ミリアが周囲を見回す。
「地味すぎない?」
「だからいい」
レインは、即答した。
ここは、
削減の対象になりやすい。
だが同時に、
削る理由を作りにくい。
逃げ道が多い。
役割が固定されていない。
人の流れが、常に変わる。
「戦場にしづらい場所だ」
エルドが、低く言う。
「うん」
レインは頷いた。
「選択肢が自然に多い場所」
それが、今回の条件だった。
⸻
ノーリトリートは、何もしなかった。
柵を置かない。
通達もしない。
人を集めもしない。
ただ、
そこにいる。
人々は最初、気にしなかった。
次に、気づいた。
「あれ?
最近、通り方が増えたな」
「前は使われなかった道、
人が通ってる」
理由は単純だった。
危険がないから、
制限もない。
誰かが選ばなくても、
自然と分散する。
効率は落ちる。
だが、柔軟性は残る。
⸻
世界機関が、反応する。
「……異常は、ありません」
監査ログには、そう記録された。
「ですが、
最適化が進んでいません」
「問題ですか?」
「……問題ではありません」
判断は、そこで止まる。
“問題ではない非最適”。
それは、扱いづらい。
⸻
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》も、気づいた。
「ここ、切れないな」
ガランが、地図を見て言う。
「逸脱がない。
だが、収束もしない」
「均衡は保たれている」
セインは、眉をひそめる。
「……だが、
“整わない”」
それが、違和感だった。
正しく整うはずの場所が、
いつまでも“整いきらない”。
⸻
英雄は、少し遅れて気づく。
「……ここ、
事件が起きにくい」
ノインが、予測を修正する。
「起きても、
大事にならない」
英雄の剣が、
必要とされない場所。
それは、本来、
良いことのはずだった。
⸻
そして。
遠くから、それを見ている存在がある。
黒衣の男。
立ち止まり、
初めて視線を上げる。
「……そこを選ぶか」
低い声。
そこは、
削るための配置を置きにくい。
選択肢が、
最初から多すぎる。
「……なるほど」
男は、静かに笑った。
これは、
避けるだけでは済まない。
踏み込まなければ、
削れない場所だ。
⸻
拠点に戻る途中、
ミリアが言った。
「……これさ」
「うん」
「初めて、
“邪魔”したよね」
「邪魔じゃない」
レインは、静かに答える。
「選択肢が残る状態を、
置いただけ」
それが、
《非裁定》の新しい立ち位置。
敵を倒さない。
正義を否定しない。
ただ、
削れない場所を、
世界に残す。
だが――
それは同時に、
敵にとっての“招待状”でもあった。
最初の異変は、混雑だった。
交易路の結節点。
本来なら自然に分散するはずの人流が、
ゆっくりと、だが確実に偏り始めていた。
「……集まりすぎてない?」
ミリアが、周囲を見回す。
「通行制限は?」
リュカが即座に確認する。
「出てない。
推奨も、警告も、ない」
「なのに?」
答えは、すでに見えていた。
人が、人を呼んでいる。
安心だと思われる場所に、
無意識に寄っていく。
「……“削れない場所”を」
レインが、低く言う。
「歪めてる」
⸻
それは、力ではなかった。
剣でも魔法でもない。
命令でも、恐怖でもない。
ただ、
“ここにいれば大丈夫”という空気。
気づけば、
通路は詰まり、
選択肢は見えにくくなっている。
「逃げ道、
見えなくなってきた」
エルドの声は、硬い。
「消えてはいない。
でも――」
「選ばれなくなってる」
レインが、続きを引き取る。
削られてはいない。
だが、
使われなくなっている。
それは、
前よりも厄介な形だった。
⸻
そして、
彼は現れた。
人混みの端。
誰の邪魔にもならない位置。
黒衣の男。
前回より、はっきりとした輪郭。
だが、
こちらを見ていない。
見ているのは――
場そのもの。
「……来たね」
ミリアが、低く言う。
「来た」
レインは、即答した。
だが、剣は抜かれない。
魔力も高まらない。
男は、一歩踏み出しただけだ。
それだけで、
空気が変わる。
人の流れが、
“安全そうな方向”へ傾く。
「……っ」
ミリアが歯を食いしばる。
「やってること、
今までと同じじゃん」
「違う」
レインは、はっきり言った。
「僕たちを、
含めている」
男は、
ノーリトリートを避けていない。
だが、
正面からぶつかってもいない。
ただ、
ノーリトリートが立つことで生まれた
“余白”を、
ゆっくり歪めている。
⸻
レインは、初めて一歩前に出た。
宣言はしない。
威圧もしない。
ただ、
視線を合わせる。
一瞬。
黒衣の男の視線が、こちらを向いた。
言葉はない。
だが、理解はあった。
(……ここまで、か)
レインは、悟る。
敵は、
この場所を壊すつもりはない。
“選べなくする一歩手前”で、
止めるつもりだ。
だから、
ノーリトリートは――
「……ここは、譲らない」
レインは、静かに言った。
声は小さい。
だが、はっきりしていた。
次の瞬間。
男の足が、止まった。
人の流れも、止まる。
歪みが、広がらない。
完全な衝突ではない。
だが、
互いの“限界線”が、初めて重なった。
⸻
数秒。
それだけで、十分だった。
黒衣の男は、踵を返す。
逃げではない。
敗走でもない。
“これ以上は、
こちらも踏み越える”
という判断。
人の流れは、ゆっくり戻る。
逃げ道が、再び見える。
⸻
静寂。
ミリアが、息を吐いた。
「……勝った?」
「違う」
レインは、首を振る。
「限界を、共有しただけ」
エルドが、低く言う。
「次は?」
「次は――」
レインは、空を見上げる。
「どちらかが、
踏み越える」
それが、
第二幕の本当の始まりだった。
削れない場所。
歪められた余白。
そして、譲られなかった一線。
《非裁定》は、
初めて
“敵と同じ場所に立った”。
まだ、殴っていない。
まだ、切っていない。
だがもう、
避け合う関係ではない。




