選択肢を消す者
異変は、現場ではなく
報告書の形式に現れた。
「……文言が変わってる」
リュカが、世界機関の共有ログを指でなぞる。
「どれ?」
ミリアが覗き込む。
「ここ」
表示されたのは、先日の医療施設事案の最終評価。
被害:最小
対応:妥当
備考:
当該結果は想定されていた未来の一つである
「……前は、
“想定内”って書き方だったよね」
「そうだ」
リュカは頷く。
「今回は、
“想定されていた未来の一つ”だ」
言い回しは、些細だ。
だが意味は、まったく違う。
レインは、その文言を見た瞬間に理解した。
(……誰かが、
想定を置いている)
現場判断ではない。
事後処理でもない。
事前に用意された未来。
「世界機関が、
そんな書き方する?」
ミリアが、眉をひそめる。
「しない」
レインは即答した。
「“未来”は扱わない。
世界機関は、
確定した事実だけを見る」
エルドが、低く言う。
「じゃあ、
誰が?」
答えは、すぐに出た。
「……蒼衡じゃない」
リュカが、首を振る。
「彼らは、
“選ぶ”が、
“用意する”わけじゃない」
英雄でもない。
彼らは、来た未来に剣を振るうだけだ。
「……つまり」
ミリアが、息を吸う。
「選択肢を、
先に並べてる誰かがいる?」
レインは、静かに頷いた。
「うん」
解析が、
これまで拾えなかった“前提”を、
ようやく掴み始めている。
避難路が一本になる前。
手順が固定される前。
拒否が意味を失う前。
その形に、
“都合のいい未来”があった。
「……名前は?」
エルドが、低く問う。
レインは、一瞬だけ目を伏せる。
古代種の記憶。
観測者ヴァ=ゼロの言葉。
そして、最近になって浮かび上がった
“未来配置”という概念。
「――まだ、確定じゃない」
だが、
言葉を選びながら、続ける。
「ただ、
世界機関の内部資料に
一度だけ出てきた呼称がある」
三人の視線が集まる。
「“想定者”」
その言葉は、
どこか仮称めいていた。
「未来を決める?」
「決めない」
レインは、首を振る。
「未来を、並べる」
良い未来。
悪い未来。
危険な未来。
そして――
選ばせたい未来だけを、
残す。
「……最悪じゃん」
ミリアが、吐き捨てるように言う。
「最悪じゃない」
レインの声は、静かだった。
「正義とも、
秩序とも、
完全に両立する」
だからこそ、
ここまで誰も気づかなかった。
「この“想定者”が、
直接動いた痕跡は?」
リュカが聞く。
「ない」
レインは、はっきり答えた。
「でも、
動かなくてもいい」
配置が終わっているからだ。
世界は、すでに
“選びやすい形”に整えられている。
英雄は、そこへ飛び込む。
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》は、
最小被害の未来を切り取る。
世界機関は、妥当と記録する。
誰も、
“想定された未来”を
疑わない。
レインは、ゆっくりと息を吐いた。
「……これが、
本命だ」
《非裁定》は、
初めて
“敵の輪郭”を認識した。
それは、剣を振るわない。
魔法も撃たない。
命を奪わない。
ただ、
選択肢を先に消す。
世界が、
正しく選び続ける限り、
絶対に勝てない敵。
ミリアが、低く言った。
「……殴れないね」
「うん」
レインは、頷く。
「だから、
今まで殴られてこなかった」
夜は、静かだった。
だがこの瞬間、
《非裁定》は理解した。
これから先に起きるのは、
戦争ではない。
“選択そのもの”を巡る戦いだ。
会議は、予定より早く終わった。
議題は一つ。
直近の一連の事案と、判断ログの再検証。
「……結論から言う」
セイン=ヴァルクスは、静かに口を開いた。
「我々の判断に、
誤りはない」
誰も反論しなかった。
被害は最小。
切断は適切。
待つ判断も、結果として破綻を招いていない。
「だが」
セインは、続ける。
「納得できない点が残る」
ガラン=ディオルが、腕を組む。
「“早すぎた”わけでも、
“遅すぎた”わけでもない」
「そうだ」
リィネ=フォルテが、演算ログを投影する。
「未来比較の結果は、
常に想定範囲内でした」
「範囲内、という言い方だな」
ユール=セティアが、眉をひそめる。
「……前から?」
リィネは、少しだけ間を置いて答えた。
「最近、特に顕著です」
画面に、分岐図が浮かぶ。
複数の未来。
だが、その幅は――狭い。
「切り捨てるべき未来が、
最初から少ない」
その言葉に、空気が変わる。
「……そんなはずはない」
ガランが低く言う。
「現実は、
もっと不確定だ」
「本来は、そう」
リィネは頷く。
「ですが最近は、
“選びやすい未来”しか残っていない」
沈黙。
それは、《蒼衡》の前提を揺るがす指摘だった。
「我々は、
未来を“選んで”いる」
セインは、確認するように言う。
「だが」
リィネが、静かに続ける。
「もし、
選ぶ前に
並べられていたとしたら?」
誰も、すぐには答えなかった。
それは、
“自分たちの正義が、
誰かの設計の中で機能していた”
という可能性だ。
「……誰が、そんなことを?」
ユールが、慎重に問う。
「分からない」
セインは、即答した。
「だが、
世界機関ではない。
英雄でもない」
ガランが、歯を食いしばる。
「じゃあ、
俺たちは……」
「選ばされた?」
その言葉は、重かった。
セインは、首を横に振る。
「違う」
断定だった。
「我々は、
選んだ」
一拍、置く。
「だが、
選びやすくされた可能性はある」
それは、逃げでも否定でもない。
現実的な整理だった。
「……ノーリトリートか?」
ユールが、ぽつりと口にする。
「彼らは、
選択肢を戻した」
「違う」
セインは、即座に否定した。
「彼らは、
配置を壊しただけだ」
リィネが、静かに言う。
「もし、
“想定された未来”が存在するなら」
「我々は、
それを切る側に回っていた可能性がある」
沈黙。
それは、《蒼衡》にとって
最も向き合いたくない仮説だった。
「……だが」
セインは、目を閉じる。
「だからといって、
我々の役割は変わらない」
「均衡は、必要だ」
ガランが、短く言う。
「世界が壊れる前に、
切る役がいなくなれば、
もっと酷い」
「そうだ」
セインは、頷いた。
「だから、
疑うが、降りない」
それが、彼の結論だった。
《蒼衡》は、
自分たちの正義を疑い始めた。
だが、
それでも刃は置かない。
世界のために。
均衡のために。
ただ一つだけ、
以前と違う点がある。
「……次からは」
セインは、静かに言った。
「未来の“幅”も、
確認する」
それは、小さな変化だった。
だが確実に、
盤面の外を意識し始めている。
夜は、静かだ。
だがこの会議で、
《蒼衡》は理解した。
自分たちは、
“最前線”にいるが――
盤面を作った存在ではないかもしれない、と。
世界機関の会議室は、無駄に広い。
装飾もなく、感情を刺激する色もない。
ここでは、結論だけが残る。
「――結論から言います」
主任監査官が、淡々と口を開いた。
「“想定者”という概念は、
現時点では存在しないものとして扱います」
反論は、すぐに出なかった。
それだけ、この判断が
“正しい手順”に見えたからだ。
「理由は三つ」
監査官は続ける。
「一つ。
実体が確認されていない」
「二つ。
直接的な介入行為が存在しない」
「三つ。
現行の秩序を破壊していない」
全員が、頷く。
どれも、世界機関の基準に完全に合致している。
「だが」
若い分析官が、慎重に手を挙げた。
「“想定されていた未来”という文言は、
我々の規定外です」
空気が、わずかに張る。
「誰が、その言葉を?」
「……内部資料に、
自然に混入しています」
“自然に”という言葉が、
誰の耳にも引っかかった。
主任監査官は、少しだけ考え、答える。
「用語の不統一です。
是正します」
「しかし」
分析官は、引かなかった。
「もし、未来が事前に整理されているなら――」
「仮定です」
監査官は、即座に遮る。
「世界機関は、
仮定に対して動きません」
それは、職務として正しい。
だが同時に、
最も強力な“蓋”でもあった。
「……では」
別の監査官が、話題を変える。
「《非裁定》の行動は?」
「規定違反なし」
「再発の可能性は?」
「あります」
「対処は?」
主任監査官は、迷わず答えた。
「記録と監視」
排除しない。
是正もしない。
ただ、
“枠の中”に置く。
「彼らは、
秩序を否定していない」
「むしろ、
秩序が壊れないように動いている」
「だからこそ、
危険ではない」
その言葉は、
半分だけ本当だった。
会議が終わり、
記録だけが残る。
“想定者”という呼称は
現段階では使用しない
該当概念は仮説止まりとする
公式見解は、これで確定だ。
⸻
一方、拠点。
「……否定されたね」
ミリアが、ため息混じりに言う。
「想定どおりだ」
レインは、感情を交えずに答えた。
「世界機関は、
“起きたこと”しか扱わない」
「起きてない、
から?」
「起きている」
レインは、静かに訂正する。
「ただ、
誰の責任にもなっていない」
リュカが、端末を閉じる。
「公式には、
敵はいない」
「うん」
レインは頷く。
「だから、
これからもしばらくは」
一拍、置く。
「誰も殴れない」
エルドが、低く言う。
「だが、
配置は続く」
「そう」
レインの声は、淡々としていた。
「想定者は、
否定されても困らない」
姿を見せない。
命令しない。
干渉しない。
ただ、
“選びやすい未来”を並べ続けるだけ。
「……最悪だね」
ミリアが、小さく笑う。
「敵なのに、
敵じゃない」
「だから」
レインは、視線を上げる。
「《非裁定》がいる」
正義を切らない。
正義を選ばない。
だが――
「選択肢が消える瞬間だけは、
否定する」
世界機関は、否定した。
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》は、疑い始めた。
英雄は、違和感として抱えた。
そして。
敵は、
公式に“存在しない”まま、
次の配置を進めている。
夜は、静かだった。
だがこの静けさは、
平穏ではない。
《非裁定》は、
理解している。
これから先は、
戦闘ではなく――
“存在を否定された敵”との
持久戦になるということを。




