同じでは、なかった
最初に違和感が出たのは、被害の規模ではなかった。
報告書に並ぶ数値は、前回とほとんど変わらない。
破損した家屋の数。負傷者の人数。対応までに要した時間。
どれも、世界機関が定めた基準の内側に収まっている。
それでも、リュカは端末を見たまま、しばらく黙っていた。
「……配置が違う」
《非裁定》の仮拠点。
簡易地図が空中に投影され、赤い印が点在している。
「被害地点が、線状に並んでる」
「偶然じゃないの?」
ミリアが言う。
「前も、街の中心寄りだったし」
「前は“寄った”だけだ」
リュカは淡々と返す。
「今回は、通路を作ってる」
エルドが地図を見つめ、低く呟いた。
「……避難経路と、重なっているな」
空気が、静かに張り詰める。
レインは地図ではなく、記録の外側――数字の裏を見ていた。
時刻。初動。介入ログ。
どれも“問題なし”と結論づけられている。
だが――
「今回は、
“間に合ったから助かった”人が減ってる」
レインの声は低かった。
「……どういう意味?」
ミリアが眉をひそめる。
「逃げ切れなかった人の数は、前回と大差ない。
でも今回は、逃げようとしなかった人が増えている」
リュカが証言記録を切り替える。
「出てるな。
“すぐ英雄が来ると思った”
“前も《蒼衡》が間に合ったから”」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
それは、間違いではない。
事実として、英雄も《蒼衡》も、これまで全ての現場で機能している。
エルドが、ゆっくりと言う。
「……世界が、
“次も同じだ”と信じ始めている」
ミリアが小さく舌打ちした。
「それ、
信じちゃいけないやつでしょ」
「でも、止める理由もない」
リュカは冷静に事実を並べる。
「英雄は来る。
《蒼衡》も動く。
世界機関も対応する」
「結果は?」
「死者なし。
今回も」
その言葉が、逆に重くのしかかった。
レインは、静かに口を開く。
「“間に合う”ことが、
前提として消費され始めている」
ミリアが視線を落とす。
「……それってさ」
言葉を選びながら、続ける。
「もう、“同じ事件”じゃないってこと?」
レインは、すぐには答えなかった。
少しだけ、間を置く。
「同じ規模。
同じ結果。
でも――」
顔を上げる。
「意味が変わった」
部屋に、沈黙が落ちた。
エルドが低く言う。
「線は、まだ越えていない」
「うん」
レインは頷く。
「でも、線の内側が、
前より狭くなっている」
それは、世界が壊れた兆しではない。
正義が機能しなくなった証拠でもない。
ただ――
“次も同じだろう”という期待が、
被害を前に進め始めている。
ミリアが、ゆっくりと息を吐いた。
「……嫌な兆しだね」
「兆しで済んでいるうちは、
まだいい」
レインはそう言って、資料を閉じる。
《非裁定》は、まだ動かない。
だが今回、
“同じでは済まされない”という事実だけが、
確かに残った。
それが次に何を連れてくるのか――
まだ、誰も口にしなかった。
世界機関・行動解析局。
天井近くに浮かぶ投影板には、直近数週間の局地戦闘事案が並んでいた。
赤、橙、黄――色分けされた表示は、すべて“管理可能”を示している。
「……住民行動ログ、更新完了」
解析官の一人が、淡々と報告する。
「避難開始までの平均時間が、前月比で低下しています」
「低下、というと?」
「早くなった、ではありません」
言葉を選び、続ける。
「遅くなっています」
室内の空気が、わずかに引き締まった。
別の投影が重ねられる。
通報から避難指示。
警鐘が鳴ってからの初動。
住民の移動開始。
「英雄および《蒼衡》の介入が想定される地域ほど、
避難開始が遅れる傾向が見られます」
「理由は?」
「証言ベースでは――
“前回も助かった”
“今回も間に合うと思った”
という回答が多数」
沈黙が落ちる。
誰も驚かなかった。
むしろ、想定されていた結果だった。
「心理的依存の発生、か」
年配の監査官が低く言う。
「英雄や《蒼衡》が機能している以上、
自然な反応だろう」
「市民は合理的に行動している、ということですね」
「そうだ。
“間に合う実績”がある以上、期待するのは当然だ」
解析官が、慎重に口を開く。
「ただし、この傾向が続いた場合――
初動遅延による被害拡大が起きる可能性があります」
「“可能性”だな」
即座に遮られる。
「現時点で、死者は?」
「……出ていません」
「重傷者は?」
「基準内です」
数字が示される。
どれも、世界機関の定めた許容範囲を超えていない。
議長が、端末を閉じる。
「ならば、結論は変わらない」
淡々とした声だった。
「世界は、まだ機能している。
英雄は役割を果たしている。
《蒼衡》も、正しく動いている」
誰も反論しなかった。
「住民の行動変化は、
“副作用”として記録する」
「対策は?」
「現行の避難啓発を継続。
判断基準は維持」
記録官が、そのまま文言を打ち込む。
住民行動に変化あり
ただし、現時点では想定内
判断基準:変更なし
解析官は、一瞬だけ視線を落とした。
「……想定内、ですか」
「そうだ」
議長は即答する。
「我々は、“想定外”に備える組織ではない。
確定した破綻に対応する組織だ」
それは、世界機関の哲学だった。
未来を予測し、先回りして世界を動かすことはしない。
壊れたときに、正しく修復する。
「《非裁定》については?」
別の監査官が問いかける。
「現状、介入条件には該当しない」
「動く理由はない、という判断で?」
「そうだ。
彼らもまた、基準の内側にいる」
会議は、そこで終わった。
最後に表示された一文が、静かに確定する。
現状、世界は管理可能である。
それは、冷たくも正確な結論だった。
だが同時に――
“管理可能である限り、世界は変えない”
という宣言でもある。
その判断が正しいかどうかは、
まだ問われていない。
ただ、
問われる側が、少しずつ増えているだけだ。
戦闘後の訓練場は、静かだった。
瓦礫の処理も終わり、装備の整備も一段落している。
いつもなら、ここでようやく安堵が広がるはずだった。
だが今日は、空気が違った。
ヴァルハルト=レオンは、大剣を壁に立てかけたまま、しばらく動かなかった。
汗は引いている。息も整っている。
身体的には、問題ない。
「……おかしいな」
ぽつりと漏れた声に、ライザ=クロウデルが顔を上げる。
「何がだ?」
低く、ぶっきらぼうな声だった。
「いや……勝ったんだよな、今回も」
「当たり前だろ」
即答だった。
「被害は局所。
英雄部隊は全員健在。
住民も守った」
事実だけを並べれば、完璧な勝利だ。
ノイン=フェルツも、端末を閉じながら頷く。
「戦術的には最適解だった。
撤退判断も早い。
問題はない」
「……そうなんだが」
ヴァルハルトは、剣の柄に手を置いたまま続ける。
「手応えが、薄い」
一瞬、沈黙が落ちた。
イリス=アークライトが、窓の外を見たまま言う。
「……壊し切ってこなかった」
全員が、その言葉の意味を理解した。
「本気で押せば、
もっと被害は出たはずだ」
「それでも、引いた」
ライザは腕を組む。
「撤退が早かった。
前よりも」
ノインが、記録を呼び出す。
「接触時間は短縮されている。
だが、圧力は増している」
「……つまり?」
「相手は、
“効率化”している可能性がある」
その言葉が、訓練場に重く落ちた。
英雄たちは、誰も否定しなかった。
ヴァルハルトは、ゆっくりと息を吐く。
「俺たちは、間に合った」
「そうだ」
ライザが短く答える。
「だが今回は――」
イリスが言葉を継ぐ。
「間に合ったから勝ったというより……」
一瞬、言葉を探す。
「相手が、勝たなかった」
それは、敗北とは違う。
だが、勝利とも言い切れない。
ライザが、低く舌打ちする。
「嫌な言い方だな」
「嫌な状況だからだ」
ノインは冷静だった。
「それでも、我々の役割は変わらない。
次も呼ばれれば、出る」
「当然だ」
ヴァルハルトは即答した。
迷いはない。
英雄は、そういう存在だ。
だが――
「……次は、
もっと近いかもしれんな」
ライザが、ぼそりと呟く。
イリスは、その言葉を否定しなかった。
「ええ。
でも、それでも――」
視線を戻し、静かに言う。
「私たちは、剣を取る」
英雄は、勝ち続ける。
それが世界の前提だ。
ただ今回、
その前提の上に、
小さな違和感が残った。
勝利は確かにあった。
だが、その感触は、
確実に薄くなっている。
それでも彼らは、次に備える。
――それが、英雄だからだ。




