間に合った、という報告
最初に届いたのは、たいしたことのない報告だった。
街道沿いの中継拠点が一つ、半壊。
周辺の魔獣が異常行動を示し、守備隊が一時的に後退。
負傷者は出たが、死者はなし。
世界機関の速報分類は「局地的戦闘」。
脅威度は中。対応済み。
ノーリトリートは、その後処理確認のために現地へ向かっていた。
「……思ったより、ちゃんと片付いてる」
リュカが地図と報告書を照らし合わせながら言う。
崩れた建物は応急処置が済み、人々は瓦礫を片付けながら日常へ戻ろうとしていた。泣いている者も、怒鳴っている者もいない。
正義は、間に合っていた。
「蒼衡が先に入ってるな」
エルドが足元の痕跡を見て言う。
切断痕。戦闘の終わりを示す、迷いのない処理。
「英雄部隊も動いてたみたいだしね」
ミリアは腕を組み、少しだけ不満そうに鼻を鳴らした。
「私たち、完全に後追いじゃん」
「そうだね」
レインは肯定する。
それが事実だった。
現地責任者が近づいてきて、簡単な説明を始める。
「敵性存在は確認されましたが、対応部隊が即座に到着しました。被害はこの程度で収まっています」
「名前は?」
リュカが訊ねる。
「不明です。姿は確認されましたが、長くは留まらず撤退しています」
その言葉に、誰も特別な反応を示さなかった。
よくある話だ。
脅威は去り、正義が残った。
ミリアが瓦礫の一部を蹴り、ぽつりと言う。
「……でもさ。
ここ、もう一歩遅れてたら、結構ヤバかったよね」
「そうだね」
レインは、崩れた壁と地面に残る痕を見ていた。
戦闘痕は荒い。
だが、壊し切ってはいない。
「でも間に合ったんだろ?」
エルドの声は穏やかだった。
事実を確認するだけの調子。
「間に合った。だから問題はない」
世界機関の報告も、蒼衡の判断も、英雄の対応も――
すべてがそう結論づけている。
レインは頷いた。
「今日は、動く理由はなかった」
ミリアは何か言いかけて、やめた。
代わりに、小さく息を吐く。
「……そっか」
その日の報告書には、こう記された。
局地的戦闘事案。
正義側の迅速な対応により被害は最小限。
再発の可能性は低い。
誰も嘘は書いていない。
誰も間違っていない。
ただ一つだけ、レインの中に残った違和感を除いて。
「この程度で、引いた理由」
だが、それを口にする理由は、まだなかった。
蒼衡が到着したとき、戦闘はすでに終わっていた。
終わっていた、というより――
終わらされていた。
街外れの倉庫区画。半壊した建物と、焼け焦げた地面。
だが、戦場としては奇妙なほど整理されている。
「……逃げた、のか?」
先行して調査に入ったメンバーが、低く呟く。
「撤退だな。追撃できる距離じゃない」
地面に残る痕跡は深い。
攻撃の威力も、数も、十分に“災害級”だ。
それでも――
壊し切っていない。
「被害報告は?」
「負傷者は出たが、死者なし。
拠点機能は一時停止、復旧は可能」
誰かが短く舌打ちした。
「……相手、相当強いぞ」
「分かってる」
蒼衡にとって、強さそのものは問題ではない。
問題なのは――切るべきかどうかだ。
現場を一周し、指揮役が判断を下す。
「危険因子。だが、現在は撤退済み。
追跡は行わない。ここで切る」
迷いはなかった。
切るべき対象は“存在”ではなく、“今この状況”だ。
報告書には、簡潔な文言が並ぶ。
局地的戦闘事案。
未確認敵性存在と交戦。
対応部隊の迅速な介入により、被害は最小限に抑えられた。
危険度評価:高(現在は収束)。
正しい。
いつも通りの判断だ。
装備を片付けながら、若いメンバーがぽつりと漏らす。
「……なあ」
「なんだ」
「さっきの、
あれ――本気で暴れてたと思うか?」
一瞬、空気が止まる。
「何を言ってる」
「いや……強かったのは間違いない。
でもさ、もっと――やれただろ」
否定できない沈黙が落ちた。
現場の痕跡は雄弁だった。
破壊はある。殺意もある。
だが、決定打がない。
「考えるな」
指揮役が言い切る。
「相手は逃げた。被害は抑えられた。
それで十分だ」
「……はい」
納得したわけではない。
だが、判断は覆らない。
蒼衡は、正しさを保つために存在する。
曖昧さを持ち帰る場所ではない。
撤収の合図が出される。
最後に現場を振り返ったメンバーが、心の中でだけ思った。
――次は、もっと壊れる。
だが、その予感は報告書には書かれない。
書かれる必要がないからだ。
蒼衡は今日も、
正しく仕事を終えた。
英雄部隊が到着したとき、すでに街は半分、戦場になっていた。
火の手。崩れた外壁。逃げ遅れた市民を守る防衛隊の必死な声。
だが――まだ致命的ではない。
「間に合う」
ヴァルハルト=レオンはそう言って、大剣を構えた。
前線に立つ敵性存在は、一体。
黒を基調とした装束。人型。圧倒的な圧力。
「……デカいな」
ライザ=クロウデルが短く吐き捨てる。
「単独? 召喚体じゃない?」
「違う」
ノイン=フェルツが即答した。
「これは――“戦っている”」
その瞬間、敵が動いた。
衝撃。
空気が歪み、地面が沈む。
「っ……!」
防衛隊が吹き飛ばされる寸前、光が走った。
「下がれ!」
ヴァルハルトの剣が、正面から衝撃を受け止める。
足元の地面が割れ、瓦礫が舞った。
「重い……!」
「でも、止まる!」
イリス=アークライトの魔導が展開され、戦場の光量が一気に増す。
逃げ道が確保され、市民が後方へ誘導されていく。
英雄は、正しく連携していた。
強敵だ。
だが――勝てる。
「押すぞ!」
ヴァルハルトが前に出る。
力の信奉者として、迷いはない。
剣撃。衝突。
敵は確かに強い。だが、英雄の攻撃を“避けている”。
「……?」
ライザが一瞬、眉をひそめる。
「今の、当たってたよね?」
「外した。……いや、外された?」
ノインが視線を走らせる。
「撤退線を――確保している?」
答えは、すぐに出た。
敵が一歩引く。
戦場の圧が、ふっと抜ける。
「……今日は、ここまでだ」
低い声。
それだけを残して、敵は後退した。
「待て!」
ヴァルハルトが踏み込もうとした瞬間、
光と影が交錯し、視界が遮断される。
次の瞬間、敵の姿は消えていた。
残ったのは、壊れかけた街と、
間に合った結果だけだ。
「……逃げた、か」
「いや」
イリスが、静かに首を振る。
「“引いた”だけ」
英雄たちは互いに視線を交わす。
被害は大きい。
だが、死者は出ていない。
街は、まだ戻れる。
世界機関の連絡が入る。
局地的戦闘事案。
英雄部隊の迅速な対応により被害拡大を防止。
対応成功。
正しい結論だった。
ヴァルハルトは剣を下ろし、深く息を吐く。
「……次も、呼ばれるな」
「ええ」
ノインは資料端末を閉じる。
「同様の案件が、すでに二件」
一瞬の沈黙。
「でも」
ライザが軽く笑って言う。
「まだ、勝ってる」
誰も否定しなかった。
英雄は勝った。
正義は間に合った。
だからこの戦いは、
**“処理済み”**として記録される。
ただ一人、イリスだけが、戦場の痕を見つめていた。
――壊せたはずだ。
――それでも、壊さなかった。
その理由を、
今はまだ、言葉にしなかった。




