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雑魚モンスターしかコピーできないハズレスキルとして追放された俺、 魔導書を読んだら“世界の前提”が見えるようになった  作者: Y.K
第25章

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何も起きない日の価値

 その日の任務は、何事もなく終わった。


 魔獣の目撃情報は誤認だったらしく、現地で確認したころには痕跡すら薄れていた。被害もなく、負傷者もいない。報告書には「異常なし」と書けば済む内容だ。


 ミリアは歩きながら、大きく伸びをした。


「……はぁ。結局、散歩じゃん」


「そうだね」


 レインは否定しなかった。

 彼にとっては、それで十分だった。


 舗装の甘い街道を並んで歩く。夕方の光が傾き始め、風は穏やかだった。ミリアの足取りは軽いが、表情にはどこか不満が残っている。


「もっとさ、こう……何かあってもよくない?」

「良くはないと思うけど」


「分かってる! 分かってるけど!」

 ミリアは少しだけ声を荒げてから、すぐにトーンを落とした。

「……何も起きないと、逆に調子狂うんだよ」


 レインは少し考えてから答える。


「何も起きない日は、何も失わない日でもある」


 ミリアは足を止めた。


「……それ、あんたらしいけどさ」

 振り返って、少し困ったように笑う。

「それで全部納得できるなら、苦労しないよ」


「納得はしてないよ」


「え?」


「ただ、受け入れてるだけ」


 ミリアはしばらく黙って、再び歩き出した。

 レインの隣に戻り、歩幅を合わせる。


「ねえレイン」

「なに?」


「もしさ……今日、何か起きてたらさ」


 言いかけて、言葉を切る。

 その先を、自分でも決めかねている顔だった。


「……ううん。やっぱいい」


 レインは追及しなかった。

 彼は、ミリアが言葉を引っ込めた理由を理解していたし、理解したからといって、今それを言語化する必要も感じなかった。


 少し沈黙が流れる。


「……でもさ」

 ミリアは、今度は軽い口調で続けた。

「こうやって帰れるの、嫌いじゃない」


「僕も」


 それは事実だった。


 非裁定――ノーリトリートとしての在り方は、戦場よりもこういう瞬間で、より明確になる。選ばない日。裁かない日。介入しない日。


 それでも前線に立ち、何も起きなかったという結果を持ち帰る。


 ミリアは小さく息を吐いて、空を見上げた。


「……平和って、退屈だね」


「うん」


「でも――」


 言葉を探すように、少しだけ間を置く。


「……なくなると、困る」


 レインは、わずかに視線を向けた。


「そうだね」


 それ以上は、何も言わなかった。

 今日という日を、これ以上説明する必要はなかった。


 何も起きなかった。

 それだけで、十分だった。


 蒼衡アズール・バランスの拠点は、いつもより静かだった。


 戦いが終わったあとの静けさではない。

 仕事が終わったあとの静けさだった。


 広間の中央には、簡素な報告板が設置されている。今回の案件は、古代種事案における危険因子の排除補助。結果は明確で、評価も高い。


「被害、最小限」

「対応、迅速」

「判断、妥当」


 並ぶ言葉はどれも正しかった。


 装備を外しながら、蒼衡の一人が短く息を吐く。


「……終わったな」


「終わったよ。綺麗に」


 別のメンバーがそう答える。

 誰も異を唱えなかった。


 街は守られ、被害は拡大せず、世界機関からの公式評価も問題なし。英雄の到着と連動し、最悪の展開は回避された。


 理想的な仕事だった。


 だからこそ、誰もが少しだけ気を抜いている。


「感謝状、来てたぞ」

「またか。正直、慣れてきたな」


「悪くないだろ。やってることは間違ってない」


 その言葉に、周囲も頷く。

 切るべきものを切り、守るべきものを守った。それだけだ。


 しばらくして、一人が報告書から視線を上げた。


「……切った対象、名前出てたか?」


 空気が、ほんの一瞬だけ止まる。


「いや。番号だけだな」

「いつものことだろ」


「そうなんだけどさ」


 そのまま言葉は続かなかった。

 問いとして形になる前に、自然と流される。


 蒼衡にとって、名前は重要ではない。

 重要なのは、危険因子だったかどうかだけだ。


「必要だった。だから切った」

「それで十分だ」


 誰かがそう言い切り、話題はそこで終わった。


 窓の外では、復旧作業が進んでいる。人々は日常に戻り、蒼衡の名は感謝とともに語られるだろう。


 正義は、機能している。


 装備棚の前で、先ほどのメンバーが立ち止まり、ほんの一瞬だけ手を止めた。


「……全部、切る必要はあったのか?」


 呟きは小さく、誰の返事も求めていなかった。

 自分でも答えが出ている問いだったからだ。


「――あった」


 そう結論づけて、再び手を動かす。


 蒼衡は、今日も正しい。

 正しく在り続けるために、迷いはここに置いていく。


 それが彼らの役割だった。


 世界機関の執務区画は、今日も変わらず静かだった。


 白を基調とした通路。整然と並ぶ書架。壁面に浮かぶ進捗表示は、すべて「処理済み」を示している。


 端末の前で、担当官が報告を読み上げた。


「古代種関連事案、最終確認完了。被害規模、想定内。再発兆候なし。よって――本件は“完全収束”とする」


 誰も異議を唱えない。

 記録は保存され、次の案件へと進む。


 感情を扱う部署ではない。

 世界機関の仕事は、世界が回っていることを保証することだ。


 別の机では、付随報告が淡々と整理されていた。


「蒼衡による危険因子排除、評価A」

「英雄部隊の連携、問題なし」

「市民被害、最小」


 正しい数字が並ぶ。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 担当官は一瞬だけ手を止め、報告書の余白に目を落とした。

 そこには、短い備考が記されている。


「局地的戦闘痕を複数確認。いずれも収束済み」


 名前はない。

 特記事項もない。


「……問題なし」


 そう呟いて、次の書類へ視線を移した。



 一方、英雄たちは、それぞれの日常に戻っていた。


 訓練場では、ヴァルハルト=レオンが大剣を肩に担ぎ、深く息を吐いている。戦いのあと特有の、充足と疲労が入り混じった表情だった。


「今回は、早かったな」


 そう言うと、傍らで装備を整えていたライザ=クロウデルが肩をすくめる。


「蒼衡が先に動いてたしね。私たちは“間に合った側”ってだけ」


「それで十分だ」


 ヴァルハルトは迷いなく答えた。

 彼にとって、力は迷うためのものではない。


 別区画では、ノイン=フェルツが召喚式の後処理をしながら、資料に目を通していた。


「合理的な流れだ。問題はない」


「……本当に?」


 問いかけたのは、窓際で外を眺めていたイリス=アークライトだった。


「正義が機能した。秩序も守られた。それ以上、何が必要だ?」


 ノインの言葉は理にかなっている。

 イリスはそれを否定しなかった。


「ううん。必要なことは、全部やったと思う」


 それでも、視線は遠くに向いたままだった。


 街は復旧し、人々は日常に戻っている。英雄の名は讃えられ、蒼衡の判断も支持されている。


 世界は、救われた。


 ヴァルハルトが、ふと笑って言う。


「また何かあれば、呼ばれるさ」


「そのときは、そのときだね」


 ライザが軽く応じる。

 誰も深刻には受け取らない。


 それが、英雄の日常だった。



 同じころ、世界機関の記録庫では、新しい案件番号が自動生成されていた。


 分類:局地戦闘

 脅威度:未確定

 対応状況:収束済み


 名前は、まだない。


 世界は今日も、正常に回っている。


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