それでも、選択は残る
事件と呼ぶほどのものではなかった。
崩落も、
暴走も、
禁呪もない。
ただ――
一人が、外れただけだ。
「……戻ってない?」
巡回の報告が、
短く上がる。
「物資班の一人が、
定時を過ぎても
帰還していません」
英雄は、
すでに別件で動いている。
蒼衡(そうこう/アズール・バランス)は、
近隣の危険区域を
切り分け中だ。
「……探せる?」
ミリアが、
即座に聞く。
「可能です」
リュカが答える。
「単独行動の線が濃い」
「命の危険は……」
一拍。
「低い」
その言葉で、
場の空気が決まる。
低い。
だから、
優先度は下がる。
「……じゃあ」
ミリアが、
レインを見る。
レインは、
少しだけ考える。
「英雄は
来られます」
「蒼衡も
切れる状況です」
「世界機関も
対応対象に
含められます」
一つずつ、
確認するように言う。
「つまり」
一拍。
「私たちが
動かなくても
世界は回ります」
エルドが、
低く言う。
「……それでも、
行くか?」
レインは、
首を横に振った。
「行きません」
即答だった。
ミリアが、
少し驚いた顔をする。
「……理由は?」
「動けば、
“選びます”」
レインは、
静かに言う。
「この人を
拾うと決める」
「それは」
一拍。
「他を
置くことになる」
沈黙。
「……冷たいな」
ミリアが、
小さく言う。
責めではない。
確認だ。
「はい」
レインは、
否定しない。
「冷たいです」
「でも」
視線を上げる。
「私が
後悔する選択では
ありません」
エルドが、
深く息を吐く。
「……分かった」
リュカも、
端末を閉じる。
「世界に
任せよう」
遠くで、
連絡が入る。
「英雄が
捜索に
入った」
「蒼衡が
危険区域を
再確認中」
世界は、
ちゃんと動いている。
《非裁定》は、
その場に留まる。
何も、
しない。
だが。
レインは、
一瞬だけ目を閉じる。
――忘れない。
拾わないことと、
忘れることは
違う。
それを、
自分に言い聞かせる。
事件は、
数時間後に
解決した。
行方不明者は、
無事だった。
英雄が見つけ、
蒼衡が安全を確保し、
世界機関が記録した。
すべて、
正しい流れ。
それでも。
レインは、
確信していた。
――今の選択を、
自分は
後悔しない。
それが、
このたびで得た
唯一の答えだった。
見つかったのは、
夜が深くなってからだった。
「……いました」
通信は、
短い。
「怪我は軽微」
「衰弱は
していますが、
命に別状はありません」
英雄の声だった。
安堵が、
遅れて広がる。
「よかった……」
誰かが、
小さく息を吐く。
「やっぱり
英雄だな」
別の声。
蒼衡(そうこう/アズール・バランス)は、
周囲の危険区域を
淡々と処理している。
切るべきところだけを、
正確に。
世界機関は、
すでに記録を始めていた。
「……収束案件として
処理します」
「特記事項は
ありません」
それで、
終わりだ。
《非裁定》は、
少し離れた場所で
それを聞いていた。
「……助かったんだね」
ミリアが、
小さく言う。
「うん」
レインは、
頷く。
「世界が
やるべきことを
やった結果です」
エルドは、
少しだけ視線を落とす。
「……でも」
短く、
それだけ言った。
リュカが、
端末を操作しながら
言葉を継ぐ。
「記録を
見てる」
「行方不明者の
発見時刻」
「捜索開始から
四時間後」
一拍。
「……もし」
「世界が
忙しかったら」
その先は、
言わなかった。
言わなくても、
全員が理解する。
「……でも」
ミリアが、
レインを見る。
「結果は
助かった」
「それで
よかったんだよね?」
レインは、
すぐには答えない。
少しだけ、
考えてから言う。
「はい」
「結果だけ
見れば」
「完璧です」
否定は、
しない。
だが。
「……じゃあ」
ミリアは、
少しだけ声を落とす。
「私たちが
行かなかったことは」
「何だったの?」
レインは、
街の方を見る。
英雄が戻り、
蒼衡が撤収し、
世界機関の記録が
積まれていく。
「……意味は」
一拍。
「残ります」
リュカが、
眉をひそめる。
「結果が
良くても?」
「はい」
「選ばなかった、
という事実は」
「消えません」
エルドが、
静かに言う。
「……後悔は?」
レインは、
首を横に振る。
「しません」
「今日の私は」
一拍。
「後悔しない
選択を
しました」
ミリアは、
少しだけ笑った。
「……それが
答え?」
「はい」
レインも、
微笑む。
「少なくとも」
「今の
私にとっては」
世界は、
何事もなかったかのように
回っていく。
助かった。
記録された。
終わった。
それでも。
《非裁定》の中には、
一つだけ
残り続けるものがあった。
――選ばなかった、
という事実。
それを、
忘れないために。
記録は、
簡潔だった。
「古代種事案、
完全収束」
「被害規模、
想定内」
「特記すべき
異常行動なし」
世界機関の文書は、
淡々としている。
英雄の名は、
正しく記された。
蒼衡(そうこう/アズール・バランス)の裁定も、
必要な箇所にだけ
残っている。
《非裁定》の名は――
どこにもない。
「……載らなかったね」
ミリアが、
紙面を覗き込みながら言う。
「当然だ」
リュカは、
あっさりしている。
「何も
してないからな」
エルドは、
否定もしない。
「……でも」
短く、
それだけ言う。
レインは、
記録から目を離す。
「はい」
「だから、
これでいい」
世界は、
物語を必要とする。
誰が救い、
誰が切り、
誰が終わらせたのか。
だが。
「……私たちは」
レインは、
静かに言う。
「物語に
ならない場所に
立っていました」
ミリアが、
少しだけ肩をすくめる。
「地味だね」
「ええ」
レインは、
笑う。
「でも」
一拍。
「忘れられない
場所です」
あの声が、
脳裏をよぎる。
――忘れないでほしい。
記録には
残らない。
英雄譚にも
ならない。
それでも。
「……行こうか」
ミリアが、
前を見る。
「次は?」
リュカが、
問い返す。
レインは、
少しだけ考える。
「分かりません」
正直な答えだ。
「でも」
視線を上げる。
「選ばない、
という立場だけは
持っていきます」
エルドが、
頷く。
「それで
十分だ」
街は、
日常に戻りつつある。
人は、
次の問題を
抱え始めている。
世界は、
前に進む。
《非裁定》は、
その少し外側で、
歩き出す。
切らず、
選ばず、
それでも
立ち止まらず。
この章で起きたことは、
やがて
過去になる。
だが。
忘れなかった者たちが
確かにいた。
それだけで、
この物語は
終わっていい。
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