強制介入(オーバーライド)
それは、警告ではなかった。
街全体が、
一瞬だけ――沈黙した。
鐘が鳴らない。
巡回の足音も消える。
代わりに、
空間そのものが“整列”する。
「……来た」
レインが、低く言った。
宿の外。
路地の両端に、白い装束が現れる。
一人、二人ではない。
同時多発的に。
「――均衡監査庁」
響く声は、拡声でも魔法でもない。
街そのものを媒介にした通達。
「対象三名。
規程逸脱・思想介入を確認。
これより――強制回収を実施する」
ミリアが、前に出た。
剣を抜く。
否――
前線が立つ。
「……リュカ、下がって」
「《自己定位》維持!」
「う、うん!」
リュカの足元に、淡い位相輪が固定される。
――逃げない。
――でも、飲み込まれない。
•
最初に動いたのは、監査側だった。
地面に刻まれる魔法陣。
《抑制結界》。
能力の“使用前段階”を縛る――
管理特化の対能力陣。
「……甘い」
レインが、片手を上げる。
「《認識剥離》」
結界が――ズレた。
存在しているのに、
「そこにある」と認識できなくなる。
監査兵が、一瞬止まる。
「……認識障害?」
その瞬間。
ミリアが、踏み込んだ。
「《踏越位》!」
前線を越える――
否、前線を作る一歩。
剣閃が、空気を裂く。
「《前線穿断》!」
結界ごと、空間を貫通。
抑制陣が、音もなく割れる。
「な――」
「前線を消すから」
ミリアの声は、冷えていた。
「……壊されるのよ」
•
監査側が態勢を立て直す。
空中に展開される――
因果固定術式。
攻撃が当たる前に、
“当たらなかった結果”を確定させる。
だが。
「……それも」
レインが、淡々と言う。
「《因果遮断》」
因果が、切れた。
結果が宙ぶらりんになる。
「《成立破棄》」
“成立したこと”そのものを否定。
監査兵の術式が、
成立しなかったことになる。
「……あり得ない」
「ありますよ」
レインの声は静かだ。
「あなたたちが、
成立させてきた世界だから」
•
包囲が、崩れる。
だが――
上位監査官が前に出た。
「……力で語るか」
「なら」
「正当防衛の範疇で排除する」
街全体の魔力が、一点に収束する。
街そのものが武器になる。
「……ミリア」
「分かってます」
ミリアは、深く息を吸う。
一歩も、退かない。
「《不退一閃》」
世界が――一直線に割れる。
防御も、距離も、理由も無視。
“退かない”という意志だけで成立する剣。
監査官の術式が、
正面から断ち切られる。
「……極」
ミリアの瞳が、揺らがない。
「《不退一閃・極
(ノー・リトリート/アルティマ)》」
前線が、
戦場そのものを割った。
•
残った者たちは、逃げた。
否――
回収を中断した。
街は、静まり返る。
壊れた建物は、少ない。
死者も、出ていない。
だが。
「……終わった?」
リュカが、震える声で言う。
レインは、首を振った。
「いいえ」
「始まっただけです」
ミリアは、剣を下ろす。
肩で、息をする。
「……私たち」
「完全に、
目ぇつけられましたね」
レインは、淡く笑った。
「ええ」
「でも――」
一拍。
「もう、
無視できない存在になりました」
街は、まだ立っている。
だが――
均衡は、完全に崩れた。
空気が、変わった。
街の中央通り。
崩れた均衡を縫い直すように、魔力が収束する。
人々が、道を空ける。
自然に。
命令もなく。
――それだけで分かる。
「……来ましたね」
ミリアが、低く言った。
「ええ」
レインの視線は、空を追っている。
•
最初に降り立ったのは、男だった。
重い。
音が、違う。
地面が沈み、
石畳に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「――英雄位、
《重装戦士》
ヴァルグ=アイゼン」
低く、確かな声。
背丈は高くない。
だが、存在が重い。
筋肉の塊でも、
威圧的な殺気でもない。
――現場に立ち続けた重さ。
「均衡監査庁より、
強制介入の代行を命じられた」
次に、光が舞い降りる。
ふわり、と。
「……英雄位、
《高位魔導師》
セレナ=ルミナリア」
白銀の髪。
柔らかな微笑。
だがその背後には、
制御され尽くした魔法式が浮かぶ。
治癒、拘束、殲滅、再構築。
すべてが“即応状態”。
「抵抗は、
おすすめしません」
声は、優しい。
「あなた方は、
危険思想を持つ能力者」
「――ここで止めます」
•
ミリアが、一歩前に出る。
剣を抜く。
だが、
構えは低い。
「……英雄さん」
ヴァルグが、
ミリアを見る。
「前線に立つ者か」
「ええ」
ミリアは、真っ直ぐ返す。
「……でも」
「あなた、
選んで立ってませんね」
空気が、張り詰める。
ヴァルグの眉が、
わずかに動いた。
「……何?」
「あなたは」
ミリアの視線は、
ぶれない。
「“立つべきだ”と
言われた場所に
立ってきた」
「それは前線じゃない」
「……配置です」
セレナが、
一歩前に出る。
「言葉遊びは、
不要です」
「結果として、
彼は多くを救った」
「あなたたちは、
何を救いましたか?」
レインが、
初めて口を開く。
「……選択を」
セレナは、
穏やかに首を振る。
「選択は、
不安を生みます」
「不安は、
恐怖を生み」
「恐怖は――
暴力を呼ぶ」
「だから」
一拍。
「管理するのです」
レインは、
少しだけ笑った。
「……完成してますね」
セレナの目が、
細くなる。
「褒め言葉として
受け取ります」
ヴァルグが、
剣を肩に担ぐ。
「話は終わりだ」
「――抵抗するなら」
地面が、
再び軋む。
「ここで終わる」
リュカが、
二人の背後で
《自己定位》を展開する。
「……レイン」
「……強いよ」
レインは、
即答した。
「ええ」
「完成品です」
ミリアが、
口角を上げる。
「……じゃあ」
剣を、
構える。
「壊しがい、
ありますね」
英雄二人が、
同時に動く。
物理と魔法。
正義と秩序。
街が、
息を呑む。
――戦いが、
始まる。
最初に動いたのは、ヴァルグだった。
踏み込み。
それだけで、
空気が爆ぜる。
「――《重圧踏砕》」
石畳が、沈むのではなく潰れた。
質量と技量を極限まで高めた一撃。
回避ではなく、存在圧で押し潰す戦法。
「っ……!」
ミリアが、真正面から受ける。
否――
受けに行った。
「《踏越位》!」
踏み込みを、さらに踏み越える。
重圧の“内側”に入り込む。
剣が閃く。
「《断戦》!」
ヴァルグの一撃が、
途中で“割れる”。
「……なに?」
初めて、
ヴァルグの声に疑問が混じる。
「前線は」
ミリアの声は、低い。
「押し潰すものじゃない」
「――割って、進むものよ」
•
だが、英雄は一人ではない。
「《拘束展開・第四式
(チェイン・フィールド)》」
セレナの魔法陣が、
空間を覆う。
光の鎖が、
街全体を使って展開される。
逃げ場はない。
「――安全確保」
「対象の行動を制限します」
鎖が、ミリアに迫る。
「……ミリア」
レインが、即座に動く。
「《戦場演算
(バトル・カリキュレーター)》」
空間が、数式に還元される。
「《認識剥離》」
鎖が、
“鎖である”という認識を失う。
絡め取るべき対象を、
見失う。
「……っ」
セレナが、初めて息を詰める。
「……認識干渉?」
「いいえ」
レインの声は、淡々としている。
「戦場そのものを、
あなたの理解から
外しています」
•
ヴァルグが、吼えた。
「――まだだ!」
全身の筋肉が、
一斉に軋む。
「《不壊進軍
(インヴィンシブル・マーチ)》!」
後退しない。
防御しない。
倒れるまで、前に進む英雄の型。
ミリアが、真正面から受ける。
剣と拳が、ぶつかる。
衝撃。
ミリアの足が、
地面を削る。
「……強い」
息を吐きながら、
ミリアは笑った。
「でも」
一歩、前へ。
「《前線穿断》!」
剣閃が、
ヴァルグの鎧を貫く――
寸前で止まる。
セレナの魔法が、
間に割り込む。
「《因果固定
(リザルト・ロック)》」
結果を、先に決める魔法。
「――この攻撃は、
致命に至らない」
•
その瞬間。
レインが、
静かに手を下ろした。
「《因果遮断》」
“結果”が、切れる。
「《成立破棄
(エスタブリッシュ・ノー)》」
固定された因果が、
成立しなかったことになる。
剣が、
ヴァルグの胸当てを
完全に断つ。
「――っ!」
ヴァルグが、後退。
初めて。
「……退いた?」
街が、ざわめく。
セレナが、歯を食いしばる。
「……あなたたち」
「……英雄を、
計算に入れて戦っている」
レインは、即答する。
「ええ」
「完成品は、
再現性が高い」
「……だから」
一拍。
「対処可能です」
ミリアが、
剣を下げる。
だが、
前線は下げない。
「あなたたち、強い」
「本物の英雄よ」
ヴァルグは、
胸を押さえながら言った。
「……なら、
なぜだ」
「なぜ、
我々が負ける」
ミリアは、
真っ直ぐ答えた。
「選んでないから」
セレナの目が、
揺れた。
「……私たちは」
「……正しいはず……」
レインは、
最後に告げる。
「正しさは、
守れます」
「でも――」
「生き方は、
管理できない」
英雄二人は、
それ以上、動けなかった。
力ではない。
信念に、
ひびが入ったからだ。
沈黙が、落ちた。
街の中心。
砕けた石畳の上で、四人は動かない。
剣は握られている。
魔力も、まだ消えていない。
だが――
誰も、次の一手を打たない。
ヴァルグが、深く息を吐いた。
「……俺は」
低い声。
「この街で、
何度も人を守った」
「逃げ遅れた者を、
前に立って救った」
「……そのたびに」
拳を、強く握る。
「“正しい”と
言われてきた」
ミリアは、何も言わない。
ただ、前線に立ち続ける。
ヴァルグは、視線を上げた。
「……だが」
「お前たちと戦って」
「初めてだ」
一拍。
「自分で、
立った気がしない」
セレナが、はっと息を呑む。
「ヴァルグ……」
「……黙れ」
荒い声ではない。
だが、拒絶だった。
「俺は」
「命令で、
ここに来た」
「正義だと、
信じてきた」
「……だが」
レインを見る。
「お前は」
「俺に、
何も命じなかった」
「それなのに――」
視線が、下がる。
「……俺は、
迷った」
その言葉で、
すべてが決まった。
セレナが、前に出る。
「……それは」
「間違いです」
声は、震えている。
「私たちは、
管理することで
救ってきた」
「恐怖を、
不安を、
混乱を――」
「排除してきた!」
レインは、静かに返す。
「……ええ」
「だから、
あなたは強い」
セレナの目が、揺れる。
「……なら」
「なぜ……」
レインは、
一歩だけ前に出た。
「あなたは、
自分の魔法を
選んでいない」
その言葉が、
刃になった。
「あなたの術は、
“最適解”です」
「でも――」
「あなた自身の答えではない」
セレナの指先が、
震える。
「……そんな、
はずは……」
ミリアが、
静かに言った。
「私、怖いです」
突然の言葉に、
全員が見る。
「前に立つの」
「選ぶの」
「……失敗するの」
一拍。
「でも」
剣を、少し下げる。
「それでも、
私が立つ場所は
私が決めます」
ヴァルグは、
ゆっくりと剣を地面に突き立てた。
――降参ではない。
選択だ。
「……今回は」
「退く」
街が、ざわめく。
監査庁の英雄が、
命令を破った。
セレナが、
唇を噛む。
長い沈黙の後、
魔法陣を消した。
「……私は」
「まだ、
分かりません」
「でも……」
レインを見る。
「あなたを、
“危険”とは
呼べない」
それで、十分だった。
英雄二人は、
背を向ける。
誰も、追わない。
•
静寂。
戦いは、終わった。
リュカが、
恐る恐る言う。
「……勝った?」
ミリアが、
肩で息をしながら笑う。
「……うん」
「たぶん、
一番めんどくさい
勝ち方で」
レインは、
街を見渡した。
人々は、
まだ戸惑っている。
だが――
見ている。
英雄が、
命令に背いた瞬間を。
「……これで」
レインが、静かに言う。
「誰かが、
選ぶという事実は
消せなくなりました」
均衡は、
完全に崩れた。
だが。
世界は、
まだ終わらない。
――ここからが、
本番だ。




