評価されない強さ
同じ依頼を、三度続けてこなす冒険者は少ない。
危険度が低く、報酬も最低限。
名も売れず、武勇談にもならない。
だが、レインは違った。
「また、あの人か」
冒険者ギルドの掲示板前で、誰かが小さく呟く。
レインは気づかないふりをして、依頼書に手を伸ばした。
内容は似通っている。
小型魔物の調査。
挙動の確認。
単独討伐可。
(条件は、ほぼ同じ……でも)
レインの目は、報酬ではなく細部を追っていた。
発生地点。時間帯。
魔物の“変化”。
(昨日と、少し違うな)
魔物は同じ種類でも、常に同じとは限らない。
環境、個体差、魔力の癖。
そこに気づけるかどうかが、理解の分かれ目だった。
•
森に入ると、レインはすぐに足を止めた。
空気の張り方が違う。
(魔力密度が……微妙に高い)
誰かに言えば、「気のせい」で片付けられる差だ。
だが、レインには“見える”。
魔導書を開き、前回使った構造を思い出す。
そのままでは通用しない。
(条件が一つ増えてる)
原典では、こういう場合、力を上乗せして押し切る。
だが、それは燃費が悪い。
(じゃあ、前提を変える)
魔力の流れを、ほんの少しだけ浅くする。
代わりに、干渉点を増やす。
理屈は単純だ。
一撃で壊せないなら、成立条件を複数崩す。
発動。
魔物は反応する暇もなく、動きを失った。
「……やっぱりな」
成功だが、昨日よりも思考量は多い。
理解が進んだ分、判断も増える。
(楽じゃない。でも……)
レインは口元をわずかに緩めた。
(前より、確実だ)
•
討伐後、レインは魔物の残滓を丁寧に観察した。
魔力の抜け方。
反動の有無。
(制御は問題なし。
でも、この部分……まだ無駄がある)
魔導書の内容と、実際の結果を頭の中で照合する。
ズレ。誤差。改善点。
これは戦闘じゃない。
検証だ。
紅鷹にいた頃、こんな時間は与えられなかった。
「次だ」「急げ」「考えるな」。
今は違う。
レインは魔導書を閉じ、深く息を吐いた。
•
ギルドに戻ると、受付の女性が一瞬だけ表情を変えた。
「……お帰りなさい」
声のトーンが、前より柔らかい。
気のせいかもしれない。
だが、依頼完了の処理は早かった。
確認も簡潔だ。
「今回も、問題ありませんでしたか?」
「はい」
「……そうですか」
それ以上は聞かれない。
だが、背後で他の冒険者が小声で話しているのが聞こえた。
「最近、あの人……失敗してるとこ、見ないよな」
「派手じゃないけどさ」
レインは振り返らない。
評価は欲しいが、今はまだ要らない。
(理解が先だ)
魔導書は、まだ“全部”を見せていない。
《模写理解》も、まだ浅い。
静かに、確実に。
レインは次の段階へ足を進めていた。
その日の依頼は、これまでと少し違っていた。
魔物の種類は同じ。
危険度も低。
だが、依頼書の末尾に短い一文が添えられている。
――行動が不安定。討伐済みの報告あり。
(……討伐済み?)
レインは眉をひそめた。
同じ魔物が、同じ場所に、同じ時期に出没している。
それ自体は珍しくないが、「討伐済み」という記録が残っているのに、再び依頼が出ているのは不自然だ。
(個体差か、それとも……)
森に入ると、違和感はすぐに確信へ変わった。
魔力の流れが、どこか歪んでいる。
「……薄いな」
濃度は高いが、安定していない。
まるで、誰かが無理やり魔力を継ぎ足したような――そんな感触。
レインは魔導書を開き、関連しそうな構造を思い返す。
古代魔法の中には、外部魔力を強引に取り込む設計も存在する。
(でも、こんな低位の魔物に使う意味がない)
考えながら歩を進めた、その時だった。
草むらが爆ぜ、魔物が飛び出す。
反応が遅れた。
「……っ!」
即座に魔力を流し、いつもの再構築魔法を起動する。
だが――止まらない。
魔物の動きが、わずかに“ズレた”。
行動の前提を崩したはずなのに、成立している。
(なぜだ?)
次の瞬間、衝撃。
浅いが、確かに爪が腕を掠めた。
レインは後退し、距離を取る。
心拍が上がる。痛みより、驚きの方が大きい。
(通じなかった……?)
焦りが、思考を乱す。
紅鷹にいた頃なら、この時点で怒号が飛んでいた。
「何してる」「早く倒せ」。
だが今は、誰もいない。
「……落ち着け」
自分に言い聞かせ、呼吸を整える。
もう一度、魔物を見る。
動きは荒い。
だが、魔力の核が二重になっている。
(……そうか)
理解が、ゆっくりと形になる。
これは“一体”じゃない。
外部から魔力を流し込まれた結果、成立条件が上書きされている。
つまり――
(前提が、一つじゃない)
レインは構造を組み直す。
一つを崩せば止まる、という考えを捨てる。
代わりに、干渉点を増やす。
浅く、広く、同時に。
発動。
今度は、魔物の動きが段階的に鈍る。
一拍遅れて、完全に停止。
レインは追撃せず、その場に立ち尽くした。
「……危なかったな」
腕の傷を見下ろす。
浅い。だが、確実に“失敗”だった。
•
帰路、レインは歩きながら考え続けた。
(再構築は万能じゃない)
理解した“つもり”になっていた。
魔導書の構造を、状況に当てはめているだけで、
本当に条件を洗い切れていなかった。
(だから、通じなかった)
だが同時に、別の事実もある。
(……修正できた)
一度破綻しても、立て直せた。
力任せではなく、理解を更新することで。
それは、紅鷹では決して許されなかった選択肢だ。
•
ギルドに戻ると、受付の女性が腕の傷に気づいた。
「……大丈夫ですか?」
「ええ。問題ありません」
そう答えると、彼女は少し考えてから言った。
「最近、あなたの依頼……
“対応が丁寧だ”って報告、多いんです」
レインは一瞬、言葉に詰まった。
派手でもない。
速さでもない。
ただ、丁寧に理解して、処理しているだけだ。
「……そうですか」
それだけ返す。
胸の奥で、何かが静かに動いた。
評価は、まだ小さい。
だが確実に、変わり始めている。
そして何より――
魔導書と《模写理解》は、もう一段深い場所へ踏み込んでいた。
宿に戻ったレインは、部屋の椅子に腰を下ろすと、しばらく動かなかった。
腕の傷はすでに塞がり始めている。浅かった。だが、心の中に残った引っかかりは、簡単には消えない。
テーブルの上に魔導書を置く。
開かない。今は読む気になれなかった。
(……失敗した)
今日の戦いは勝った。
依頼も達成した。評価も、少しずつ上がっている。
それでも――失敗だった。
「“理解したつもり”になってたな」
言葉にすると、妙にしっくりきた。
古代魔法の構造を読み解き、再構築し、結果を出した。
だが、それは“前提が一つ”の場合に限った理解だった。
世界は、そんなに単純じゃない。
魔物は変化する。
環境が変わる。
誰かの介入があれば、条件は簡単に上書きされる。
(なのに、俺は……)
紅鷹にいた頃の癖が、まだ抜けていなかった。
「これでいける」と思った瞬間、思考を止めていた。
結果を急がされた日々。
説明を遮られ、結論だけを求められた時間。
(また、同じことをやるところだった)
レインは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
•
魔導書を開く。
今度は、読むためじゃない。
ページの余白に、指でなぞるようにして線を引く。
構造を書き写すのではなく、条件を書き出す。
・成立条件
・干渉点
・例外
・失敗時の挙動
(……そうか)
理解とは、完成じゃない。
更新され続けるものだ。
一度分かったと思った瞬間に、次の理解は始まっている。
止まった理解は、ただの思い込みになる。
レインは、魔導書を閉じた。
「俺の能力は……コピーじゃないな」
《模写理解》
そう呼ばれてはいるが、本質は違う。
理解し、再現し、終わりじゃない。
理解を、状況に合わせて書き換える力。
「……解析だ」
前世の言葉が、自然と口をついた。
壊れた原因を探し、条件を洗い、再発を防ぐ。
同じ問題が二度起きないように、構造そのものを直す。
それが、ずっと自分のやってきたことだった。
•
翌日、ギルドに顔を出すと、空気が少し違っていた。
依頼掲示板の前で、冒険者が一瞬だけ視線を向ける。
好奇でも、敵意でもない。
「知っている誰か」を見る目。
受付の女性は、依頼書を差し出しながら言った。
「これ……一人で行けますか?」
危険度は、これまでよりわずかに高い。
だが、無茶ではない。
レインは一瞬だけ考え、頷いた。
「条件次第です」
即答しなかったことに、受付が少しだけ驚いた顔をする。
「……分かりました。
戻ったら、詳細を教えてください」
それだけでいい。
無理に信頼を勝ち取る必要はない。
•
ギルドを出て、街を歩きながら、レインは思う。
評価は、まだ“静か”だ。
英雄扱いもされていない。
期待も、過剰には向けられていない。
だが、それがいい。
理解する時間がある。
試す余裕がある。
失敗しても、修正できる。
紅鷹にいた頃、欲しかったものはこれだったのだと、今なら分かる。
「……遠回りだな」
そう呟いて、笑った。
でも、その遠回りがなければ、ここには来なかった。
レイン・アルヴェルトは、依頼書を握り直す。
評価されない強さ。
だが、それは――積み上げるための強さだ。
静かに、確実に。
彼の理解は、次の段階へ進んでいく。




