管理対象回収命令
夜は、静かすぎた。
小さな街にしては、
巡回の足音が揃いすぎている。
「……来ましたね」
ミリアが、宿の窓から外を覗いて言った。
通りの端。
白と灰の外套を纏った集団。
数は、五。
動きは統一され、
無駄がない。
「均衡監査庁、
正式部隊です」
レインは、すでに魔導書を閉じている。
読む必要はない。
これは――
交渉の形をした回収作業だ。
•
階下から、
ノックの音。
規則正しく、
逃げ場を与えない叩き方。
「……宿主さんは?」
ミリアの問いに、
レインは首を振る。
「もう、
下がらされています」
「――彼らは、
街を“静かに制圧”します」
再び、ノック。
「均衡監査庁です」
扉越しの声は、
丁寧だった。
「管理対象
リュカ=エインズの
引き渡しを要請します」
リュカは、
ベッドの端に座ったまま動かない。
顔色が、
一段と青い。
「……やっぱり」
声が、
かすれる。
「……逃げても、
無理だよ」
ミリアが、
膝を折って視線を合わせる。
「……どうして?」
リュカは、
視線を落とした。
「“揺らす”んだ」
「近くにいると、
能力がズレる」
「だから……
みんな、
困る」
「……だから、
管理される」
その言葉に、
ミリアの表情が強張る。
「……それ、
理由になってません」
扉の向こうで、
足音が増える。
「最終確認です」
監査官の声。
「抵抗は、
不要です」
「安全に、
回収します」
レインは、
一歩前に出た。
「……質問があります」
扉越しに、
淡々と告げる。
「“回収”した
管理対象の、その後は?」
一拍。
「……必要な処置が
施されます」
答えは、
それだけだった。
レインは、
リュカを見る。
「……リュカ」
少年は、
小さく震えている。
「君は、
ここに残りたいですか?」
「それとも――」
一歩、近づく。
「選びますか?」
リュカは、
唇を噛みしめた。
逃げることを、
最初から考えていなかった。
でも。
目の前の二人は、
違う。
「……連れてって」
小さな声。
「……ここにいたら、
何も選べない」
その瞬間。
扉が、
静かに開いた。
「――要請を拒否と
判断します」
監査官が、
一歩踏み込む。
「管理対象は――」
「こちらで引き取ります」
ミリアが、
剣を抜いた。
「前線は、
私が立ちます」
床が、
きしむ。
レインは、
魔導書に手を置く。
「……リュカ」
「今から、
揺れます」
「でも――」
静かに、告げる。
「理由は、
俺が理解します」
リュカの能力が、
微かに反応した。
《位相同調【フェイズ・シンク】》。
周囲の空気が、
わずかに歪む。
監査官の足が、
一瞬だけ止まった。
「……?」
その隙を、
ミリアは逃さない。
「――通しません!」
剣が、
一閃。
逃走は、
もう始まっていた。
通路に出た瞬間、空気が変わった。
「――包囲完了」
監査官の声が、
複数方向から重なる。
静かで、冷たい。
「抵抗を継続する場合、
制圧行動に移行します」
ミリアは一歩前に出る。
《踏越位【オーバー・ライン】》。
足を置いただけで、
通路が“前線”になる。
「……なら」
剣を構える。
「ここから先は、
通れません」
監査官の一人が、
手を掲げた。
魔力が、
一斉に収束する。
陣形魔法――
複数人で同時に発動する制圧術式。
だが。
「……っ?」
詠唱が、
噛み合わない。
タイミングが、
微妙にズレる。
「……位相が、
乱れている?」
リュカの呼吸が、
荒くなる。
「……ごめん」
「……近くにいると、
こうなるんだ」
「だから……」
声が、
震える。
「……みんな、
壊れる」
「違います」
レインが、
即座に否定した。
リュカの肩に、
手を置く。
「壊しているのは、
君じゃない」
「……?」
「揃えようとする側が、
無理をしている」
魔導書を、
開く。
ページは、
勝手にめくられない。
レインは、
読まない。
見るのは――
リュカ自身。
(……能力は、
無意識)
(同調して、
ズレを作る)
(理由は――)
一拍。
「……“怖いから”だ」
レインが、
静かに言う。
リュカが、
目を見開く。
「……え?」
「能力が暴れるのは、
君が怖がっているからです」
「近づくほど、
“相手と同じになろう”として――
結果、ズレる」
「……それは、
防衛反応です」
リュカの息が、
少し落ち着く。
だが――
監査官は待たない。
「制圧を優先」
別方向から、
別部隊が動く。
「ミリア!」
「分かってます!」
ミリアは、
一歩も下がらない。
《不退一閃【ノー・リトリート】》。
斬撃は、
“倒す”ためではない。
通路を切る。
床に走る亀裂が、
自然なバリケードになる。
「……時間は?」
「十秒」
レインが、即答する。
「……十分!」
ミリアは、
剣を構え直す。
その背中に、
迷いはなかった。
「……リュカ」
レインは、
視線を合わせる。
「揺れていい」
「でも――」
一拍。
「自分の位置だけは、
決めてください」
リュカは、
小さく頷いた。
足を、
一歩引く。
レインの後ろ。
ミリアの、
背後。
「……ここ」
「……ここに、
いる」
《位相同調【フェイズ・シンク】》が、
変化する。
揺れが、
“拡散”から“集中”へ。
「……今です」
レインが、
手を振る。
「――《認識剥離【センス・ストリップ】》」
監査官たちの視界が、
一瞬だけ重なる。
「……っ!」
「追撃、来ます!」
ミリアが、
剣を振る。
「――走って!」
三人は、
裏口へ向かって駆け出した。
夜の街を、
切り裂くように。
逃走は、
まだ終わらない。
だが――
リュカの目には、
初めて“前”が映っていた。
街の外れ。
夜の風が、
一気に強くなった。
「……ここまで来れば」
ミリアが、
振り返って言う。
「追撃は――
来ませんね」
「ええ」
レインも、
足を止める。
街の中で感じていた
均一な圧が、消えていた。
均衡監査庁は、
深追いをやめた。
それが何よりの証拠だった。
•
リュカは、
その場に座り込んだ。
「……はぁ……」
息が、
うまく整わない。
ミリアが、
すぐに隣にしゃがむ。
「大丈夫?」
「……うん」
小さく、
でも確かに頷く。
「……怖かったけど」
一拍。
「……でも、
初めてだった」
「……逃げたの」
その言葉に、
ミリアは目を細めた。
「……それでいいんです」
「逃げるのも、
立ち位置の一つですから」
レインは、
少し離れた場所で
街の灯りを見ていた。
やがて、
ゆっくりと振り返る。
「……リュカ」
「はい」
「もう、
管理対象ではありません」
リュカは、
戸惑ったように目を瞬かせる。
「……え?」
「君が、
自分で選びました」
「それだけで――」
一拍。
「立場は変わります」
リュカは、
しばらく黙っていた。
それから、
小さく笑う。
「……じゃあ」
「……仲間、
なんだよね?」
ミリアが、
即答した。
「もちろん」
「……前線には
立たせませんけど」
「でも」
肩に、
手を置く。
「後ろで、
一緒に立ちましょう」
リュカの目が、
少し潤む。
「……うん」
•
その頃。
街の中。
均衡監査庁の臨時指揮所。
「……回収、失敗」
報告は、
簡潔だった。
「対象は、
二名の能力者により
保護・離脱」
「……第三者能力者」
一瞬の間。
指揮官が、
低く言う。
「……“位相干渉型”か」
「しかも、
制御者がいる」
報告官が、
頷く。
「危険度、
再評価を要します」
「……否」
指揮官は、
静かに首を振った。
「危険度ではない」
一拍。
「分類を誤っていた」
「彼らは――」
視線を、
地図に落とす。
「“能力者”ではなく、
構造を壊す者たちだ」
沈黙。
「次は――
回収では済まない」
•
夜明け前。
街道を歩く三人。
「……あの」
リュカが、
恐る恐る言う。
「……これから、
どうするの?」
ミリアが、
少し考えてから答える。
「……とりあえず」
「朝ごはんですね」
リュカが、
きょとんとする。
レインが、
小さく笑った。
「ええ」
「空腹は、
判断を鈍らせます」
「……それに」
一拍。
「旅は、
続きますから」
リュカは、
二人の背中を見る。
不思議だった。
怖さは、
まだある。
でも。
選んで歩いている
という感覚が、
確かにあった。
均衡監査庁は、
もう放っておかないだろう。
だが――
それでも。
三人は、
歩き続ける。
立ち位置を、
自分で選ぶために。




