英雄たちは、踏み込めなかった
最初に足を踏み入れたのは、ヴァルハルト=レオンだった。
大剣を肩に担ぎ、迷いなく結界の内側へ進む。
「……ほう」
街の空気を吸った瞬間、彼は笑った。
「重いな」
圧迫感ではない。
敵意でもない。
戦場として、成立しすぎている。
「守りに特化した街、って感じじゃねぇ」
一歩、踏み出す。
足取りは重くない。
だが――
「……?」
剣を構えようとして、止まった。
(……遅い)
身体が、わずかに“考えてから”動く。
「チッ」
舌打ち。
「俺の反応を、
街が測ってやがる」
強く踏み込めば、どうなるか。
容易に想像できた。
――壊れる。
だがそれは、
「敵を壊す」のではない。
街そのものを、戦場にしてしまう。
「……やめだ」
ヴァルハルトは剣を下ろした。
「ここは、
俺の出番じゃねぇ」
•
少し離れた路地。
ライザ=クロウデルは、屋根の上で身を低くしていた。
「……最悪」
小さく呟く。
「選択肢が、
減り続けてる」
逃げ道。
奇襲。
撤退ルート。
一秒ごとに、
“最適解”が消えていく。
「……これ」
(……生き残るための街じゃない)
(……戦う覚悟を持った奴だけが、
立っていられる場所)
「……無理」
ライザは、即断した。
「私がやる仕事じゃない」
•
結界の内縁。
イリス=アークライトは、光の魔力を展開していた。
探査。
解析。
「……理解できない」
結界は、破綻していない。
だが、秩序でもない。
「……制御されている」
それも、
魔法陣ではなく。
意思で。
「……人の意思で、
ここまで空間を縛る?」
喉が、ひくりと鳴る。
「……正義では、
触れない」
それが、
英雄としての結論だった。
•
街の外。
ノイン=フェルツは、紙を一枚、破いた。
召喚陣は完成していた。
だが――成立しない。
「……使い捨て不可」
「契約不可」
「代替不可」
「……面倒だ」
感情のない声。
だが、
彼は一つだけ確信していた。
「……中にいる」
「設計者が」
•
英雄たちは、
同じ答えに辿り着く。
この街は――
英雄が解決するための場所ではない。
力でも、
正義でも、
技量でもない。
必要なのは――
“立ち位置を捨てられる者”。
「……誰がやる?」
イリスが、静かに問う。
答えは、
出ている。
だが、
まだ名前は出ない。
英雄たちは、
一歩、退いた。
踏み込めなかったのではない。
踏み込む資格がないと、
理解したのだ。
異変は、音もなく始まった。
街の外縁。
結界の向こう側で、空気が“沈む”。
イリス=アークライトが、ふと足を止めた。
「……来ます」
その声に、ヴァルハルトが笑う。
「だろうな」
だが、余裕はない。
「遅いな、反応が」
大剣を担ぎ直しながら、低く呟く。
「……こいつは、
暴れる前に“位置”を決めるタイプだ」
•
最初に異変を受けたのは、街の外れの魔力灯だった。
一つ、また一つと、
光が“消える”。
壊れたわけではない。
魔力は、ある。
ただ――
供給されなくなった。
「……遮断?」
ノイン=フェルツが、目を細める。
「いや……違う」
紙に描いた即席の術式が、
途中で霧散する。
「……奪われている」
魔力そのものが、
別の“系”に引き込まれている。
•
次に起きたのは、音。
街の外、
見えない位置から――
**“重ねた足音”**が聞こえた。
一人分じゃない。
だが、多人数でもない。
「……嫌な数だな」
ライザが、屋根の上で舌打ちする。
「増えてるのに、
個体が見えない」
逃げ場の計算が、
一気に崩れる。
「……来るよ、これ」
•
結界が、軋んだ。
破られたわけではない。
だが――
押されている。
外側からではない。
内側へ向かって。
「……っ」
イリスが、息を詰める。
「敵は……
街の外にいない」
その瞬間。
街の中央方向で、
“影”が揺れた。
建物の影でも、
雲でもない。
重なった存在感。
「……複数、
同時存在?」
ヴァルハルトが、
初めて表情を険しくする。
「……コピーか」
•
影が、動いた。
街の構造を“なぞる”ように、
配置を確かめる。
道。
広場。
交差点。
まるで――
戦場を設計する者の視線。
「……遅かったな」
低い声が、
どこからともなく響いた。
姿は、見えない。
だが――
確かに“いる”。
「英雄が退くのを、
待っていた」
イリスが、
歯を噛みしめる。
「……あなたが」
「そうだ」
声が、重なる。
一つではない。
複数の音が、
同時に同じ言葉を発している。
「この街は――」
「もう、
俺たちの戦場だ」
影が、街の中心へ向かって動き出す。
英雄たちは、
即座に判断した。
「……止められない」
イリスが、低く言う。
「……ここは、
私たちの役割じゃない」
ヴァルハルトが、
歯を見せて笑った。
「チッ……
完全に出遅れたな」
ライザは、
すでに撤退経路を確保している。
ノインは、
紙を一枚、地に落とした。
「……設計者と、
設計者の戦いか」
街の奥。
そのさらに奥で、
修行を続ける二人は――
まだ、この事実を知らない。
だが。
時間は、
もう残されていなかった。
最初に異変を感じたのは、ミリアだった。
剣を置いたまま、
呼吸を整えていた、その瞬間。
「……来てる」
はっきりとした声。
レインは顔を上げ、
魔導書に触れたまま目を閉じた。
(……早い)
想定よりも、
一段階。
いや――
二段階、早い。
街の内部に、
複数の“成立”が重なっている。
それも、
敵意を隠すつもりのない配置。
「……英雄が、
退いたな」
レインは、
淡々と告げた。
ミリアは、
すぐに理解した。
「……じゃあ」
「ええ」
レインは、
魔導書から手を離す。
「……ここからは、
俺たちの役目です」
沈黙。
ミリアは、
剣を取り上げる。
ゆっくりと、
しかし迷いなく。
「……正直」
一拍。
「今のままじゃ、
足りないですよね」
「ええ」
即答。
「俺も、
そう思います」
ミリアは、
苦笑した。
「……じゃあ、
怖いですね」
「ええ」
レインも、
同じように答える。
「……でも」
視線が、
ぶつかる。
「出ない方が、
もっと怖い」
ミリアは、
深く息を吸った。
そして――
一歩、前に出る。
「……前線は、
私が張ります」
「ええ」
レインは、
小さく頷く。
「俺は――
街を使います」
「……街を?」
「ええ」
レインの目が、
わずかに細くなる。
「この街は、
もう“戦場”です」
「なら――
成立条件ごと、
使わせてもらいます」
ミリアは、
少しだけ目を見開いた。
それから、
静かに笑う。
「……無茶ですね」
「はい」
レインも、
否定しない。
「でも――
ここまで来たら、
それしかありません」
古代書が、
同時に軋んだ。
魔導書と剣術書。
まるで、
出撃命令を出すように。
•
街へ向かう途中。
扉を開ける直前、
ミリアが足を止めた。
「……レイン」
「はい」
「もし――
途中で倒れたら」
「ええ」
「……迷わず、
置いていってください」
レインは、
一瞬だけ沈黙した。
それから――
はっきりと首を振る。
「……それは、
しません」
ミリアが、
少し驚いた顔をする。
「理由は?」
「……前線が、
成立しなくなるからです」
理屈だ。
だが、
それだけではない。
ミリアは、
ふっと笑った。
「……了解です」
扉が、開く。
外の空気は、
重く、張り詰めていた。
街は、
もう待っていない。
だから二人は、
出る。
未完成のまま。
代償を抱えたまま。
だが――
逃げるつもりは、
最初からなかった。




