不完全な成功
成功は、
拍子抜けするほど静かに訪れた。
派手な光も、
轟音もない。
ただ――
**“通った”**という感覚だけが残った。
•
レインは、立っていた。
だが、
感覚が少しおかしい。
視界が、
わずかに遅れる。
(……世界が、
一拍遅れて追いつく)
それでも。
(……成立している)
机の上。
小さな魔力結晶。
外部から与えられた刺激――
本来なら反応するはずの簡易魔法陣。
レインは、
そこに手をかざした。
「……《成立破棄》」
声は、低く。
次の瞬間。
魔法陣は、
最初から存在しなかったかのように消えた。
爆発も、
暴走もない。
ただ、
“なかった”。
「……」
レインは、
一歩、後ろに下がる。
膝が、
少し震えた。
(……重い)
成功だ。
確かに。
だが――
思考の端が、
削られている。
今、
何を考えていたか。
一瞬、
分からなくなる。
「……レイン」
ミリアが、
すぐに気づいた。
「大丈夫ですか」
「……はい」
一拍遅れて、
答える。
「ただ……
長くは、無理です」
(……一戦、
一度か)
•
ミリアの方も、
同時に掴んでいた。
剣を構え、
一歩、前に出る。
相手はいない。
だが――
線は、ある。
踏み越えてはいけない線。
越えた瞬間に、
斬るべき位置。
(……来る)
(……ここ)
呼吸が、
極端に静かになる。
身体が、
勝手に前に出る。
「……《踏越位》」
一歩。
世界が、
縮んだ。
「……っ」
次の瞬間。
剣先が、
“そこにあるはずの敵”を
正確に貫いた感覚。
何もない空間なのに、
手応えだけがある。
「……」
ミリアは、
剣を下ろす。
足が、
少しふらつく。
(……抜けた)
成功だ。
確かに。
だが――
脚が、
自分のものじゃない。
「……はぁ」
息を吐く。
「……これ、
何回も使えませんね」
•
二人は、
椅子に腰を下ろした。
しばらく、
言葉が出ない。
「……成功、
ですね」
ミリアが、
先に言う。
「ええ」
レインは、
頷く。
「でも――
完成じゃない」
「はい」
ミリアも、
即答した。
「今のままじゃ、
本番で使ったら……」
「倒した後に、
動けなくなります」
沈黙。
だが、
失望はない。
むしろ――
方向が、はっきりした。
「……でも」
ミリアが、
小さく笑う。
「“使える”って、
分かっただけでも」
「十分ですね」
レインも、
同じように笑った。
修行は、
間違っていなかった。
代償は、
想定内だ。
問題は――
どうやって、
それを背負ったまま戦うか。
外の世界は、
待ってくれない。
だからこそ。
不完全でも、
前に進むしかない。
扉がノックされた。
それだけで、部屋の空気が変わる。
ミリアが反射的に立ち上がり、剣に手をかけた。だが――間に合わない。ノックの直後、扉は静かに開いた。
「……失礼」
低く落ち着いた声。遠慮はない。
入ってきたのは一人の女性だった。
白を基調とした装束に、淡く光を帯びた魔力。
イリス=アークライト。
「……英雄」
ミリアが小さく呟く。
イリスは二人を一瞥した。その視線に感情はない。評価でも敵意でもなく、ただの“確認”。
「……やはり」
視線が、部屋の中央へ向く。
机の上に置かれた古代書。消えきらない魔力の残滓。
「この街で起きている異変の中心は、あなたたちですね」
断定だった。
「……違います」
即座に、レインが言葉を返す。
「この街を守っているだけです」
「同義です」
イリスは一歩、踏み込んだ。
「あなたたちは、街の“成立条件”を書き換えています」
空気が張り詰める。
ミリアの足が、半歩前に出た。
だが、レインが静かに手で制する。
「……英雄が、何の用で?」
「警告です」
イリスの声は冷静だった。
「この街は、すでに“管理外”に入っています。放置すれば――」
一拍。
「討伐対象になります」
言葉は静かだったが、意味は重い。
ミリアの喉が、無意識に鳴る。
街ごと、という意味だ。
「あなたたちが善意で動いていることは理解しています」
イリスは続ける。
「ですが、結果が世界に及ぶ以上……世界は、あなたたちを待ちません」
沈黙が落ちる。
レインは、ゆっくりと息を吐いた。
「……猶予は?」
「ありません」
即答だった。
「すでに複数の英雄が動いています」
脳裏に浮かぶ顔。
ヴァルハルト、ライザ、ノイン。
――来る。
「……今、修行の途中です」
レインは正直に言った。
「未完成です」
イリスは一瞬だけ目を伏せ、それから顔を上げた。
「……それでも」
わずかに感情の混じった声で言う。
「止められるなら、止めてください」
理想と現実の間で揺れる言葉。
「私は……無関係な人が巻き込まれるのが、一番嫌いです」
そう言い残し、イリスは踵を返した。
扉が閉まる。
再び、静寂。
ミリアが拳を握りしめる。
「……待ってくれない、んですね」
「ええ」
レインは椅子に腰を下ろした。
頭が、重い。
(……思考が削れている)
今の自分で英雄と対峙できるか。
答えは、否だ。
「……レイン」
ミリアが真っ直ぐに言う。
「出ますか」
レインは少しだけ考え、首を振った。
「……まだです」
「……でも」
「出るなら、“止められる状態”で出ます」
視線を古代書へ向ける。
「……あと一段だけ、踏み込みます」
ミリアは一瞬目を閉じ、それから開いた。
「……分かりました」
剣を強く握る。
「じゃあ――退路は、完全に消しましょう」
レインは小さく笑った。
「ええ。世界が待たないなら……こちらも、待たせません」
古代書が、再び軋んだ。
修行は、続行ではない。
強行だ。
部屋の灯りを落とした。
余計な刺激を、すべて断つためだ。
ミリアは壁際に立ち、剣を構える。
レインは机の前に座り、魔導書に両手を置いた。
会話は、ない。
今さら言葉で確認する段階は過ぎていた。
(……やる)
レインは、静かに呼吸を整える。
《因果遮断》を“使う”のではない。
《成立破棄》を“通す”のでもない。
――両方を、同時に成立させる。
未完成の技同士を噛み合わせる。
理屈では、やってはいけない。
だが、時間がない。
「……来ます」
ミリアが、低く言った。
敵はいない。
それでも、来ると分かる感覚がある。
レインは、目を閉じた。
世界が、薄くなる。
「……《因果遮断》」
断つ。
だが、完全には切らない。
“原因”を半分だけ削り、
“結果”が起きる余地を、わずかに残す。
頭が、ぐらりと揺れた。
(……重い)
視界の端が、欠ける。
時間感覚が、歪む。
だが――
魔導書の核心章が、初めて“繋がった”。
「……っ」
同時。
ミリアが、一歩踏み出した。
《踏越位》。
だが、いつもより浅い。
距離は詰まらない。
それでも――
“線”だけは、はっきり見えた。
(……今)
剣を振る。
《不退一閃》――未完成。
斬撃は、空を切る。
だが、世界が一瞬だけ止まった。
ほんの刹那。
その間に、
ミリアの剣先が“本来存在しないはずの位置”に到達する。
「……っ!」
足が、崩れた。
膝が床に着く。
だが――
退いていない。
レインも、限界だった。
魔導書から手を離し、
椅子に深くもたれかかる。
思考が、砂のように零れ落ちる。
(……何を、
考えてた?)
一瞬、分からない。
それでも。
「……ミリア」
声は、出た。
「……はい」
息を荒くしながら、答える。
「……今の」
「ええ」
ミリアは、ゆっくり立ち上がった。
「……“通りました”」
完全ではない。
安定もしていない。
だが――
重ねて使える。
二人の技が、
初めて“噛み合った”。
古代書が、反応した。
魔導書のページに、新しい注釈が浮かぶ。
――「複合成立:可(不安定)」
剣術書の余白に、
淡い文字が刻まれる。
――「前線固定、条件未完」
「……評価、
厳しいですね」
ミリアが苦笑する。
「ええ」
レインも、同じように笑った。
「でも――
拒絶は、されていません」
沈黙。
二人とも、動けない。
だが、
後悔はなかった。
「……これで」
ミリアが、呟く。
「出られますね」
レインは、目を閉じたまま答える。
「……ええ」
「未完成でも、
止めるためなら」
外の世界は、待っていない。
だからこそ。
完成していなくても、
踏み出す。
それが、
今の二人の選択だった。




