世界は、待ってくれない
異変は、
誰かが声を上げるより先に起きていた。
街の外縁。
結界に触れた空気が、
わずかに“重い”。
「……妙だな」
ライザ=クロウデルは、
屋根の上で足を止めた。
双短剣を腰に下げ、
軽い身のこなしで街を見下ろす。
「風の流れが……
逃げ場を探してる」
彼女は、
“嫌な予感”にだけは敏感だった。
「結界、
こんな張り方じゃなかったはずだろ」
•
同じ頃。
街の正門前。
ヴァルハルト=レオンが、
巨大な剣を肩に担いだまま立ち尽くしていた。
「……ほう」
一歩、前に出る。
結界が、
反応しない。
「通すつもりは、
ない……か」
笑みが浮かぶ。
「気に入った」
彼は、
力で押し破ることもできた。
だが――
しなかった。
「守る気だな、
この街は」
•
光の魔力が、
空に淡く広がる。
イリス=アークライトは、
その揺らぎを見逃さなかった。
「……歪み」
指先に光を灯し、
結界の“理”を読む。
「……これは」
眉をひそめる。
「結界というより……
制御領域?」
「誰が、
こんなものを」
•
街の酒場。
ノイン=フェルツは、
椅子に座ったまま、
召喚陣を紙に描いていた。
途中で、
ペンが止まる。
「……成立しない」
魔力の流れが、
途中で“消える”。
「……遮断されている?」
無感情な目が、
窓の外に向く。
「……街そのものが、
拒絶している」
•
それぞれが、
同じ結論に辿り着く。
――この街は、
今までとは違う。
•
その頃。
拠点の一室。
レインとミリアは、
まだ修行を続けていた。
外の変化を、
知らない。
だが――
古代書は、知っている。
魔導書のページが、
一枚、自然にめくれた。
そこに書かれていたのは、
短い一文。
――「間に合わぬ者は、残らぬ」
レインは、
思わず顔を上げた。
「……ミリア」
「はい」
「……外が、
動き始めています」
ミリアは、
一瞬だけ目を閉じ、
それから剣を握り直した。
「……なら」
「急ぎましょう」
退路はない。
世界は、
修行が終わるまで
待ってはくれない。
街の外周に、
人が集まり始めていた。
冒険者。
行商。
情報屋。
理由は一つ。
――この街、
近づくと落ち着かない。
•
「……長居は、
しない方がいいな」
ライザ=クロウデルは、
屋根の縁に腰を下ろしながら言った。
視線は、結界の内側。
「逃げ道が、
計算しづらい」
それは、
彼女にとって致命的だった。
「守られてる街ってのは、
大体“中は安全”なんだけどさ」
肩をすくめる。
「ここは逆だ」
「中に入った瞬間、
選択肢が減る」
•
正門前。
ヴァルハルト=レオンは、
結界に手を伸ばしかけて、
止めた。
「……なるほど」
彼の直感が、
警鐘を鳴らしている。
「俺が入れば、
街は壊れる」
「だが――」
口元が、歪む。
「壊れないように
作られている」
つまり。
「中の連中、
俺を想定してるな」
それが、
気に入らなかった。
そして――
少しだけ、
面白かった。
•
結界の外れ。
光を纏ったイリス=アークライトが、
魔力探査を続けていた。
「……危険」
はっきりと、そう判断する。
「この街の結界は、
外敵を弾くためのものではない」
同行していた聖騎士が、
怪訝な顔をする。
「では、何のために?」
イリスは、
一瞬、言葉に詰まった。
「……中にいる者を、
成立させるため」
「成立?」
「ええ」
イリスの声は、
少し硬い。
「人の意思、
戦う覚悟、
役割分担」
「それらが、
曖昧な者ほど――
居心地が悪くなる」
「……そんな結界」
「聞いたことがない」
だからこそ。
「危険です」
「正義の名の下に、
介入すべきかもしれない」
•
酒場の二階。
ノイン=フェルツは、
紙を畳み、立ち上がった。
「……契約不能領域」
ぼそりと呟く。
「召喚、
強化、
一時的な力の借用」
すべてが、
途中で“成立しない”。
「……嫌いだ」
理由は、単純。
「使い捨てが、
成立しない」
彼は、
外へ出た。
視線は、
結界の中心――
街の奥へ。
「……中にいるな」
「この街を
“設計した者”が」
•
情報は、
自然と集まる。
「英雄が来てるらしい」
「結界がおかしい」
「街に入った奴、
動きづらくなったって」
噂は、
形を持ち始める。
そして――
一つの判断に、
収束していく。
――この街は、
放置できない。
•
その頃。
拠点の一室。
ミリアは、
剣を構えたまま、
汗を流していた。
脚が、
限界に近い。
だが、
退かない。
レインは、
魔導書の前で、
目を閉じている。
外の圧を、
感じ取っていた。
(……近い)
(……英雄クラスが、
複数)
理解が、
追いついていない。
だが――
時間も、
足りない。
「……ミリア」
「はい」
「……次、
無茶をします」
ミリアは、
即答した。
「……一緒に、
やりましょう」
古代書が、
静かに軋んだ。
まるで。
「それでいい」
と、言うように。
部屋の空気が、変わった。
目に見えるわけじゃない。
音がしたわけでもない。
だが――
張り詰め方が、一段深くなった。
レインは、魔導書から手を離さなかった。
(……来てる)
外の圧。
英雄クラスの存在。
街が、
「観測され始めている」。
その事実が、
はっきりと分かる。
「……ミリア」
低い声。
「はい」
ミリアは、剣を構えたまま答える。
「……次の修行は」
一拍。
「戻れない可能性があります」
はっきりと、そう言った。
ミリアは、
一瞬だけ目を閉じた。
それから――
開く。
「……どんな?」
「……俺の場合」
レインは、言葉を選ぶ。
「《因果遮断》を、
完全に使います」
ミリアの指が、
わずかに強く剣を握る。
「……それって」
「ええ」
レインは、頷いた。
「切り戻せない可能性がある」
理解の連続性。
判断の安全域。
それらが、
永久に欠けるかもしれない。
「……ミリアは」
視線を向ける。
「《不退一閃》を、
“条件成立”まで持っていきます」
「……一人で?」
「ええ」
ミリアは、
一瞬、息を止めた。
条件は、分かっている。
退路を消す。
援護を考えない。
戻らない前提で立つ。
「……」
剣を、
床に突き立てる。
「……分かりました」
声は、
揺れていない。
「じゃあ――
やりましょう」
•
古代書が、
静かに反応した。
魔導書の文字が、
一段濃くなる。
剣術書のページが、
自然にめくられる。
まるで――
待っていたかのように。
•
レインは、
深く息を吸った。
「……《因果遮断》」
今回は、
“触れる”ではない。
断つ。
瞬間。
視界が、
一部欠けた。
色が、
一段薄くなる。
「……っ」
膝が、
わずかに落ちる。
(……削れた)
だが――
成功している。
魔導書の一節が、
今までとは違う意味で
“読めた”。
「……なるほど」
これは、
力じゃない。
代償を払って、
立ち位置を固定する技だ。
•
同時。
ミリアは、
剣を構えたまま動かない。
足を、
一歩も引かない。
呼吸が、
荒くなる。
身体が、
悲鳴を上げる。
(……怖い)
だが。
(……下がらない)
背後に、
何も置かない。
希望も、
計算も。
ただ――
前に立つ自分だけ。
その瞬間。
世界が、
“静止したように”見えた。
一本の線。
敵が来る場所。
斬るべき位置。
(……これ)
(……これが)
「……不退一閃」
声は、
まだ小さい。
だが――
条件は、成立しかけている。
•
二人とも、
立っている。
だが――
余裕は、ない。
「……戻れませんね」
ミリアが、
小さく言う。
「ええ」
レインは、
同じように答える。
「でも――」
視線を、
外の世界へ向ける。
「間に合わないより、
いい」
古代書は、
何も言わない。
ただ、
拒絶もしない。
修行は、
“試し”を越えた。
ここから先は――
選ばれた者だけが、
進める領域。
世界は、
待ってくれない。
だから二人は、
止まらない。




