理解するということ
遺跡を離れて三日。レインは、人里の匂いを避けるように森の縁を歩いた。
誰かに見つかるのが怖い――というより、今はまだ「見られたくない」。追放された直後の自分の顔なんて、他人に晒せたものじゃなかった。
腹の奥が、時々ずきりと痛む。蹴られた場所だ。
痛みが引くたびに、代わりに思い出が浮かぶ。
焚き火。冷たい目。
「足手まといだ」
「うざいんだよ」
そして地面の味。
「……クソが」
吐き捨てても、何も変わらない。
レインは歩きながら拳を握り、ほどき、また握った。怒りはある。泣きついた自分への惨めさもある。あいつらを言い負かせなかった悔しさもある。
でも――戻りたいかと言われたら、違う。
あの場にいた瞬間、確かに理解した。
紅鷹は「理解」を待たない。成果が遅いものを、平気で切り捨てる。たとえ今後それが必要になるとしても。
(だったら……俺が先に証明するしかない)
夜、焚き火を起こし、レインは古代魔導書を開いた。
読めない文字。だが、ページをめくると頭の奥が熱を持つ。意味が“形”で入ってくる感覚。
《模写理解》が、静かに息をした。
「……これ、呪文じゃないな」
魔法の説明ではなく、構造の手順。
魔力をどこで増幅し、どこで絞り、どこで解放するか。分岐と収束。安全弁。燃費。全部が書かれている。
前世の自分が、嫌なほど蘇る。
障害ログを追って、原因を見つけても、上司に「理屈はいいから早く直せ」と言われた日々。理解する時間が、いつも奪われていた。
レインはページの一行に指を置いた。
理解は一瞬じゃない。だが、今夜は邪魔が入らない。
「……よし。順番に行く」
怒りも惨めさも、全部ここに押し込める。
理解して、再構築して、結果にする。
それができた瞬間――世界は、もう一度変わる。
夜が深まるにつれ、森は音を失っていった。
虫の声も、遠くの獣の気配も、焚き火の小さな爆ぜる音の前では溶けていく。
レインは膝の上に魔導書を置き、ページを何度も行き来させていた。
読む、というより――照らし合わせるに近い。
「ここで魔力を増幅させて……いや、違うな」
原典では、魔力を一気に引き上げてから制御している。
力任せだ。確かに威力は出るが、反動も大きい。
今の自分の魔力量では、再現しようとしても破綻する。
(だから、切り分ける)
レインは思考を止めない。
前提条件を一つずつ外し、構造を分解する。
魔法は現象だ。
現象には必ず、条件と順序がある。
「……この部分、今の魔法理論で代用できるな」
古代魔法特有の制御工程。
それを、現代で一般化している補助詠唱に置き換える。
意味は同じだが、燃費が違う。
ページの余白に、地面の枝で簡単な図を描く。
流れ、分岐、収束。
頭の中だけで処理するには、少し複雑すぎた。
「理解……できてる」
自分で言って、少し驚いた。
紅鷹にいた頃は、いつも途中で遮られた。
「遅い」「要らない」「結果論だ」。
理解する前に、打ち切られていた。
今は違う。
時間がある。邪魔もない。
理解が、ちゃんと最後まで走る。
•
翌朝、レインは焚き火を消し、森の奥へ進んだ。
魔物の気配がある。小型。単体。
(検証にちょうどいい)
以前なら、ただ倒すだけだった。
だが今日は違う。試す。
魔導書の構造を、昨夜組み直した形で再生する。
詠唱は最低限。魔力の量も抑える。
「……行け」
発動は静かだった。
派手な光も音もない。
魔物が一歩踏み出そうとした瞬間、動きが止まる。
縛られたわけでも、凍ったわけでもない。
まるで――“行動の理由”を失ったように。
数秒後、魔物はそのまま倒れた。
生命力が削られたというより、成立条件が崩された結果だった。
レインはしばらく動けなかった。
成功した。だが、想像以上に“綺麗”だった。
「……これが、再構築か」
古代魔法を、そのまま真似したわけじゃない。
理解した上で、今の自分に合う形に作り直した。
紅鷹が欲しがっていたのは、即効性だ。
派手で、分かりやすくて、すぐ勝てる力。
でも――
(これの方が、ずっと強い)
燃費が良い。
制御できる。
再現性がある。
何より、“次”につながる。
•
レインは座り込み、深く息を吐いた。
胸の奥に溜まっていたものが、少しずつ解けていく。
「雑魚モンスターの能力しかコピーできない」
あの言葉を、頭の中で転がす。
確かに、間違いではなかった。
理解しやすい相手からしか、力を引き出せなかったのだから。
だが、それは――順番の問題だった。
「最初から難しいことができる奴なんて、いない」
理解して、積み上げて、ようやく形になる。
それを待てない連中とは、そもそも噛み合わなかっただけだ。
レインは立ち上がる。
魔導書を抱え、森の外へ向かう。
一人でもいい。
遅くてもいい。
理解する時間を、ようやく取り戻したのだから。
森を抜けた先に、小さな街があった。
石造りの門と、簡素な木柵。大都市とは言えないが、冒険者の出入りは多い。
レインはフードを深く被り、街に入った。
視線が気になる。追放されたばかりの自分が、誰かに見られる気がして落ち着かなかった。
だが、誰も彼を知らない。
紅鷹の名は多少知られていても、レイン個人を覚えている者はいない。
(……当たり前か)
それが少しだけ、救いだった。
•
冒険者ギルドは街の中央にあった。
掲示板には依頼書がびっしりと貼られている。
レインはそれを一枚ずつ見ていった。
高ランクの討伐依頼。複数人前提。
護衛任務。緊急性重視。
どれも、今の自分には早い。
(急ぐな)
前世でも、同じ失敗をした。
成果を急いで、応急処置を重ねて、結局もっと大きな問題を生んだ。
理解には順番がある。
ここでも、それは変わらない。
目を落とした先に、地味な依頼があった。
――近郊に出没する小型魔物の調査および討伐。
危険度:低。
報酬:最低限。
「……これでいい」
派手さはない。
だが、一人で請けられる。検証もできる。
レインは依頼書を剥がし、受付へ向かった。
•
数時間後。
依頼先の森で、レインは再び魔物と向き合っていた。
昨日倒した個体と、似ている。
だが、完全に同じではない。
(だから、見る)
動き。魔力の立ち上がり。
前提条件の違い。
昨夜再構築した魔法を、そのまま使わない。
必要な部分だけを抜き出し、微調整する。
発動。
結果は――成功。
だが、昨日よりわずかに遅い。
原因はすぐに分かった。
(前提が違う。こっちは魔力の“溜め”が深い)
修正は次だ。
魔物を倒し終え、レインは息を整えた。
疲労はある。だが、焦りはない。
一歩ずつでいい。
理解した分だけ、確実に前に進んでいる。
•
依頼を終え、ギルドに戻ると、受付の女性が少し驚いた顔をした。
「もう終わったんですか?」
「はい。問題ありません」
淡々と答える。
誇る必要はない。
依頼達成の確認を終え、報酬を受け取る。
少額だが、十分だ。
「……あの」
受付が、言いづらそうに口を開いた。
「もしよければ、次も同じような依頼、受けます?」
レインは一瞬考え、頷いた。
「はい。お願いします」
それだけでいい。
評価は、後からついてくる。
•
ギルドを出た後、レインは街外れで足を止めた。
夕暮れが近い。空が赤く染まっている。
紅鷹といた頃、この時間はいつも戦果の確認だった。
成果を急かされ、説明を遮られ、理解する時間はなかった。
今は違う。
「……やっとだな」
誰に向けた言葉でもない。
自分自身への確認だ。
理解して、積み上げて、形にする。
それを続ければいい。
レイン・アルヴェルトは、静かに歩き出す。
遅咲きで、不器用で、だが確実な成長の道を。
追放された解析役は、
今、ようやく“自分の物語”を始めた。




