強くなるということは、削られるということ
修行は、
「始めます」と言って始まるものじゃなかった。
拠点の一室。
机の上に置かれた二冊の古代書。
それだけ。
道具も、
指導者も、
時間制限もない。
「……やっぱり」
ミリアが、剣術書を見下ろして言う。
「これ、
優しく教える気ないですよね」
「ええ」
レインは、魔導書から目を離さず答えた。
「むしろ――
振り落とす気です」
ページをめくるたび、
思考が削られる感覚がある。
理解しようとすればするほど、
「足りない部分」が浮き彫りになる。
(……知識じゃない)
(……姿勢だ)
魔導書は、
“覚える者”を求めていない。
“耐える者”を選んでいる。
•
ミリアは、剣を持ったまま立っていた。
構えは、
これまで何度も取ってきた基本の型。
だが――
剣術書に描かれているのは、
**「動かない人間」**だった。
「……なんで」
一歩も踏み込まず、
一切の攻撃を想定しない立ち方。
「……これが、
修行?」
違和感。
身体が、
勝手に“楽な逃げ道”を探す。
後ろに下がれば、
すぐに解消できる圧迫感。
「……ダメだ」
ミリアは、歯を食いしばる。
「退くな」
誰に言うでもなく、
自分に言い聞かせる。
すると――
足が、震え始めた。
「……っ」
剣術書のページが、
静かにめくられる。
風もないのに。
まるで、
“それでいい”と言われたように。
•
一方、レイン。
魔導書の一節に、
完全に足を止めていた。
――「因果は、結果より先に折れる」
「……因果遮断」
小さく、口に出す。
だが、
読んだだけでは意味がない。
(……やってみろ、ってことか)
レインは、
机の上の小石を一つ、指で弾いた。
飛ぶ。
それだけのはずだった。
だが、
途中で――
消えた。
「……」
成功した、とは思えない。
むしろ、
“何かを失った”感覚が強い。
(……今の一瞬)
(……俺、
何を切った?)
背中に、
冷たい汗が流れる。
•
夜が、深まる。
二人とも、
ほとんど言葉を交わさない。
だが、
やめようとはしない。
「……レイン」
ミリアが、ぽつりと呼ぶ。
「はい」
「これ……
楽になりませんよね」
レインは、正直に答えた。
「……なりません」
一拍。
「多分、
強くなればなるほど――
余裕が消えます」
ミリアは、
少しだけ笑った。
「……そういうの、
嫌いじゃないです」
レインも、
小さく笑った。
修行は、
もう始まっている。
強くなるとは、
何かを足すことじゃない。
削られることだ。
そして――
それを受け入れた者だけが、
次に進める。
最初に異変が出たのは、
レインの方だった。
「……来るな」
小さく、だが確かな声。
ミリアが顔を上げる。
「何か、ありました?」
「……ええ」
レインは、魔導書から目を離さない。
だが――
ページを見ているのに、
文字が、理解できない。
「……?」
さっきまで読めていた一節が、
ただの記号の塊に見える。
(……視界が、ズレてる)
《因果遮断》。
さっき、
“軽く”使ったはずの技。
その反動が、
じわじわと現れていた。
「……理解が、
一部抜け落ちてる」
ミリアが、眉をひそめる。
「抜け落ちてる……?」
「はい」
レインは、額を押さえた。
「魔導書の構造が……
“連続していない”」
まるで、
文章の途中を
ハサミで切り取られたような感覚。
(……代償か)
因果を断った代わりに、
自分の理解の連続性が削られている。
「……危険ですね」
ミリアが、静かに言う。
「ええ」
レインは、苦笑した。
「想定より、
ずっと」
•
ミリアの方も、
無事ではなかった。
立つ。
ただ、
立ち続ける。
それだけの修行。
だが――
時間が経つほど、
足元の感覚が曖昧になる。
(……あれ?)
床に、
足がついているはずなのに。
(……軽い)
踏ん張っている感覚が、
薄れていく。
「……っ」
一瞬、
重心がズレた。
本来なら、
すぐに修正できる。
だが――
修正できない。
「……!」
ミリアは、
思わず一歩、後ろに下がった。
その瞬間。
剣術書のページが、
バンッと閉じた。
風もないのに。
「……あ」
ミリアは、
息を詰める。
(……今、
退いた)
ほんの半歩。
だが――
剣術書は、
それを見逃さなかった。
胸の奥に、
ズンと重いものが落ちる。
(……これ)
(……許されないやつだ)
•
沈黙。
二人とも、
何も言わない。
だが、
空気は張り詰めている。
「……続けますか」
レインが、先に口を開いた。
ミリアは、
即答しなかった。
一度、
深く息を吸う。
「……続けます」
声は、
揺れていない。
「……ただし」
剣を、
しっかりと握る。
「次は、
退かない前提で」
レインは、
ゆっくり頷いた。
「俺も……
使い方を変えます」
「切るんじゃない」
「削られる覚悟で、
触る」
二人は、
視線を合わせた。
修行は、
「うまくやる」ものじゃない。
耐えるものだ。
•
夜明け前。
部屋の空気が、
ひどく重い。
だが――
どちらも、
本を閉じない。
「……レイン」
ミリアが、
かすれた声で言う。
「これ……
最後まで行ったら」
「……どうなると
思います?」
レインは、
少し考えてから答えた。
「……多分」
「今までの自分では、
いられません」
ミリアは、
小さく笑った。
「……それでも、
いいですね」
「ええ」
レインも、
同じように笑った。
強くなるということは、
何かを得ることじゃない。
削られた後に、
何が残るかを
確かめることだ。
修行は、
まだ始まったばかりだった。
夜が、完全に明ける前。
部屋の空気は、
一晩中張り詰めたままだった。
二人とも、
ほとんど動いていない。
だが――
確実に、変わっていた。
•
ミリアは、立っていた。
相変わらず、
ただ立っているだけ。
だが、
前とは違う。
(……逃げ道を、
探してない)
身体が、
“下がる可能性”を計算しなくなっている。
怖さは、ある。
足も、重い。
それでも――
退くという選択肢が、
思考に浮かばない。
「……」
剣術書のページが、
今度は閉じない。
風も、起きない。
ただ、
静かに開いたまま。
「……これ」
ミリアは、
小さく息を吐く。
(……立ててる)
勝っていない。
斬っていない。
でも――
成立している。
その瞬間。
視界が、
ほんの一瞬だけ研ぎ澄まされた。
敵が来る方向。
剣を振るべき線。
(……見えた)
だが、
次の瞬間には消える。
「……まだ、
一瞬だけ」
それでも。
「……いい」
ミリアは、
自分に言い聞かせる。
•
一方、レイン。
彼は、
魔導書を“読んでいなかった”。
ただ、
ページに手を置いている。
理解しようとしない。
切ろうともしない。
(……触れる)
因果を、
断ち切るのではなく。
“触れて、流す”。
小石を、
そっと指で転がす。
飛ばさない。
動くかどうかも、
気にしない。
すると――
石が、途中で止まった。
消えない。
壊れない。
ただ、
「次に進まなかった」。
「……」
レインは、
ゆっくり息を吐いた。
(……これか)
切るから、
削られる。
触れて、
受け流すから――
残る。
「……因果遮断」
小さく呟く。
だが、
先ほどとは違う。
今回は、
頭が欠けていない。
理解の連続性も、
保たれている。
(……範囲も、
精度も低い)
(……でも)
「……生きてる」
•
二人は、
同時に顔を上げた。
目が、合う。
言葉は、いらない。
「……今の」
ミリアが、
先に言う。
「ほんの一瞬でしたけど……
分かりました」
「俺もです」
レインは、頷く。
「使えた、
とは言えません」
「でも」
一拍。
「方向は、
間違っていない」
沈黙。
それは、
重くない。
むしろ、
確かな手応えを含んでいる。
•
朝日が、
窓から差し込む。
古代書は、
何も語らない。
だが――
拒絶もしない。
「……続けましょう」
ミリアが、言う。
「ええ」
レインも、答える。
「今度は、
“削られない使い方”を
見つける」
二人は、
それぞれの位置に戻った。
修行は、
まだ終わらない。
だが――
進み方は、
見えた。
強くなるとは、
壊れることじゃない。
削られながら、
残るものを選ぶことだ。
そして二人は、
確かにそれを――
掴みかけていた。




