進めたはずの場所が、消える
最初に異変が起きたのは、
整備されたはずの街道だった。
切られていない。
壊されてもいない。
だが——
昨日まで“進んでいた工程”だけが、抜け落ちていた。
「……あれ?」
朝番の警吏が、首を傾げる。
道はある。
門も立っている。
補修した蝶番も、確かにそこにある。
だが。
「……通った、よな?」
昨日、荷車が通ったはずの轍が、ない。
整えたはずの敷石が、“未整備だった状態”に戻っている。
破壊ではない。
巻き戻しでもない。
——工程が、存在しなかったことにされている。
⸻
同時刻。
別の街。
倉庫の前で、管理者が立ち尽くしていた。
「……確認は、終わっている」
「数も合ってる」
「配置も……」
言葉が、止まる。
「……あれ?」
帳簿はある。
数字も書かれている。
だが——
“確認した”という行為だけが、どこにも残っていない。
誰が見たのか。
いつ終わったのか。
その工程が、最初から存在しなかった。
「……やってない?」
「いや、やったはずだ……」
管理者は、汗をかく。
責任ではない。
判断でもない。
進めたはずの途中段階が、丸ごと消えている。
⸻
報告は、連鎖した。
・整備した道が“未整備扱い”に戻る
・仕分けた物資が“未分類”になる
・準備した配置が“未着手”に書き換わる
共通点は一つ。
決断を伴わない工程だけが、喰われている。
⸻
世界機関。
調整官が、珍しく言葉を詰まらせた。
「……これは」
「選択の停止ではありません」
「意思の固定でもない」
記録官が、低く言う。
「工程の抹消です」
「“進めた事実”そのものが、
世界に認識されなくなっている」
「まるで——」
言葉を探す。
「……飢餓だ」
「意味を、喰っている」
⸻
蒼衡の前線指揮室。
戦域図に、
不可解な空白が浮かび上がる。
「……切れていない」
「だが——」
副官が、歯を食いしばる。
「切る前の準備が、消えています」
蒼衡の指揮官は、即座に理解した。
「……工程を、喰う存在」
「切れない理由を、
先に消している」
これは、
蒼衡への対策でもあった。
⸻
そして、《非裁定》。
レインは、報告を聞き終え、
静かに目を閉じた。
「……来たな」
ミリアが、声を強める。
「これって……」
「うん」
レインは、はっきり言う。
「原初の飢餓だ」
「選択を喰い」
「代理を喰い」
「今度は——」
拳を、ゆっくり握る。
「進む途中そのものを、喰い始めた」
リュカが、低く呟く。
「……俺たちの“次”を、
潰しに来てる」
「そうだ」
レインは、前を見る。
「だから——」
「これはもう、
思想だけじゃ止まらない」
遠く、誰にも見えない場所で、
“満腹度”が更新される。
「工程、良好」
「抵抗、観測」
「次は——
現場ごと喰う」
レインは、小さく息を吐いた。
「……行くぞ」
「今度は」
「喰われる前に、殴る」
世界は、再び動き出す。
だがそれは——
飢餓との、正面衝突の始まりだった。
異変の中心は、
街道都市の外れにある臨時集積所だった。
本来なら、
ここは「決めなくても進む場所」だった。
物資は一時的に置かれ、
分類され、
次の行き先が“後で”決められる。
判断を先送りするための、
緩衝地帯。
——だが。
「……動かない」
倉庫番の男が、呟いた。
荷はある。
人もいる。
だが、
誰も“次の作業”に入れない。
「整理は終わってる」
「でも……」
「終わった“あと”が、無い」
整理したはずの箱が、
再び混ざっている。
だがそれは、
混乱ではなかった。
“整理済み”という工程が、
初めから存在しなかったことにされている。
「……っ」
男は、頭を押さえる。
怒りでも、恐怖でもない。
ただ、
自分の中から“やったはずの時間”が抜け落ちている。
⸻
その時。
男の影が、
わずかに揺れた。
光源は、変わっていない。
太陽も、雲も、同じだ。
だが影だけが——
一拍遅れて、動いた。
「……?」
次の瞬間。
影が、
“立ち上がった”。
人の形をしている。
だが、輪郭が曖昧だ。
顔はない。
手足も、完全ではない。
ただ——
“途中でやめられた何か”の集合体。
影が、口を開く。
音はない。
だが、意味だけが流れ込む。
『——足りない』
『進行が、足りない』
『積まれたが、完了していない』
『——喰える』
男は、後ずさる。
「……な、なんだ……」
影は、
男に触れなかった。
ただ——
彼の“役割”に、手を伸ばした。
次の瞬間。
男の体から、力が抜ける。
倒れはしない。
だが——
立っている理由だけが、消えた。
「……俺……」
「何を……してた……?」
⸻
そこへ。
風を裂く音。
ミリアが、即座に間に入る。
「下がって!」
剣は、抜かない。
《前線確定》——最小。
“ここから先は戦場だ”
それだけを、世界に示す。
だが。
影は、止まらない。
剣も、威圧も、意味を持たない。
「……効かない!」
ミリアが歯を食いしばる。
「いや!」
レインが、即座に叫ぶ。
「効かせる対象が違う!」
影は、人を喰っていない。
命も、意思も、恐怖も。
——工程だ。
「リュカ!」
「把握しろ!」
リュカの《戦域把握》が展開される。
だが、
未来は見えない。
いや——
“途中”が存在しない。
「……ダメだ」
リュカが、唇を噛む。
「完了か、未着手しか無い!」
「“途中”が、全部消えてる!」
レインは、理解した。
これは、
原初の飢餓の新しい形。
進めることで生まれる“余白”そのものを、
栄養にする存在。
「……来る」
レインは、前に出る。
「これは——」
「並べただけじゃ、止まらない」
影が、レインを見る。
いや——
見ていない。
レインの背後。
ノーリトリートが、
“次に進もうとしている構造”を、
正確に嗅ぎ取っている。
『——それを、喰う』
影が、初めて形を強める。
戦闘ではない。
だが——
接触すれば、確実に奪われる。
ミリアが、声を張る。
「レイン!」
「殴れる!?」
レインは、静かに答えた。
「……殴れる」
「でも——」
拳を、握る。
「今までのやり方じゃ、勝てない」
影が、一歩、踏み出す。
その瞬間。
蒼衡の警告が、
通信に割り込んだ。
「——切断準備」
「対象:未定義現象」
「初の実戦投入になる」
レインは、即答した。
「待て」
「切るな」
「——俺が、先に行く」
影と、ノーリトリート。
初めて、
明確な衝突点が定まる。
これは、逃げ場のない戦いだ。
原初の飢餓は、
ついに——
殴られる位置まで、出てきた。
影は、踏み出した。
それは攻撃ではない。
踏み込みでも、突進でもない。
——工程が喰われる“瞬間”。
空気が、薄くなる。
いや、違う。
“次に進むための途中”だけが、抜け落ちる。
「……っ!」
ミリアが、思わず一歩下がる。
足場はある。
距離もある。
だが——
“踏み出す理由”が、消えかけている。
「来る!」
リュカが叫ぶ。
《戦域把握》が、
初めて“欠損”を捉えた。
未来が消えるのではない。
未来に至る途中が、存在しない。
「レイン!」
ミリアが、歯を食いしばる。
「このままじゃ——」
「分かってる」
レインは、前に出た。
《非裁定》の名の通り、
裁かない。
選ばせない。
だが——
止めもしない。
「ミリア」
「前線は——」
「分かってる!」
ミリアは、剣を抜かない。
《前線確定》——最小。
“ここから先は、戦場だ”
それだけを、世界に刻む。
影は、止まらない。
前線を、
“喰える工程”として認識している。
その瞬間。
通信が、割り込んだ。
『——切断、実行』
蒼衡の声。
次の瞬間、
空間が“鳴った”。
斬撃ではない。
爆発でもない。
“繋がり”が、断ち切られる音。
影の一部が、
はっきりと削げ落ちた。
『——欠損……?』
初めて、
意味の揺らぎが生じる。
「効いてる!」
リュカが、即座に叫ぶ。
「工程じゃない!」
「工程を喰う“通路”を切ってる!」
蒼衡は、
“影”を切っていない。
影が工程へ至る構造を、切った。
だが——
それだけでは、足りない。
影は、即座に別の経路を探す。
「——来る!」
その瞬間。
レインが、踏み出した。
選ばない。
決めない。
代わりに——
並べる。
「ここに」
「人を戻す」
レインは、声を張る。
「倉庫番は、倉庫へ」
「見張りは、門へ」
「医師は、医師の場所へ」
命令ではない。
判断でもない。
“元の配置”を、並べ直すだけ。
影が、軋む。
『——喰えない』
『工程が——固定されていない』
「そうだ」
レインは、静かに言う。
「工程じゃない」
「配置だ」
「喰う前に、
“途中”を作らせない」
影が、後退する。
初めて——
逃げる、という動きを見せた。
蒼衡の指揮官が、即断する。
『——第二切断』
今度は、
影の“再構築点”が断たれた。
影が、悲鳴のようなノイズを発する。
『——不足』
『——未達』
『——学習……』
影は、完全には消えない。
だが——
喰えなくなった。
現場の空気が、戻る。
人々が、息を吸う。
「……あれ?」
「今……何を……」
誰も、何が起きたか分からない。
だが——
立っている理由は、戻った。
ミリアが、肩で息をする。
「……やった?」
「いや」
レインは、首を振る。
「追い返しただけだ」
蒼衡の指揮官が、通信越しに言う。
『理解した』
『切るのは、“存在”ではない』
『接続だ』
レインは、短く頷く。
「守るのは、
“判断”じゃない」
「配置だ」
見えない場所で、
評価が更新される。
「損耗、確認」
「工程捕食、非効率化」
「……再設計が必要」
原初の飢餓は、
初めて“満腹になれない現場”を経験した。
完全な勝利ではない。
だが——
確かな一撃だった。
《非裁定》は、
蒼衡と並んで立つ。
切る者と、守る者。
その間に、
世界が——かろうじて、残った。




