前線が狙われる日
異変は、静かすぎる形で始まった。
結界の外縁。
見張り役の冒険者が、ふと首を傾げる。
「……静かだな」
魔物の気配はない。
魔力の乱れも、ない。
それなのに――
嫌な感じだけが、消えない。
•
ミリアは、街門前に立っていた。
結界の再設計が始まってから、
ここが彼女の定位置になっている。
前に立つ。
人の流れを止める。
異変があれば、最初に受ける。
(……今日は、何もなければいい)
そう思った瞬間だった。
結界の“内側”で、
空気が、きしむ。
「……っ」
背中が、ぞわりとする。
(内側?)
本来、
異変は外から来る。
だが今回は――
違う。
街の中。
人の気配があるはずの場所。
そこに、
“戦う意思”だけが浮かび上がった。
「……下がってください!」
ミリアは、即座に叫んだ。
「一般人は、後方へ!」
冒険者たちが、
反射的に動く。
その瞬間。
「――正解だ」
声がした。
すぐ後ろ。
「……っ!?」
振り向く暇もない。
ミリアは、
身体をひねり、
反射的にレイピアを構える。
金属音。
剣と剣が、ぶつかった。
火花が散る。
「……へぇ」
相手は、
人型。
フードを被り、
顔は見えない。
だが――
動きが、異様に“分かっている”。
「反応、早いな」
距離を取る。
ミリアは、息を整える。
(……この人)
魔物じゃない。
人だ。
「……あなた、誰ですか」
問いかける。
相手は、軽く肩をすくめた。
「名乗るほどのものじゃない」
だが、と続ける。
「君が、
この街の“前線”だろ?」
ミリアの瞳が、細くなる。
「……それが、どうした」
「いや」
相手は、剣を構え直す。
「確認しに来ただけだ」
確認?
「前に立つ人間が、
どれくらい“成立してるか”を」
一瞬。
ミリアの中で、
何かが噛み合った。
(……狙われてる)
街じゃない。
結界じゃない。
自分だ。
「……残念です」
ミリアは、足を踏み出した。
「ここは、
通行止めです」
相手が、笑った気がした。
「いいね」
次の瞬間。
踏み込み。
速度が、
一段階上がる。
(……速い)
だが――
逃げない。
《零距離踏み(ゼロ・ステップ)》。
間合いを潰す。
剣が、交錯する。
衝撃が、腕に走る。
(……重い)
相手は、
力で押してこない。
だが、
判断が、すべて一手早い。
「……なるほど」
相手が、呟く。
「前線を張れる理由は、
分かる」
ミリアは、歯を食いしばる。
(……レイン)
通信石は、
使えない。
結界の内側。
干渉されている。
――つまり。
(……一人だ)
それでも。
「……それでも、
前には立つ」
剣を、構え直す。
背後には、
街がある。
「――ここは、
通さない」
相手は、
楽しそうに息を吐いた。
「いい」
「じゃあ――
一人で、証明してみろ」
剣が、再びぶつかる。
夜の街で、
火花が散った。
刃が、かすめた。
肩口。
浅いが、確実に当ててきた一撃。
「……っ」
ミリアは、距離を取る。
呼吸を整えるが、
胸の奥がざわつく。
(……当ててきてる)
相手は、強引に攻めてこない。
ただ――
こちらの動きを“知っている”ように対応してくる。
《零距離踏み》を使えば、
その一歩先に動かれる。
《直線穿ち》を狙えば、
“突く前”に剣が置かれる。
「……学習が、早い」
相手が、楽しそうに言う。
「いや……
正確には――」
一瞬、視線がミリアの足運びに向く。
「再現が、早い」
ミリアの背筋が、冷たくなる。
(……コピー)
レインが言っていた。
“理解せずに真似る”コピーは、雑で危険だと。
だが、この相手は――
戦闘の“型”だけを抜き取って再現している。
「……っ」
次の一撃。
受け止めきれず、
地面を滑る。
距離が、開く。
背後には、
街の建物。
これ以上下がれない。
「……いいね」
相手が、剣を軽く振る。
「君は、
“正しい前線”だ」
その言葉に、
ミリアの胸が、きゅっと締まる。
「だから――」
一歩、踏み出す。
「壊す価値がある」
空気が、張り詰める。
•
(……通じない)
頭の中で、
焦りが広がる。
今まで通用していた判断が、
一手ずつ潰されていく。
(……私は)
一瞬だけ、
過去がよぎる。
紅鷹にいた頃。
「前に出るな」と言われた日々。
(……違う)
歯を食いしばる。
(……今は)
背後には、
逃げ遅れた人影。
(……守る人がいる)
ミリアは、深く息を吸った。
(……勝たなくていい)
その考えに、
自分で驚く。
(……“通さなければ”いい)
剣を、構え直す。
姿勢が、少し変わる。
相手は、眉を上げた。
「……?」
ミリアは、前に出ない。
踏み込まない。
代わりに――
“立ち続ける”。
《零距離踏み》を、
使わない。
《直線穿ち》も、
狙わない。
相手が、
“学習する価値のある動き”を、
しない。
「……なるほど」
相手が、低く笑った。
「攻めを、捨てたか」
「いいえ」
ミリアの声は、落ち着いている。
「前線に、なっただけです」
次の瞬間。
相手が、踏み込む。
だが――
ミリアは、動かない。
剣を、
“ここから先は通さない”位置に置くだけ。
剣と剣が、噛み合う。
火花が散る。
「……っ」
相手の動きが、
初めて止まった。
「……それは」
驚いた声。
「……学習できないな」
ミリアは、息を吐く。
(……これでいい)
勝てなくてもいい。
理解されなくてもいい。
前に立ち、止める。
それが、
自分の役割だ。
相手は、
一歩、距離を取った。
「……十分だ」
剣を下ろす。
「今日は、
ここまでにしておこう」
ミリアは、剣を下ろさない。
「……逃げるんですか」
相手は、肩をすくめた。
「違う」
「確認が終わった」
その言葉だけ残し、
闇に溶ける。
•
夜が、戻ってくる。
ミリアは、
その場に立ち尽くした。
足が、少し震える。
(……守れた)
勝ってはいない。
でも――
通さなかった。
それだけで、
胸の奥が、少し温かい。
•
少し遅れて、
足音が近づく。
「……ミリア!」
レインだった。
「……無事で、よかった」
ミリアは、
小さく笑った。
「……はい」
剣を収める。
「前線は……
守れました」
レインは、
その言葉を、深く受け取った。
夜明け前の街は、静かだった。
戦闘の痕跡は最小限。
倒壊した建物も、焼け跡もない。
だが――
レインには、それが逆に重く感じられた。
(……間に合わなかった)
通信石が復旧した時には、
すでに戦闘は終わっていた。
「……敵は?」
レインの問いに、
周囲の冒険者が首を振る。
「撤退しました」
「追撃は、できませんでした」
当然だ。
これは討伐戦じゃない。
確認。
試験。
そして――
撤収。
「……ミリアは?」
「無事です」
その一言に、
胸の奥の緊張が、ようやく緩む。
•
街門近く。
ミリアは、壁にもたれて座っていた。
怪我は、軽い。
だが、疲労は隠せない。
「……ミリア」
レインが、歩み寄る。
ミリアは顔を上げ、
少しだけ驚いたように目を瞬かせてから――
笑った。
「……すみません」
最初に出た言葉が、それだった。
レインは、即座に首を振る。
「謝る必要はありません」
一拍。
「……俺が、
そばにいなかった」
ミリアは、その言葉に目を伏せた。
「……いえ」
ゆっくりと、立ち上がる。
「今回は……
私が前線でした」
はっきりと。
「レインが後ろにいなくても、
立つ番でした」
その言葉は、
強がりではなかった。
事実だった。
レインは、
何も言えなくなる。
(……そうか)
ずっと、
“守る側と守られる側”だと思っていた。
だが――
前線は、引き継がれるものだった。
「……怖く、ありませんでしたか」
正直な問いだった。
ミリアは、少し考えてから答える。
「……怖かったです」
「でも」
一度、言葉を切る。
「逃げたいより、
通したくない方が、
強かったです」
その理由を、
もう説明する必要はない。
背後に、街があった。
人がいた。
「……それで、十分です」
レインは、静かに言った。
「あなたは、
もう“一人で前線になれる”」
ミリアは、少し照れたように笑う。
「……一人、ですけど」
視線を、レインに向ける。
「それでも、
後ろにレインがいるって、
分かってましたから」
その言葉に、
レインの胸が、きゅっと締まる。
(……支え合ってる)
守る、守られる、ではない。
役割が違うだけ。
•
少し離れた屋根の上。
フードの人物が、
街を見下ろしていた。
「……面白い」
低い声。
「前線が、
“壊れなかった”」
想定では、
もっと動揺するはずだった。
もっと、
判断が乱れるはずだった。
「……コピーできる動きは、
全部再現した」
だが――
立ち続ける理由までは、
写せなかった。
「……次は」
フードの人物は、踵を返す。
「“一人で立つ前線”を、
どう壊すかだ」
夜に、溶ける。
•
街は、まだ眠っている。
だが――
前線は、確かに生まれた。
レインは、結界の光を見上げた。
(……俺も、
変わらないといけない)
守るだけでは、足りない。
支えるだけでも、足りない。
“間に合わない時”を、
前提に組み込む必要がある。
「……次は」
ミリアと並んで、
歩き出す。
「次は、
もっと厄介になりますね」
ミリアは、
小さく笑った。
「……はい」
「でも」
一歩、前に出る。
「前線は、
まだ空いてます」
レインは、
その背中を見て、頷いた。
戦いは、
もう個人のものじゃない。
世界は、
確実に次の段階へ進んでいた。




