愉悦の管理者
空間が、
“観劇用”に整えられていた。
豪奢ではない。
だが、無駄が一切ない。
椅子は一脚。
机もない。
舞台装置のような床。
その中央に――
女は座っていた。
足を組み、
肘掛けに頬杖をつく。
赤い瞳が、
ゆっくりと瞬いた。
「……あら」
声は、
ひどく楽しげだった。
「思ったより早かったわね」
《非裁定》の四人は、
一斉に身構える。
だが――
女は動かない。
攻撃の気配もない。
魔力の高揚もない。
ただ、
見ている。
「名乗る必要、ある?」
くすり、と笑う。
「まあいいわ」
「私は――
リュクシア=ヴェルミリオ」
「宝珠の管理をしている者よ」
レインは、
一歩も動かなかった。
《戦場演算》は、
沈黙している。
答えが出ない。
いや――
出す意味がない。
「……管理?」
レインが、
静かに聞く。
「ええ」
リュクシアは、
楽しそうに頷いた。
「流通、
契約、
感情の品質管理」
「壊れ方の傾向も、
ちゃんと見てる」
ミリアの拳が、
わずかに震える。
「……人が壊れるのを、
管理?」
「もちろん」
リュクシアは、
悪びれもしない。
「だって、人間って」
一拍。
「壊れる直前が、
一番美しいじゃない?」
空気が、
冷えた。
エルドが、
盾を構える。
だが、
女はそれすら“鑑賞”する。
「いいわね、その反応」
「恐怖と怒りと嫌悪が、
きれいに混ざってる」
「上質よ」
レインは、
目を細めた。
「……願いを、
商品にしてる」
「ええ」
即答。
「だって、
人間は勝手に願うもの」
「私がやってるのは、
“並べてあげてる”だけ」
「選んでるのは、
あなたたち」
レインの視界で、
《残命観測》が
微かに揺れた。
寿命じゃない。
因果でもない。
**“評価”**だ。
リュクシアは、
レインをじっと見つめる。
「あなた、
本当に気持ち悪いわ」
笑顔のまま。
「裁かない?」
「選ばせない?」
「人間如きが、
神の領分を踏み荒らしてる自覚、
ある?」
ミリアが、
一歩前に出かける。
だが――
レインが、手で制した。
「……私たちは、
止めに来た」
リュクシアは、
声を上げて笑った。
「無理よ」
「だって――
あなたたちが来るほど、
宝珠は売れるもの」
立ち上がる。
その影が、
一瞬だけ“人間ではない位相”を帯びる。
「でも安心して」
「今日は、
戦わない」
「観察だけ」
振り返り、
去り際に言った。
「次は、
もっと分かりやすい“力”を出すわ」
「その時、
あなたたちが何を選ぶか――」
振り返らずに、
笑う。
「楽しみにしてる」
次の瞬間、
彼女の姿は消えた。
静寂。
ミリアが、
震える声で言う。
「……あれ、
殺したくなる」
レインは、
静かに答えた。
「うん」
「だから――
危険だ」
《非裁定》は、
その場を動かない。
敵は、完全にこちらを把握した。
それだけで、
十分すぎる初登場だった。
リュクシアが消えたあとも、
空間は“片付けられていなかった”。
香りが、残っている。
甘く、
不快で、
癖になる匂い。
「……最悪」
ミリアが吐き捨てる。
「人の感情を、
鑑賞対象みたいに……」
「鑑賞じゃない」
リュカが、低く訂正した。
「飼育だ」
エルドが、
盾を下ろしたまま呟く。
「……あれは、
逃げたんじゃない」
「終わったと思ってない」
その瞬間。
空間の端で、
何かが“軋んだ”。
音ではない。
振動でもない。
意図だ。
《戦域把握》が、
異常値を叩き出す。
「……来る」
リュカの声が、
一段低くなる。
「同時多発」
「三……いや、
四地点」
宝珠の反応が、
一斉に跳ね上がった。
しかも――
今までと違う。
「……濃度が、
高すぎる」
レインの《戦場演算》が、
初めて“結論未満”を吐き出す。
(これは……
誘導じゃない)
(試験だ)
「ミリア」
「前線、
分ける」
ミリアは即答した。
「了解」
「……でも、
これ」
拳を握る。
「今までの相手じゃ、
ないよね」
レインは、
頷いた。
「うん」
「“売り物”じゃない」
「兵器だ」
空間が、
裂ける。
赤黒い魔力が、
押し出されるように現れた。
人型。
だが、
構造が違う。
筋肉が、
戦うためだけに配置されている。
その中央に立つ男。
鎧のような皮膚。
瞳は、
血の色。
「……あれが」
ミリアが、
息を呑む。
「前線担当か」
男は、
こちらを見て、
一言だけ言った。
「――管理終了」
声は、
低く、
感情がない。
だが――
その背後で、
戦場そのものが歪み始める。
《戦禍展開》
地面が、
魔族に有利な“配置”へ変質する。
「……グラディウス」
レインは、
その名を口にした。
記録。
推測。
因果の一致。
全てが、
一つに繋がる。
「これは――
もう宝珠の問題じゃない」
レインの声が、
はっきりと冷える。
「戦争だ」
グラディウスが、
一歩踏み出す。
その一歩で、
空気が殴られた。
《非裁定》は、
同時に構える。
裁かない。
退かない。
選ばせない。
だが――
守るだけでは、足りない局面に来ていた。
次に来るのは、
真正面からの衝突。
誰も、
それを疑っていなかった。
最初の一撃は、
宣戦布告ですらなかった。
グラディウスが歩く。
ただ、それだけ。
《戦禍展開》が完全に定着し、
地面・空気・距離――
すべてが“敵の味方”になる。
「……圧が、違う」
ミリアが歯を食いしばる。
「来るぞ!」
リュカの叫びと同時に、
グラディウスの拳が振るわれた。
殴ったのは、
空間。
衝撃が遅れて爆発する。
《戦局重量》
《戦域把握》
リュカが必死に重さを調整するが、
削り切れない。
「……っ、
こんなの……!」
エルドが前に出た。
盾を、
突き立てる。
《受理領域》最大。
逃げない。
弾かない。
全てを受ける。
次の瞬間、
衝撃が盾を貫通した。
膝が、
沈む。
「エルド!!」
ミリアが、
即座に前に出る。
《踏越位》
《断戦》
斬撃ではない。
“前に立つ権利”そのものを奪う一閃。
グラディウスの足が、
初めて止まった。
「……ほう」
感情のない声に、
わずかな“評価”が混じる。
「人間にしては、
よく立つ」
その瞬間。
レインが、
一歩踏み出した。
《戦場演算》が回る。
だが――
答えを出さない。
(倒せない)
(でも――
触れる)
《因果遮断》
拳が、
“当たらなかった結果”だけを失う。
衝撃が、
空振る。
グラディウスの視線が、
レインに向いた。
「……貴様か」
次の瞬間。
《即時適応》
筋肉の配置が変わる。
攻撃角度が変わる。
対応が、
早すぎる。
「っ……!」
レインの視界が、
一瞬暗転した。
《残命観測》
警告色。
(……来る)
レインは、
歯を食いしばる。
《因果代償・仮受》
胸の奥が、
焼ける。
だが――
その一瞬。
ミリアが、
叫んだ。
「レイン、下がれ!!」
《前線確定》
前線が、
強制的に引き直される。
エルドが、
盾を叩きつける。
《被害集束》
衝撃が一点に集まり、
地面が抉れる。
グラディウスは、
後退した。
――たった、半歩。
だが。
それで、
十分だった。
空間が、
歪む。
赤い魔力が、
収束する。
「……撤退」
グラディウスは、
淡々と告げた。
「データは、
十分だ」
「次は――
潰す」
その身体が、
戦場から引き剥がされる。
残ったのは、
破壊された地面と、
重すぎる沈黙。
《非裁定》は、
その場に立ち尽くす。
勝っていない。
だが――
生きている。
レインは、
深く息を吐いた。
「……今のが、
前線担当」
ミリアが、
拳を握る。
「……やる気だね、
完全に」
レインは、
静かに頷いた。
「うん」
「これからは――
“管理”じゃない」
「戦争だ」
遠くで、
宝珠が淡く光った。
愉悦の管理者は、
きっと笑っている。




