街が安全でなくなった日
異変は、噂として先に届いた。
「結界の内側で、魔物を見たらしい」
「いや、魔物じゃない……“出現してはいけないもの”だ」
酒場でも、ギルドでも、
話はどこか曖昧で、要領を得ない。
だが――
共通している点が一つだけあった。
「……誰も、“原因”を説明できていない」
レインは、依頼掲示板の前で静かに呟いた。
ミリアが、横から覗き込む。
「結界が破られた、って話じゃないんですよね?」
「ええ。
破壊された形跡はありません」
むしろ、と続ける。
「正常に動いている“つもり”です」
ミリアは、眉をひそめた。
「……それ、
一番ややこしいやつじゃないですか」
「はい」
レインは、街の方角を見る。
(……違和感が、ある)
•
街の中心部。
結界は、確かに張られていた。
魔力の流れ。
発光。
反応。
どれも“正常”。
普通の冒険者なら、
ここで思考を止める。
だが、レインは止まらなかった。
(……これは)
視界の端で、
結界の“継ぎ目”が揺れる。
(……コピーだ)
正確には――
雑に写されたもの。
レインは、目を閉じた。
《模写理解》を、
静かに発動する。
対象は、結界そのもの。
――魔力配列
――発動条件
――維持構造
――安全判定の前提
一つずつ、
理解するために“なぞる”。
(……やっぱり)
これは、オリジナルじゃない。
「ミリア」
「はい?」
「この結界……
本物を“真似して作り直されたもの”です」
ミリアは、思わず息を呑む。
「……コピー?」
「ええ」
でも、と言葉を切る。
「ただ写しただけです」
レインの脳裏に、
二つの構造が並ぶ。
•本来の結界
•今、街を覆っている結界
「安全判定の前提が、抜け落ちている」
ミリアは、首を傾げる。
「……前提?」
レインは、簡単に説明した。
「本来の結界は、
“街にいる人間は守る対象”
という前提で動いています」
「でも、このコピーは違う」
ミリアの目が、少しずつ見開かれる。
「……まさか」
「はい」
レインは、淡々と言った。
「“存在しているものを、まとめて保護する”
という雑な前提しかありません」
だから――
「街に入り込んだ魔物も、
保護対象になっている」
沈黙。
ミリアが、ゆっくりと拳を握る。
「……それで、
結界の内側に魔物が」
「ええ」
レインは、目を開いた。
「このコピーは、
“壊れている”わけじゃない」
「雑だから、危険なんです」
ミリアは、レインを見る。
「……じゃあ、
どうするんですか?」
レインは、即答した。
「正しいものを、
もう一度コピーします」
「……え?」
「今度は、
理解した上で」
レインの目に、
静かな確信が宿る。
「俺の《模写理解》は、
“写す能力”じゃありません」
一拍、置いて。
「正しい前提を、
そのまま再現する能力です」
街の空気が、
わずかに震えた。
まだ誰も気づいていない。
だが――
世界は、ここから立て直される。
結界の下で、街はざわついていた。
「また出たぞ!」
「中央通りだ!」
人々は、理由も分からないまま逃げ惑う。
結界は、確かにある。
壊れていない。
なのに――
安全じゃない。
「……ミリア」
レインが、低く呼びかける。
「前線を、整えてください」
ミリアは、即座に頷いた。
「分かりました」
迷いはない。
彼女は、通りの中央へ進み出る。
「落ち着いてください!」
張りのある声。
「結界の内側は、
まだ安全です!」
その一言で、
人の動きが止まる。
誰かが前に立つだけで、
混乱は一段階、収まる。
「冒険者の方!
私が前に立ちます!」
ミリアは、レイピアを掲げた。
「後ろへ!
指示があるまで、
動かないで!」
冒険者たちは、一瞬驚き――
だが、従った。
(……この人)
自然と、視線が集まる。
•
一方、レインは結界の内側に立っていた。
目を閉じる。
《模写理解》。
今度は、
街全体の防衛構造が対象だ。
――結界
――導線
――安全区分
――緊急遮断条件
それらを、
“思い出すように”なぞる。
(……ここだ)
結界の“欠落点”。
安全判定の、空白。
レインは、
本来あるべき前提を引き出す。
(人は、守られる存在)
(魔物は、排除される対象)
単純だ。
だが――
その単純さを、
雑なコピーは省いていた。
「……再現」
小さく、呟く。
《模写理解》が、
正しい構造を上書きする。
派手な光はない。
音も、揺れもない。
だが――
空気が、変わった。
街の端で、
魔物が“弾かれる”。
「……っ!?」
冒険者が、目を見開く。
「結界が……
魔物を、拒否した?」
次の瞬間。
街の中にいた魔物たちが、
一斉に動きを止めた。
否――
存在できなくなった。
輪郭が、ぼやけ――
外へと、押し出される。
•
前線。
ミリアは、その変化を感じ取った。
(……来た)
「今です!」
声を張る。
「押し出された魔物を、
外で迎撃してください!」
冒険者たちが、一斉に動く。
混乱はない。
判断も、早い。
「……すごい」
誰かが、呟く。
「戦ってないのに……
街が、守られてる」
ミリアは、振り返らない。
(……後ろが、整ってる)
だから、前に集中できる。
•
結界の内側。
レインは、深く息を吐いた。
(……完全じゃない)
これは、
一時的な再現だ。
持続時間も、
魔力効率も、最適ではない。
だが――
今は、十分。
「……次は、
コピーした前提を
“固定”する必要があります」
それが、
この事件の本番だった。
街は、まだ救われきっていない。
だが――
終わりが、見えた。
結界の再現が安定し始めると、
街の空気は、目に見えて落ち着いていった。
泣き声が止み、
怒号が消え、
人々はようやく「呼吸」を思い出す。
「……助かった」
誰かが、そう呟いた。
だが――
レインの表情は、緩まなかった。
(……おかしい)
《模写理解》を維持したまま、
結界の“外側”を観察する。
(……雑だが、偶然じゃない)
このコピーは、確かに粗い。
だが――
“どこを省けば危険になるか”を知っている省略だ。
「……ミリア」
通信石越しに、静かに呼びかける。
「はい」
「街の人員は、
もう安全圏に入っていますか?」
「ええ。
想定どおりです」
一拍。
「……何か、
まだありますか?」
ミリアは、勘で察していた。
「あります」
レインは、短く答えた。
「この結界をコピーした人物――
仕組みを知っています」
•
結界の外。
押し出された魔物の残滓が、
不自然に霧散していく。
普通なら、
魔力は地に還る。
だが、今回は違う。
(……回収されている)
レインは、目を細める。
「……なるほど」
誰かが、
コピーした構造を“遠隔で管理”している。
つまり――
この街は、実験場。
「雑魚モンスターしかコピーできない」
かつて、
自分に貼られたレッテル。
(……似ている)
理解せず、
表面だけを真似る。
だが、
その雑さの中に――
意図がある。
「……敵は、
コピー能力者ですか?」
ミリアの声。
「可能性は高いです」
ただし、と続ける。
「俺とは、
やり方が違う」
コピーの精度ではない。
思想だ。
「向こうは、
“動くかどうか”だけを見ている」
「俺は、
“成立していいか”を見る」
沈黙。
「……それって」
ミリアが、言葉を探す。
「かなり、
危ない相手ですよね」
「ええ」
レインは、即答した。
「世界を、
壊すつもりがなくても壊せる」
それが、
一番厄介だった。
•
ギルド本部。
緊急報告が、上がる。
「結界異常は、
一時的に安定!」
「原因は、
不正な魔導構造の介入の可能性!」
責任者たちは、
言葉を失う。
「……そんなことが、
可能なのか?」
答えは、一つしかない。
「可能だった」
すでに。
•
夕暮れ。
街は、何事もなかったかのように
日常を取り戻しつつある。
だが、
レインは確信していた。
これは、
始まりに過ぎない。
(……次は、
もっと“上手く”コピーしてくる)
雑な模倣は、
警告だった。
「ミリア」
「はい」
「次は……
街じゃ済まないかもしれません」
ミリアは、剣の柄を握り、
はっきりと言った。
「……それでも」
「前には、
私が立ちます」
レインは、静かに頷く。
世界の前提は、
まだ書き換えられる。
だが――
それを狙う者が、
確実に現れた。




