選ばれた理由
選ばれたのは、
一番“静かな人間”だった。
声が大きいわけでもない。
不満を叫んだわけでもない。
誰かを押しのけたわけでもない。
ただ――
長く、立っていた。
港町外れの倉庫群。
人が散ったあと。
宝珠を手に入れられなかった者たちは、
不満を口にしながら帰っていく。
だが一人だけ、
その場を動かない男がいた。
「……」
年の頃は三十前後。
服はくたびれているが、清潔だ。
武器も、防具もない。
願いを口にすることもなかった。
それでも――
フードの人物は、彼を見た。
「あなたです」
短い言葉。
男が顔を上げる。
「……俺?」
「はい」
理由は、言われない。
説明もない。
それでも男は、
一度だけ周囲を見回し、
小さく頷いた。
《非裁定》は、
少し離れた場所からそれを見ていた。
「……あの人」
ミリアが、声を落とす。
「全然、欲張ってない」
「うん」
レインは、目を細める。
《残命観測》は、
反応していない。
寿命も、代償も、
まだだ。
だが――
“向き”が、揃っている。
「願いを、
抱え込んでる」
レインの声は、低い。
「口に出さないまま」
男は、フードの人物に導かれ、
倉庫群の奥へ向かう。
照明の届かない通路。
足音が、吸い込まれていく。
「……尾行する?」
ミリアが聞く。
「うん」
レインは即答した。
「でも――
助ける前提じゃない」
エルドが、静かに言う。
「……辿る」
「そう」
レインは頷く。
「“どこまで行くか”を見る」
フードの人物は、
時折立ち止まり、
男と短い言葉を交わす。
聞こえない。
だが――
男の背中が、少しずつ軽くなっていくのが分かる。
「……危ないな」
リュカが、呟く。
「肯定しか、
与えてない」
否定しない。
煽らない。
導かない。
ただ――
“分かっている”という態度。
それが、
一番危険だった。
倉庫群の最奥。
一枚の扉の前で、
フードの人物が立ち止まる。
「ここから先は、
あなた一人です」
男は、戸惑った。
「……あんたは?」
「私は、
必要なところまでしか行きません」
扉が、開く。
中は、
静かだった。
何もない。
宝珠すら、
まだ見えない。
男が、
一歩踏み出す。
その瞬間。
《残命観測》が、
微かに震えた。
(……来る)
レインは、
息を整える。
まだ、
手を出さない。
ここで見るべきは――
**“願いが生まれる瞬間”**だ。
部屋は、
拍子抜けするほど何もなかった。
椅子が一つ。
机が一つ。
壁は、古い木材のまま。
飾りもない。
宝珠もない。
男は、
しばらく立ち尽くしていた。
「……ここで、
何を?」
返事は、
すぐに来た。
「座ってください」
声は、
扉の外からだった。
男は、
ゆっくり椅子に腰を下ろす。
きしむ音が、
やけに大きく響いた。
「あなたは、
願いを口にしませんでしたね」
「……」
「それでも、
ここに残った」
男は、
視線を落とす。
「……願いなんて、
大したもんじゃない」
「そうですか」
声は、
否定しない。
「……俺は」
男は、
少しだけ考えてから話し始めた。
「港で働いてた」
「倉庫の管理で、
力仕事じゃない」
「だから、
続くと思ってた」
言葉が、
途切れる。
「……でも、
事故があって」
荷崩れ。
判断ミス。
誰かの怪我。
「俺は、
助かった」
「代わりに――
一人、
仕事に戻れなくなった」
声が、
震える。
「それから、
職場に居づらくなって」
「辞めた」
「誰も責めなかった」
「だから余計に、
辛かった」
扉の向こうで、
誰かが聞いている。
遮らない。
評価しない。
ただ、
聞いている。
「俺は……」
男は、
拳を握った。
「強くなりたいとか、
金が欲しいとか、
そういうんじゃない」
「ただ……」
一度、
息を吸う。
「戻りたい」
「事故の前に」
その言葉が、
部屋に落ちた。
静かに。
扉の外の声が、
少しだけ低くなる。
「それは――
立派な願いです」
否定しない。
現実を突きつけない。
「でも、
時間は戻りません」
男は、
分かっている。
だから、
何も言わない。
「ですが」
一拍。
「“選び直す力”は、
存在します」
男の顔が、
上がる。
「……それって」
「まだ、
説明はしません」
「必要なのは――
覚悟だけです」
扉の外で、
足音がする。
離れていく。
「ここで、
待っていてください」
「考えてください」
「本当に“必要な願い”かどうか」
沈黙。
男は、
天井を見上げる。
事故の音。
仲間の顔。
何も言わなかった空気。
《非裁定》は、
扉の向こうで聞いていた。
「……巧い」
ミリアが、
歯を噛みしめる。
「何も、
嘘は言ってない」
「うん」
レインの声は、
低い。
「だから――
一番危ない」
宝珠は、
まだ出ていない。
だが――
願いは、
もう完成しかけている。
次に必要なのは、
“背中を押すもの”だけだ。
扉が、
静かに開いた。
フードの人物が、
部屋に入ってくる。
その手には――
小さな箱。
装飾はない。
鍵もない。
「考えは、
まとまりましたか」
男は、
すぐに答えなかった。
「……戻れないって、
言いましたよね」
「はい」
「事故の前には」
「はい」
フードの人物は、
迷いなく頷く。
「でも」
箱が、
机の上に置かれる。
「“選び直す力”は、
存在します」
箱が、
開く。
淡い光。
宝珠だ。
男の喉が、
鳴った。
「これは――」
「時間を戻すものではありません」
「あなた自身を、
過去の“可能性”へ
近づけるものです」
誇張はない。
嘘もない。
だが――
全ても言っていない。
「使えば、
あなたは強くなります」
「判断が速くなり、
体は反応する」
「事故は、
防げたかもしれない」
男の拳が、
震える。
「……代償は」
フードの人物は、
少しだけ考える素振りを見せた。
「あります」
「ですが」
「あなたは、
すでに知っていますね」
寿命。
魔物化。
連鎖。
公表された事実。
「……知ってます」
男は、
宝珠から目を離さない。
「それでも、
選ぶかどうかです」
沈黙。
《非裁定》の側で、
空気が張り詰める。
「……ここだ」
レインが、
小さく言った。
「ここから先は、
“選ばせる”領域だ」
ミリアが、
一歩踏み出しかける。
だが――
止まる。
男が、
宝珠に手を伸ばした。
指先が、
触れる。
その瞬間。
《残命観測》が、
激しく反応した。
寿命。
代償。
連鎖。
一気に、跳ね上がる。
「――やめろ」
レインの声が、
部屋を裂いた。
扉が、
吹き飛ぶ。
《非裁定》が、
一斉に踏み込む。
前に出ない。
囲まない。
だが――
間に立つ。
男は、
驚きで固まる。
宝珠が、
床に落ちた。
光が、
一瞬だけ強くなる。
フードの人物は、
動かない。
逃げもしない。
ただ、
レインを見る。
「……ここまで、
でしたか」
「ここまでだ」
レインは、
はっきり言った。
「これ以上は、
選択じゃない」
「消費だ」
フードの人物は、
小さく笑った。
「残念です」
「とても、
良い願いだった」
次の瞬間。
その姿が、
薄れる。
消える。
宝珠は、
エルドの足元で
完全に沈黙した。
男は、
床に座り込む。
「……俺は」
言葉が、
続かない。
ミリアが、
そっと声をかける。
「まだ、
生きてる」
「それは――
選び直せるってこと」
男は、
顔を覆った。
泣き声が、
部屋に落ちる。
《非裁定》は、
誰も勝利を口にしない。
宝珠は、
回収された。
だが――
道は、
確かに存在している。
そしてそれは、
次の“選ばれた者”へ
繋がっている。
レインは、
暗い廊下を見る。
「……急ごう」
「向こうは、
もう次を用意してる」




