長生きの使い道
夜の拠点は、静かだった。
誰も騒いでいない。
誰も倒れていない。
それなのに――
妙な緊張だけが、部屋に残っている。
レインは椅子に座り、
じっと自分の手を見ていた。
《残命観測》は、
消えていない。
見える。
削れた分。
積み上がった“後払い”。
戻っていない。
確実に。
「……やっぱり、
減ってるね」
ミリアが言った。
責める声じゃない。
でも、軽くもない。
「うん」
レインは頷く。
「想定よりは、
まだマシ」
その瞬間。
「ほっほっほ」
どこからともなく、
間の抜けた笑い声がした。
全員が、
同時に顔を上げる。
そこにいたのは――
岩に腰掛けるような気軽さで
椅子に座った老人。
ジル爺だった。
「また無理をしおって」
杖を、
床に軽く鳴らす。
「若いもんは、
どうしてそう極端かのぉ」
「……いつからいた」
レインが聞くと、
ジル爺は笑った。
「さっきから」
「いや、
ずっとかもしれん」
全員、
言葉を失う。
リュカが、
小さく呟いた。
「……気配、
なかった」
「あるわけなかろう」
ジル爺は、
得意げに胸を張る。
「老いぼれの特権じゃ」
そう言ってから、
レインを見る。
いや――
見透かす。
「ほれ」
杖の先が、
レインの胸元を指した。
「寿命、
削っとるな」
空気が、
一瞬で張り詰めた。
ミリアが、
一歩前に出る。
「……どれくらい」
「まあ」
ジル爺は、
指を二、三本立ててから
曖昧に揺らす。
「若いもんからすれば、
ぞっとする量じゃ」
ミリアの拳が、
震えた。
だがジル爺は、
あっさり言った。
「戻すか」
「……え?」
間の抜けた声が、
レインから漏れる。
「戻す」
ジル爺は、
本当に軽く言った。
杖を、
床に突く。
《因果補填》。
派手さはない。
光もない。
だが――
レインの視界が、
一瞬だけ反転した。
《残命観測》が、
書き換わる。
削れた線が、
元の位置へ。
後払いの影が、
薄くなる。
「……戻った」
リュカが、
確信を持って言った。
ミリアは、
言葉を失っている。
ジル爺は、
肩をすくめた。
「わしは長寿じゃからの」
「これくらい、
誤差じゃ誤差」
「若いもんが
無理して倒れる方が、
よっぽど困るわい」
一瞬、
感動的な空気が流れる。
……が。
ジル爺が、
にやりと笑った。
「礼なら――
そうじゃな」
「ミリアの
パンティの一枚でも――」
ゴンッ!!
鈍い音。
次の瞬間、
ジル爺は床に転がっていた。
「スケベたぬき!!」
ミリアの拳が、
綺麗に入っている。
「なに言ってんのこのジジイ!!」
「ほっほっほ!
冗談じゃ冗談!」
頭をさすりながら、
ジル爺は笑う。
レインは、
深く息を吐いた。
「……本当に、
元最強かよ」
「失礼な」
ジル爺は、
何事もなかったように立ち上がる。
「さて」
表情が、
少しだけ真面目になる。
「この事、
どうする?」
レインは、
迷わなかった。
「公表する」
全員が、
レインを見る。
「宝珠の代償」
「寿命の消費」
「連鎖する危険」
「全部」
「世界機関にも、
民衆にも」
ジル爺は、
少しだけ目を細めてから
頷いた。
「……そうか」
「止まらんぞ」
「知っても、
止まらん」
「分かってる」
レインは、
静かに答えた。
「でも――
知らないまま使わせる方が、
嫌だ」
《非裁定》は、
黙って頷く。
外では、
まだ宝珠が光っている。
それでも――
ここからは、
“知った世界”だ。
公表は、静かに行われた。
演説はない。
煽りもない。
英雄的な言葉も使わない。
世界機関の公式文書。
《非裁定》名義の補足資料。
そして――
レイン自身の記録。
宝珠の効果。
寿命消費の事実。
魔物化が“失敗”ではなく“仕様”であること。
書かれているのは、
淡々とした事実だけだった。
だが――
世界は、淡々と受け取らなかった。
「……寿命、
減るって書いてあるぞ」
「一部だろ?」
「全員じゃない」
「でも、
使った本人が言ってるじゃん」
「英雄が無理しただけだろ」
街では、
声が割れ始める。
恐れる者。
信じない者。
都合のいい部分だけを拾う者。
「危険なら、
禁止しろよ」
「禁止されたら、
困るのは俺たちだろ」
「自己責任って
書いてあるぞ?」
宝珠は、
撤去されなかった。
露店は、
減らない。
むしろ――
増えた。
「知ってて使うなら、
文句言われる筋合いないよな」
「覚悟があるやつだけ、
使えばいい」
そんな言葉が、
当たり前のように交わされる。
《非裁定》の拠点。
ミリアは、
窓の外を見ていた。
宝珠の光。
昨日より、
多い。
「……止まらないね」
「うん」
レインは、
短く答える。
「分かってた」
リュカが、
端末を操作する。
「使用報告数、
増加」
「魔物化未満の事故も、
比例してる」
「でも――
重大事故は、
まだ少ない」
エルドが、
静かに言う。
「……“まだ”だ」
その通りだった。
人は、
すぐには壊れない。
だから、
止まらない。
「蒼衡は?」
ミリアが聞く。
「公式には、
静観」
リュカが答える。
「治安維持は継続」
「宝珠自体には、
踏み込まない」
レインは、
目を伏せた。
誰も、
間違っていない。
だからこそ、
世界は進む。
「……次、来るね」
ミリアの声は、
確信に近かった。
「うん」
レインは、
宝珠の光を見つめる。
「“知ってて使う”願いは、
一番重い」
その夜。
宝珠の使用記録が、
一気に跳ね上がった。
成功例も、
失敗例も。
世界は、
もう後戻りしない。
通報は、簡潔だった。
《宝珠使用者による暴走》
《魔物化進行》
《場所:下層居住区》
「……来た」
リュカが呟く。
ミリアは、
もう何も言わなかった。
全員が、
分かっている。
これは“知らなかった事故”じゃない。
現場に着いた瞬間、
空気が違った。
男が、
笑っていた。
膨れ上がった腕。
歪み始めた顔。
それでも――
宝珠を握りしめたまま。
「はは……!」
「知ってるぞ!」
「寿命が減るんだろ!
魔物にもなるんだろ!」
「でもよぉ……!」
瓦礫を蹴飛ばす。
「今だけ強くなれるなら、
安いもんだろ!」
周囲の住民が、
距離を取る。
恐怖より、
嫌悪が勝っている。
「自己責任だって、
言ったじゃねぇか!」
ミリアの歯が、
ぎしりと鳴った。
「……最低」
だが――
剣は抜かない。
レインは、
一歩前に出る。
「止めろ」
「今なら――
戻れる」
男は、
鼻で笑った。
「戻ってどうする?」
「弱いまま、
生きろってか?」
《残命観測》が、
真っ赤に染まる。
もう、
引き返せない。
魔物化は、
確定している。
「……それでも」
レインは、
声を低くした。
「選択肢は、
それだけじゃない」
「うるせぇ!」
男が、
突っ込んでくる。
力は、
確かに英雄級。
だが――
動きは雑だ。
《非裁定》が、
一斉に動く。
前に出ない。
囲まない。
逃げ道だけを、
潰す。
《存在係留》。
《踏越位》。
魔物化が、
一気に進行する。
男の笑顔が、
歪む。
「……っ、
おい……」
「聞いてない……!」
「止まらねぇ……!」
それが、
最後の言葉だった。
咆哮。
完全魔物化。
「……行くよ」
ミリアが、
低く言う。
レインは、
一瞬だけ目を閉じた。
《因果代償・仮受》。
――使わない。
もう、
間に合わない。
《非裁定》は、
“倒す”を選んだ。
裁きではない。
救済でもない。
被害を止めるための、
最後の手段。
戦闘は、
短かった。
魔物は、
倒れた。
跡には、
何も残らない。
誰も、
勝った顔をしない。
住民の一人が、
呟いた。
「……自業自得だ」
ミリアの拳が、
震える。
レインは、
その言葉を否定しなかった。
否定できなかった。
「……次は」
リュカが、
静かに言う。
「もっと増える」
「うん」
レインは、
空を見上げる。
宝珠の光が、
遠くでまた一つ灯った。
《非裁定》は、
立ち尽くす。
知っていて使う世界は、
もう始まっていた。




