同じ死体を見ている
朝の空気は、冷えていた。
瓦礫は片付けられ、
血の跡も、水で流されている。
だが――
死の気配だけが、残っていた。
担架の上。
白布をかけられた死体。
昨日まで、
《勇者》を名乗っていた男。
レインは、その前に立っていた。
《非裁定》としてではない。
ただの、人として。
「……外傷はない」
呟くと、
隣で蒼衡の男が頷く。
セイン=ヴァルクス。
蒼衡の指揮官。
「心停止」
「急性変異後の反動死だろう」
「秘薬の影響も、
否定はできない」
淡々とした声。
だが、雑ではない。
記録を取り、
現場を見て、
最短で結論を組み立てている。
「事件性は?」
レインが問う。
セインは、
一拍だけ間を置いた。
「“今のところ”は低い」
「第三者介入の痕跡はない」
「毒物反応もなし」
「――処理対象だ」
その言葉に、
ミリアが一瞬、眉を動かす。
「……終わり、ってこと?」
「区切りだ」
セインは言い直す。
「これ以上、
被害を拡大させないための」
ガラン=ディオルが、
腕を組んだまま死体を見る。
「派手にやったな」
「結果的には、
街は守られた」
その言葉に、
空気がわずかに揺れる。
レインは、
白布の端を見つめたまま言った。
「でも――」
視線を上げる。
「“選ばされてた”」
セインの目が、
わずかに細くなる。
「選択は、
本人のものだ」
「秘薬を飲んだのも、
前に出たのも」
「彼だ」
「そうだね」
レインは、
否定しない。
「だから、
裁かない」
「でも」
一歩、
死体に近づく。
「この選択が、
“用意されてた”可能性は?」
沈黙。
風が吹き、
白布がわずかに揺れる。
蒼衡の兵たちは、
互いに視線を交わす。
セインは、
静かに息を吐いた。
「……ここから先は、
考え方の違いだな」
「被害は抑えた」
「原因は除去された」
「秩序は回復する」
「それで、
十分だ」
レインは、
首を振らなかった。
だが――
頷きもしなかった。
「俺たちは、
十分だと思わない」
《非裁定》が、
その場に揃う。
互いに、
同じ死体を見ている。
同じ現場に立っている。
それでも――
見ている“結論”が違う。
セインは、
その事実を受け止めた。
「……いい」
「なら、
ここからは“議論”だ」
「感情論は、
抜きでいこう」
レインは、
短く答えた。
「うん」
「そのつもりだ」
風が止む。
この場で、
何かが決まるわけじゃない。
だが――
互いの立ち位置だけは、
はっきりする。
議論は、怒号から始まらなかった。
それが、
この場をいっそう重くしていた。
「前提を整理しよう」
セイン=ヴァルクスが言う。
蒼衡の指揮官としてではなく、
一人の判断者として。
「偽勇者は、
秘薬を使用した」
「使用は自発的」
「結果として魔物化し、死亡」
「第三者の直接介入は確認されていない」
「よって――
これは“事件”ではなく“事案”だ」
「再発防止策を講じれば、
終わる話だ」
レインは、
一拍置いてから答えた。
「整理としては、
正確だと思う」
ミリアが一瞬、目を見開く。
だがレインは続ける。
「だからこそ、
そこに違和感が残る」
「彼は、
選んだように見える」
「でも――
選択肢が、
最初から偏ってた」
ガラン=ディオルが、
低く笑う。
「偏ってた、か」
「人間なんて、
そんなもんだろ」
「強くなりたい」
「役に立ちたい」
「評価されたい」
「全部、
普通の欲だ」
「そこを抑えてたら、
何も進まねぇ」
リュカが、
静かに口を挟む。
「進んだ先が、
“用意された一本道”なら?」
「それは、
進んだとは言わない」
セインは、
即座に切り返した。
「だが――
秩序は一本道で保たれる」
「選択肢が多すぎれば、
迷いが増える」
「迷いは、
被害を生む」
「だから、
選ばせる必要がある」
レインは、
首を横に振る。
「違う」
「選ばせる、じゃない」
「“選ばせている”」
「そこに、
誰かの意思が介在した瞬間、
秩序は操作になる」
セインの眉が、
わずかに動く。
「操作でもいい」
即答だった。
「結果として、
被害が抑えられるなら」
「蒼衡は、
そうやって世界を守ってきた」
その言葉に、
レインは初めて
感情を滲ませた。
「……守られてる側は、
選べない」
「“安全”って言葉で、
囲われる」
「それは、
檻だ」
一瞬、
空気が張り詰める。
だがセインは、
声を荒げない。
「檻でも、
生きている方がいい」
「自由に死ぬより、
ずっとな」
ミリアが、
思わず一歩前に出た。
「それ、
本人に聞いた?」
セインは、
視線を逸らさない。
「聞く必要はない」
「全体を守る立場の人間が、
全員に確認などできない」
「だから、
決める」
「それが、
役割だ」
沈黙。
レインは、
ゆっくり息を吐いた。
「……分かった」
その言葉に、
蒼衡の面々が
わずかに身構える。
だがレインは、
剣を抜かない。
声も、
強めない。
「俺たちは、
その役割を
引き受けない」
「裁かない」
「退かない」
「選ばせない」
「《非裁定》は、
そこに立ち続ける」
セインは、
小さく笑った。
「なるほど」
「思想だな」
「……ああ」
レインも、
少しだけ笑う。
「だから、
相入れない」
だが、
どちらも踏み込まない。
踏み込めば、
戻れなくなると
分かっているから。
風が吹き、
白布がまた揺れた。
死体は、
何も語らない。
だが――
二人は、
同じものを見ていない。
しばらく、誰も口を開かなかった。
瓦礫の間を風が抜け、
白布が、かすかに揺れる。
議論は終わっていた。
だが、結論は出ていない。
セイン=ヴァルクスは、
死体から視線を外し、
空を見上げた。
「……ここまでだな」
それは、撤退宣言だった。
「蒼衡は、
この件を“終わった事案”として処理する」
「再発防止策は講じる」
「管理は強化する」
「以上だ」
ガラン=ディオルが、
肩をすくめる。
「これ以上掘っても、
死人は戻らねぇ」
「次の被害を抑える方が、
建設的だ」
ミリアが、
小さく舌打ちする。
「……その“次”が、
用意されてるかもしれないのに」
セインは、
それを否定しない。
「可能性はある」
「だが――
それを理由に、
今の秩序を壊すことはできない」
レインは、
静かに頷いた。
「うん」
「それも、
分かってる」
一瞬、
場の空気が緩む。
理解している。
互いに。
だからこそ、
これ以上は進めない。
「《非裁定》は?」
セインが問う。
レインは、
仲間を見渡す。
エルドは黙って立ち、
リュカは周囲を観察し、
ミリアは腕を組んでいる。
「俺たちは、
この件を“保留”にする」
「裁かない」
「終わらせない」
「でも――
今は壊さない」
セインは、
ふっと笑った。
「面倒な立場だな」
「そっちもだろ」
レインも返す。
そのやり取りは、
険悪ではなかった。
どこか――
子供の喧嘩に近い。
「次は?」
ガランが聞く。
セインは、
一拍考えてから答えた。
「次は、
もっと大きい」
「その時は――
また顔を合わせることになるだろう」
「だろうね」
レインは、
あっさり言った。
それ以上、
言葉は交わさなかった。
蒼衡の部隊が、
現場を引き継ぐ。
《非裁定》は、
静かにその場を離れる。
背中合わせ。
振り返らない。
だが――
互いに、
同じ予感を抱いていた。
これは、
始まりでも終わりでもない。
ただの、
通過点だ。
街に戻る途中、
ミリアが言った。
「結局、
何も解決してないね」
「うん」
レインは、
歩きながら答える。
「でも――
何が違うかは、
はっきりした」
遠くで、
また宝珠が光る。
登録済み。
安全評価済み。
それを見て、
レインは目を細めた。
「……次は、
もう少し痛い」
《非裁定》は、
その光を背に、
歩き続けた。




