前に立つ理由
依頼書を見た瞬間、ミリアは小さく息を吸った。
――複数魔物同時発生
――連携行動あり
――前衛被害多数
「……前に立つ人が、足りてない」
自然に出た言葉だった。
レインは、横から依頼書を見て頷く。
「ええ。
だから、あなたが立つ」
迷いはなかった。
以前なら、
この言葉だけで胸がざわついていたはずだ。
でも今は――
「……はい」
即答できた。
•
現地は、開けた谷間だった。
岩陰。
視界の悪さ。
挟撃が成立しやすい地形。
「……来ます」
ミリアは、一歩前に出る。
レインは、その背中を見て立ち止まった。
(……もう、準備は要らない)
彼女は、もう“立てる”。
魔物が現れる。
三体。
連携型。
一体が囮になり、二体が左右から詰める。
(……前と同じ)
でも、今は違う。
ミリアは、深く息を吸った。
「――行きます」
踏み込み。
《零距離踏み(ゼロ・ステップ)》。
距離が、消える。
囮役の魔物が、
「攻撃を受ける前提」で動いた瞬間。
「――今」
レインの声は、必要最小限だった。
《線上固定》。
逃げ場が、消える。
ミリアは、迷わない。
《直線穿ち(リネア・スラスト)》。
一体目が、沈む。
「……っ」
二体目が、同時に動く。
挟撃。
以前なら、判断が遅れていた。
だが――
(……見える)
軌道。
重心。
次の一歩。
ミリアは、身体をひねる。
《弧返し(アーク・リバース)》。
相手の動きを“なぞって”ずらす。
三体目の攻撃が、空を切る。
その瞬間。
「――私が、前に立つ理由は」
ミリアの声は、震えていない。
「考えて、決めて、守るため」
《存在線断ち(エグジスト・ライン)》――
未完成の奥義。
だが、
今は十分だった。
切っ先が、
“成立していた線”を断つ。
魔物は、音もなく崩れ落ちた。
•
静寂。
風が、谷を抜ける。
ミリアは、剣を下ろした。
呼吸は、乱れていない。
(……立てた)
後ろから、レインが歩み寄る。
「……完全に、前衛でした」
その言葉に、
胸の奥が、熱くなる。
「……はい」
ミリアは、小さく笑った。
「もう、逃げません」
レインは、少しだけ目を細める。
「それなら……」
一拍置いて。
「これからは、
あなたが前線の基準です」
ミリアは、驚いて――
そして、少し照れた。
「……それ、
責任、重いですね」
「でも」
視線を合わせる。
「悪くないです」
二人は、同時に笑った。
前に立つ人。
後ろで支える人。
役割は、もう揺るがない。
世界の前提が、
静かに書き換わっていく。
最初に異変に気づいたのは、後続の冒険者たちだった。
谷の入口で足を止め、
倒れ伏す魔物の数を数える。
「……三体?」
「しかも、
ほとんど傷が残ってないぞ」
一人が、喉を鳴らす。
「あの連携型だろ……?
前衛が二人でも、
普通は一人は持ってかれる」
視線が、谷の中央に向く。
そこに立っていたのは、
一人の少女だった。
細身の体。
レイピアを軽く構え、
すでに剣を収めようとしている。
「……あの子が、
やったのか?」
「後ろにいるのは……」
視線がずれる。
少し離れた場所に、
黒髪の男が立っている。
魔力の発光もない。
詠唱もない。
ただ、
何もしていないように見える。
「……前衛が全部処理してる?」
「いや……
動きが、変だ」
冒険者の一人が、眉をひそめる。
「攻撃が、
当たってるっていうより……」
言葉を探す。
「……“通ってる”?」
その表現に、
周囲が黙る。
•
少し離れた場所。
別パーティの前衛が、
ミリアに声をかけた。
「……あの」
ミリアは、少し驚いて振り向く。
「はい?」
「さっきの戦い……
あれ、
どこの流派だ?」
ミリアは、少し考える。
「……古代剣術、です」
正確には、
二人で再構築した剣術だが。
「古代……?」
前衛は、目を丸くする。
「……見たこと、ないな」
「力で押してない。
でも、
全部“決まってた”」
ミリアは、少しだけ照れた。
「……後ろが、
しっかりしてるので」
自然に出た言葉だった。
その瞬間。
周囲の冒険者たちが、
一斉に後ろを見る。
そこには、
相変わらず静かに立つレイン。
「……後衛?」
「いや……
あれは……」
誰かが、言いかけて止まる。
適切な言葉が、
見つからない。
•
ギルドへの帰路。
レインとミリアは、
並んで歩いていた。
「……さっき、
ちょっと見られてましたね」
ミリアが、小さく言う。
「ええ」
レインは、気にしていない様子だ。
「でも、
気づいてる人は少ないです」
「……何に?」
「あなたが、
戦場の基準になり始めていることに」
ミリアは、思わず足を止めた。
「……え?」
レインは、振り返る。
「前に立つ人の動きが、
他の人の判断基準になります」
「あなたの立ち位置、
踏み込み、間合い……」
淡々と続ける。
「それを見て、
周囲が動き始めていました」
ミリアは、言葉を失う。
(……そんな)
自分は、
ただ必死に立っていただけなのに。
「……それって」
「はい」
レインは、はっきり言った。
「一人前の前衛です」
その言葉に、
ミリアの胸が、静かに満たされていく。
「……ありがとうございます」
小さく、でも確かな声。
谷を抜ける風が、
二人の間を通り過ぎた。
世界は、
まだ何も知らない。
だが――
前線の形は、
確実に変わり始めていた。
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