同時多発の成功
最初は、噂だった。
「宝珠を使ったら、
本当に商売がうまくいったらしい」
「病気が治ったって話もあるぞ」
「英雄じゃなくても、
人生を立て直せる時代だな」
一つ一つは、小さな話だ。
街角の酒場で交わされる程度の、
与太話に近い。
だが――
数が、違った。
同じ日。
ほぼ同じ時間帯。
離れた地域で、
“成功例”が報告され始める。
世界機関の簡易報告板に、
紙が貼られていく。
《宝珠使用後、
生産性向上を確認》
《身体能力の向上、
短期間で顕著》
《治療不能とされた症状の改善》
数字は、
どれも前向きだった。
「……多いな」
担当官が、
書類をめくりながら呟く。
だが、
問題はその裏側にあった。
同じ板の、
少し下。
急ごしらえの赤印。
《魔物化被害・発生》
《住民負傷》
《鎮圧要請》
それもまた、
同時多発的に増えていく。
街。
村。
交易路。
原因は、ばらばら。
関係性は、見えない。
「……宝珠との因果、
まだ確定できません」
分析官が、
慎重な口調で報告する。
「成功例も多く、
単純な禁止は――」
「待て」
声を挟んだのは、
《勇者》を名乗る剣士だった。
世界機関の席。
もう彼の居場所は、
“仮”ではない。
「現場は混乱している」
「俺たちが動く」
「今まで通り、
暴走個体を鎮圧すればいい」
その言葉は、
頼もしく聞こえた。
実際――
彼らは動いた。
だが、
数が違った。
一件鎮圧しても、
別の街で被害が出る。
移動中に、
次の要請が入る。
「……間に合わない!」
斥候が叫ぶ。
魔道具は、
確かに有効だった。
だが――
使える回数には、
限界がある。
「次だ!」
「休むな!」
剣士は叫ぶ。
だがその声は、
次第に掠れていった。
ついに――
要請が、
彼らの手を離れる。
「英雄を――!」
「本物の英雄を呼べ!」
「蒼衡にも連絡を!」
「非裁定もだ!」
戦線は、
一気に広がった。
英雄たちが、
各地へ散る。
蒼衡が、
治安線を敷く。
非裁定は、
“立つ場所”を探しながら動く。
街は救われる。
被害は抑えられる。
――だが。
会議室では、
別の空気が流れていた。
「勇者諸君も、
よくやっている」
「想定外の規模だっただけだ」
「原因は、
まだ特定できていない」
剣士は、
静かに頷く。
「ええ」
「我々も、
全力を尽くしました」
誰も、
嘘だとは言わない。
なぜなら――
彼らは、
“確かに動いていた”からだ。
原因は不明。
責任の所在も曖昧。
だが一つだけ、
はっきりしている。
宝珠は、
止まっていない。
そして――
《勇者》たちは、
依然として世界機関の中枢にいる。
世界は、
忙しくなった。
忙しすぎて、
考える暇を失い始めていた。
戦場は、一つではなかった。
北の農村。
東の交易路。
南の港町。
ほぼ同時に、
“魔物化”が発生する。
原因は不明。
発生条件も一定しない。
ただ――
宝珠使用歴がある、
それだけが、共通点だった。
「次、北だ!」
ライザ=クロウデルは、
血を拭う暇もなく駆ける。
倒した魔物は、
かつて人だった。
名前も、家も、仕事もあった。
「……くそ」
吐き捨てる。
救えた。
だが、守れなかったものが多すぎる。
一方、別の街。
蒼衡の部隊が、
即席の封鎖線を敷く。
「住民を下げろ!」
「混乱させるな!」
「情報は、
確定するまで出すな!」
秩序は、
力でしか守れない局面に入っていた。
「……追いつかん」
セイン=ヴァルクスが、
歯を食いしばる。
対応はできる。
だが、
“後手”だ。
宝珠は、
すでに広がっている。
非裁定――
レインたちは、
戦場を選ばない。
いや、
選べない。
「ここは俺が立つ」
エルドが、
崩れた街路に盾を突き立てる。
《存在係留》が、
逃げ場を作る。
ミリアは、
前に出すぎない。
《踏越位》で、
魔物を“押し返す”だけ。
斬らない。
殺さない。
だが、
間に合わない時もある。
「……また、か」
リュカが、
状況を把握する。
未来が、
いくつも潰れている。
「数が、
多すぎる」
非裁定は、
裁かない。
だが――
止め続けるには、
世界が広すぎた。
夜。
臨時本部。
英雄も、蒼衡も、
非裁定も、
泥と血を引きずって集まる。
「原因は?」
誰かが問う。
「不明」
「宝珠との因果は?」
「断定できない」
「じゃあ、
止められないのか」
沈黙。
その沈黙を破ったのは、
世界機関の報告官だった。
「《勇者》パーティも、
現地で対応しています」
「人的被害は、
彼らの地域では――」
数字が、
読み上げられる。
悪くない。
むしろ、
“健闘”している。
ヴァルハルトが、
低く唸る。
「……便利だな」
誰の責任にもならない。
誰も嘘をついていない。
だが――
何も分かっていない。
会議は、
結論を出せないまま散った。
外では、
また要請が鳴る。
「次は、西だ!」
世界は、
救われ続けている。
それなのに――
どこか、
確実に壊れ続けていた。
《勇者》と呼ばれる席は、
思っていたよりも狭かった。
剣士は、
世界機関の廊下を早足で歩く。
壁に貼られた地図。
赤印。
赤印。
赤印。
増えている。
「……多すぎだろ」
思わず、声が漏れる。
魔術師が、
疲れ切った顔で言った。
「移動が、
追いついてない」
「宝珠使用者の数が、
想定を超えてる」
僧侶は、
無言で手を震わせている。
回復が追いつかない。
精神的にも。
「……俺たち、
英雄じゃないんだぞ」
斥候が、
小さく呟いた。
剣士は、
それを聞かなかったことにする。
「関係ない」
「今は、
俺たちしかいない」
――そう言い聞かせなければ、
立っていられなかった。
魔道具を取り出す。
宝珠の力を抑え、
暴走を鎮める装置。
確かに、効く。
だが――
万能ではない。
「……次の個体、
抑制が間に合わない」
魔術師の声が、
掠れる。
「力の出力が、
前より上がってる」
剣士の喉が鳴る。
(……聞いてない)
老人は、
“一時的”だと言った。
“管理できる”と。
だが現実は――
増えすぎている。
「……次は、
英雄を呼ぼう」
僧侶が、
意を決したように言う。
その言葉に、
剣士の背中が、
ひくりと揺れた。
「……呼ぶな」
低い声。
「呼んだら、
俺たちの“席”が消える」
「でも……!」
「いいから!」
剣士は、
自分でも驚くほど
声を荒げていた。
「俺たちは、
役に立ってる」
「支持もある」
「評価もある」
「今さら、
引けるかよ」
そのとき――
背後から、
懐かしい声がした。
「ほっほ……」
振り返ると、
例の老人が立っている。
いつも通り、
影の中。
「……数が多いのぉ」
剣士は、
苛立ちを隠さず吐き出す。
「聞いてねぇぞ」
「こんな規模!」
老人は、
首を横に振った。
「規模は、
変わっておらん」
「“願い”が、
増えただけじゃ」
「……じゃあ、
どうすりゃいい!」
老人は、
一歩だけ近づく。
「焦るな」
「お主らは、
まだ役に立つ」
「世界機関にも、
入った」
「英雄も、
忙しい」
「今は――
耐える時期じゃ」
剣士は、
拳を握りしめた。
(耐える?)
(……いつまでだ)
遠くで、
また警報が鳴る。
別の地域。
別の被害。
斥候が、
歯を食いしばる。
「……次、
どうする」
剣士は、
一瞬だけ黙った。
頭の中で、
一つの考えが
はっきりと形になる。
(……もっと、
中に入る)
(判断する側に)
(そうすれば――
俺たちは、
“遅れない”)
その目に、
焦りと、
歪んだ決意が宿る。
老人は、
それを見て
満足そうに微笑んだ。
「よい顔じゃ」
「“勇者”とはの」
「そうやって、
前に出たがるものじゃ」
その言葉が、
祝福なのか、
呪いなのか。
剣士には、
もう区別がつかなかった。




