安い希望の買い方
《ブレイブ・ノヴァ》は、表舞台から消えた。
正確には――
消えたことにされた。
広場での一件以降、
彼らの名を口にする者はいない。
露店の看板は外され、
英雄グッズは値下げされ、
話題は次の噂へ移っていった。
「……くそ」
薄暗い路地裏で、
剣士は壁を蹴った。
「なんでだよ……」
「俺たちは、
ちゃんと“やってた”だろ……!」
魔術師は黙り込んでいる。
僧侶は俯いたまま。
斥候は、周囲を警戒する癖だけが残っていた。
「英雄が悪いんだ」
「本気出してねぇくせに……」
「俺たちの“席”を奪いやがって……」
その声に、
応えるような老人がいた。
「――力が欲しいかの」
気づけば、
路地の奥に腰掛けている。
ぼろ布を纏い、
顔は影に隠れている。
「な、なんだあんた」
剣士が睨む。
老人は、
手のひらを開いた。
そこにあったのは、
淡く光る小さな珠。
「願いを叶える宝珠じゃ」
「安いぞ」
「……は?」
「一時的じゃがな」
「英雄ほどではないが、
“今の悔しさ”は、
きれいに消える」
魔術師が、
ごくりと喉を鳴らす。
「……本当か?」
老人は笑う。
「嘘は言わん」
「叶う」
値段は、
拍子抜けするほど安かった。
酒場で一晩飲むより、
少し高いくらい。
剣士は、
迷わなかった。
「……買う」
その瞬間、
宝珠は砕け、
光が身体に染み込む。
――力が、湧いた。
剣が軽い。
魔力が溢れる。
視界が澄む。
「……おお……!」
「すげぇ……!」
「これなら……!」
老人は、
満足そうに頷いた。
「ほっほ……」
「それでええ」
「“願い”は、
ちゃんと叶った」
数日後。
街外れで、
魔物の咆哮が上がった。
異様に強い。
異様に凶暴。
駆けつけた冒険者が、
次々と倒れる。
そして――
英雄が出た。
討伐は、
長くなかった。
戦いが終わり、
瓦礫の中で見つかったのは、
ひしゃげた剣と、
見覚えのある徽章。
《ブレイブ・ノヴァ》。
ライザは、
それを拾い上げ、
しばらく見つめた。
「……これ」
ヴァルハルトが、
低く言う。
「どっかで見たな」
イリスが、
静かに続けた。
「ええ」
「“安い希望”の匂いがします」
誰も、
それ以上は言わなかった。
だがその夜、
街の片隅で――
同じような光が、
また一つ売られていた。
最初は、成功例として語られた。
「《ブレイブ・ノヴァ》が戻ってきたらしい」
「前より、ずっと強くなってるってさ」
「やっぱり英雄だったんだな」
噂は、いつも都合のいい部分だけを拾う。
街外れの森。
かつて彼らが避けていた場所。
剣士は、そこに立っていた。
剣を振るたび、
木が根元から吹き飛ぶ。
「……すげぇ」
魔術師が、息を呑む。
「英雄クラスだぞ、これ……!」
剣士は笑った。
久しぶりに、胸を張って。
「見たか」
「俺たちは、
“選ばれなかった”んじゃない」
「遅れてただけだ」
最初の異変は、
夜だった。
剣士の呼吸が荒くなる。
鼓動が、異様に速い。
「……熱い……」
肌の下で、
何かが動く感触。
「大丈夫?」
僧侶が声をかける。
「平気だ」
「これくらい……
力が馴染んでるだけだ」
だが翌朝、
森の動物が一匹もいなくなっていた。
血の跡だけが残る。
魔術師が、
不安げに言った。
「……食べた、のか?」
剣士は答えない。
答えられない。
次の日、
街の近くで異変が起きた。
家屋が壊れ、
人が吹き飛ばされる。
悲鳴。
混乱。
駆けつけた冒険者が、
凍りついた。
そこにいたのは――
“人の形”をした魔物だった。
かつての剣士。
腕は異様に肥大し、
皮膚は黒く硬質化。
目は、赤く濁っている。
「……来るな……」
声は、
まだ残っていた。
だが次の瞬間、
本能が上書きする。
「――ぐあああ!」
街は荒らされた。
人が傷つき、
家が壊れ、
“英雄の帰還”は
“災厄”に変わった。
そこへ――
本物の英雄が来た。
ライザの一太刀で、
動きが止まる。
ヴァルハルトが、
叩き伏せる。
イリスの光が、
“人だった部分”を静かに鎮めた。
戦いは、
あまりにも短かった。
残ったのは、
瓦礫と、沈黙。
瓦礫の中から、
拾い上げられたのは――
変形した徽章。
《ブレイブ・ノヴァ》。
ミリアが、
それを見て息を詰める。
「……同じ、だ」
レインも頷く。
「路地で見た、
あの珠の匂い」
遠くで、
泣き声が上がる。
人々は、
何が起きたのか
まだ理解できていない。
だが一つだけ、
空気が変わった。
安い希望は、
安いままでは終わらない。
後始末は、静かだった。
壊れた家は覆いが掛けられ、
怪我人は運ばれ、
死者の名は、まだ口にされていない。
英雄たちは、
言葉少なに瓦礫を見回していた。
ライザが、
地面に落ちていた剣の柄を拾う。
ひしゃげている。
だが、
手入れだけは丁寧だった。
「……最後まで、
英雄でいたかったんだろうな」
誰に向けた言葉でもない。
ヴァルハルトは、
別の遺品を拾い上げた。
変形した徽章。
かつて、
派手に掲げられていたもの。
《ブレイブ・ノヴァ》。
「これ」
短く言って、
ライザに渡す。
ライザは受け取り、
眉をひそめた。
「……どっかで見たな」
イリスが、
静かに頷く。
「路地裏です」
「露店の脇で、
淡く光る珠と一緒に」
レインも、
思い出していた。
(安い)
(手軽)
(すぐ結果が出る)
あの老人。
あの声。
ミリアが、
拳を握る。
「……また、出るよ」
「うん」
レインは、
否定しなかった。
英雄たちは、
遺品をまとめ、
現場を後にする。
街の人々は、
まだ英雄を見て安堵している。
だが――
その安堵の裏で、
小さな不安が芽吹き始めていた。
そして。
街から遠く離れた場所。
光の届かない地下。
そこでは、
いくつかの影が集っていた。
「……一つ、熟れたな」
低い声。
喜びはない。
感慨もない。
「人間は、
結果が出ると早い」
別の影が、
くすりと笑う。
「希望を与えた」
「叶えた」
「絶望は、
勝手に育つ」
誰かが、
淡い光を弄ぶ。
砕けた宝珠の残滓。
「英雄を名乗った個体か」
「悪くない」
「だが、
まだ足りん」
影は、
さらに深い場所を見た。
「数が要る」
「願いが要る」
「……街が要る」
最後に、
誰かが呟いた。
「――よく育つ」
光は消え、
影も散る。
誰にも知られないまま。
その夜、
別の街で、
また一つ――
安い宝珠が、
手に渡った。
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