終わりを告げる三つの影
空が、重かった。
雲が垂れ込めているわけでも、嵐の兆しがあるわけでもない。
ただ――世界そのものが、息を詰めているような感覚。
ライザ=クロウデルは、丘の上で立ち止まった。
「……来る」
理由はない。
直感でもない。
“世界が嫌がってる”――ただそれだけだ。
後方では、ヴァルハルト=レオンが大剣を肩に担ぎ、ゆっくりと歩みを止める。
その視線は、すでに前方の平原を睨んでいた。
「魔物じゃないな」
「うん。魔物なら、もう少し“生き汚い”」
ライザの言葉に、誰も笑わなかった。
ノイン=フェルツが召喚陣を展開しかけ、途中で止める。
「……召喚が、嫌がってる」
「嫌がってる?」
「呼ばれるのを、拒否してる。
あの先にいる“何か”を理由に」
イリス=アークライトが、杖を強く握った。
光属性魔力が、濁る。
本来ありえない現象だった。
「……“裁き”に近い」
その瞬間だった。
平原の中央、空間が沈んだ。
爆発ではない。
歪曲でもない。
存在の密度だけが、急激に増した。
そこに現れたのは、三つ。
最初に目に入ったのは――静止。
いや、静止しているのではない。
“動いていない状態が固定されている”。
それが、《終審断罪》。
人型に近い輪郭。
だが、顔と呼べるものは存在せず、ただ“裁定がそこに在る”。
次に、空間が圧縮される。
森が、丘が、地形そのものが意味を失って潰れる。
そこに立つのは、《最適淘汰》。
無数の視線を持つかのように、常に周囲を計測し続ける存在。
近づくだけで、身体の価値が量られる錯覚。
そして最後。
それは、最も分かりやすく――最も異常だった。
地面が、終わる。
前にも後ろにも行けない。
逃げ道という概念が、消える。
《帰還否定》。
そこに立つだけで、**「戦場は終点だ」**と理解させられる。
三体。
同時。
連携はない。
視線すら、交わさない。
だが――思想は、完全に一致している。
ヴァルハルトが、低く息を吐いた。
「……冗談だろ」
英雄として、数え切れない死地を越えてきた男の声が、わずかに震える。
「三体とも……“勝つために出てきた”存在じゃない」
ライザは理解した。
あれは、敵じゃない。
“終わらせるために来た”。
《終審断罪》が、最初に動いた。
動いた、というより――
判定が走った。
《存在影響量:高》
《集団連鎖危険度:上昇》
《処理候補:英雄群》
言葉はない。
だが、意味だけが叩きつけられる。
空気が、剥がれた。
ライザは反射的に跳ぶ。
双短剣を抜き、影を裂く。
だが、斬ったはずの空間に――何も残らない。
「……当たらない!?」
当たらないのではない。
“当たったという結果”が存在しない。
同時に、《最適淘汰》の周囲で、数値の奔流のようなものが走る。
《価値再算定》
《過剰変数:削減推奨》
ヴァルハルトが踏み込む。
「だったら――叩き潰すだけだ!」
大剣が唸り、地面が割れる。
英雄級の膂力。
だが、刃が届く前に――
地形が、折れた。
圧縮。
ヴァルハルトの身体が、地面ごと押し潰される。
「ぐっ……!」
骨が軋む。
鎧が悲鳴を上げる。
そして、《帰還否定》が“完成”する。
背後の地平が、消えた。
撤退不能。
退路概念、削除。
イリスが叫ぶ。
「全員、下がって――!」
だが、もう遅い。
三体は、同時に処理段階へ移行していた。
英雄たちは悟る。
これは――
勝てるかどうかの戦いではない。
生き残れるかどうかの段階ですらない。
「……クソ」
ライザは歯を食いしばる。
「これが……“世界の整理”かよ……!」
そして、空がさらに沈んだ。
――ここからが、本当の戦闘だ。
最初に崩れたのは、時間感覚だった。
戦闘が始まった、という実感がない。
剣を振るい、魔法を放ち、踏み込んだ――
はずなのに、「行動した結果」が世界に残らない。
《終審断罪》の周囲では、
因果そのものが薄くなっていた。
ライザの双短剣が閃く。
踏み込み。
横薙ぎ。
返し。
完璧な連撃。
だが――
刃が触れた“はずの空間”が、
最初から存在していなかったかのように空白になる。
「……ッ!」
次の瞬間、胸が焼けた。
衝撃ではない。
斬撃でもない。
「存在していた」という事実そのものを、否定された。
ライザの身体が宙を舞い、地面を転がる。
「ライザ!」
ヴァルハルトが踏み込む。
英雄としての直感が叫んでいた。
――あれは、個で対処する存在じゃない。
大剣が、渾身で振り下ろされる。
地面が割れ、
衝撃波が走り、
英雄級の一撃が世界を叩く。
だが。
《最適淘汰》が、わずかに“視線”を向けた。
《価値再算定》
《攻撃影響量:過剰》
《危険度上昇:削減対象》
空間が、縮む。
ヴァルハルトの一撃は、
**「世界に与える影響が大きすぎる」**という理由で、
途中から“意味を失った”。
剣が、
威力を、
存在感を、
そして「英雄としての重み」を削られていく。
「――なっ……!」
大剣が、途中で止まる。
止まったのではない。
“そこまでの強さしか許可されていない”。
次の瞬間、
圧縮された空間が弾けた。
ヴァルハルトの身体が、
見えない壁に叩きつけられる。
骨が鳴った。
鎧が裂けた。
「ぐ、あ……ッ!!」
英雄の身体が、地面に沈む。
致命傷ではない。
だが――これ以上、前に出られない。
その間に、《帰還否定》が展開を完了する。
周囲の景色が、
一斉に“終点”へと固定される。
逃げ道が消える。
距離という概念が意味を失う。
ノインが叫ぶ。
「空間が……閉じてる!
前にも後ろにも、選択肢がない!」
イリスが光魔法を展開する。
結界。
補助。
回復。
だが、光が途中で消えた。
《帰還否定》の領域では、
「やり直し」も「回復」も存在しない。
一度傷ついた事実は、
永遠に固定される。
「……嘘でしょ……」
イリスの声が震える。
その瞬間、《終審断罪》が再判定を下す。
《対象:英雄個体》
《存在影響量:依然として高》
《処理段階:前倒し》
見えない“判決”が落ちる。
イリスの視界が、白く焼けた。
痛みではない。
恐怖でもない。
「自分が世界に不要だと宣告された」
という理解だけが、心を貫いた。
身体が動かない。
膝をつき、
杖を落とし、
呼吸が乱れる。
《存在有罪》。
――執行開始。
その直前。
ノインが、前に出た。
「……ッ、させるか!!」
召喚陣が、無理やり展開される。
本来なら拒否されるはずの術式。
だが、ノインは自身の魔力回路を焼いて強行した。
召喚体が顕現し、
《終審断罪》の視界を一瞬だけ塞ぐ。
たった、一瞬。
だが、その代償は大きかった。
ノインの身体が、
内側から崩れる。
血を吐き、
膝を折り、
意識が遠のく。
「ノイン!!」
ライザが叫び、駆け寄ろうとする。
だが、《最適淘汰》の視線が彼女を捉えた。
《再算定》
《残存価値:低下》
《処理優先度:保留》
――殺されない。
代わりに、
“生き残る価値が下げられた”。
それが、どれほど屈辱的か。
どれほど残酷か。
英雄たちは理解していた。
これは戦いではない。
三体は、
勝つために来たのではない。
「世界を静かにするために来た」。
英雄は、その途中にある“ノイズ”に過ぎない。
その時。
空気が、変わった。
世界が、
一瞬だけ――
呼吸を思い出した。
世界が、ひとつ深く息を吸った。
それは自然現象ではない。
誰かが――意図的に、世界の流れを止めた。
《帰還否定》の領域が、きしむ。
終点として固定されていた空間に、
“戻る”という概念ではない、
**「留保」**が差し込まれる。
「……?」
《終審断罪》が、初めて演算を止めた。
存在有罪。
終審執行。
その手順の途中に、
未定義の値が割り込んできたからだ。
次の瞬間。
――“歩いてきた”。
派手な転移も、魔力の奔流もない。
ただ、そこに至るまでの距離を、
普通に歩いたかのような足取り。
杖をついた、白髪の老人。
だが、その一歩ごとに、
歪んでいた因果が“正しい位置”へ戻されていく。
「……やれやれ」
低い声。
「若いのは元気で結構じゃが、
世界を静かにするには――
少々、やり方が雑すぎるのう」
ジル爺だった。
《最適淘汰》が即座に再算定を走らせる。
《対象:新規存在》
《価値測定不能》
《世界影響量:計測不能》
《危険度:——》
算定が、止まる。
《帰還否定》の領域が揺らぐ。
終点固定が解除されないまま、
“外から触れられている”。
「……非裁定?」
《終審断罪》が、静かに呟いた。
裁かず。
退かず。
選ばせない。
それは、以前検出した異常と同じ概念。
だが、目の前の存在は違う。
これは“異常”ではない。
**“理解を拒否する意思を持った例外”**だ。
ジル爺は英雄たちを一瞥する。
ライザは胸を押さえ、呼吸もままならない。
ヴァルハルトは片膝をつき、大剣を支えに立っている。
ノインは倒れ、イリスは意識を保つのが精一杯だ。
「……ここまでやられとるか」
杖を、軽く地面に突く。
音は小さい。
だがその瞬間、
三体の究極逸脱個体すべてが、
同時に“警告”を検出した。
《終審断罪》
《処理継続:不可》
《理由:未定義干渉の拡大》
《最適淘汰》
《排除優先度:再計算不能》
《反動予測:世界規模》
《帰還否定》
《終点固定:維持不能》
《拘束破壊リスク:臨界》
――結論。
今、ここで戦うことは、
世界の静寂を遠ざける。
それは、彼らの思想に反する。
「……撤退」
三体は、同時に判断する。
それは敗北ではない。
逃走でもない。
**「今は、最適ではない」**という選択。
空間が、音もなく畳まれる。
《帰還否定》の領域が解け、
《最適淘汰》の圧縮が解除され、
《終審断罪》の“視線”が外れる。
三体の姿が、世界から消えた。
まるで、
最初からそこにいなかったかのように。
沈黙。
風が、ようやく普通に吹く。
英雄たちは、崩れ落ちるように座り込んだ。
「……生きてる……?」
ライザの呟きに、
誰もすぐ答えられない。
生きてはいる。
だが、確実に何かを失った。
イリスは震える手で、自分の胸を見る。
光魔法は、もう以前のように応えてくれない。
ノインは意識を取り戻さず、
ヴァルハルトは大剣を握る腕に力が入らない。
ジル爺は、逸脱個体が消えた方向を見る。
「……あれはの」
誰にともなく言う。
「世界を壊す悪でも、
守る正義でもない」
一拍。
「世界を“整理”しに来た存在じゃ」
英雄たちが息を呑む。
「そして、厄介なのは……
あれらはまだ“本気で狩りを始めておらん”」
沈黙が、重く落ちた。
「次に来る時は、
今日みたいに様子見では済まん」
ジル爺は、英雄たちに背を向ける。
「生き延びたのは運じゃ。
じゃが――」
一度だけ、振り返った。
「次は、“選ばれる側”になる覚悟をせい」
その言葉が、
英雄たちの胸に、深く沈んだ。
遠くで、雷が鳴る。
世界はまだ、静かではない。
だが確実に――
“選別”は、次の段階へ進んだ。




