英雄案件ではない
会議室は、静まり返っていた。
重厚な円卓を囲むのは、世界機関の調停官、上位ギルド代表、そして数名の英雄たち。
誰もが資料に目を落としたまま、言葉を発しない。
読み上げられた報告は、短かった。
「――北部第三都市、機能停止。
襲撃痕なし。
魔物反応なし。
呪詛、疫病、災害、いずれも該当せず」
一人の英雄が、耐えきれず口を開いた。
「敵はどこだ」
即答はない。
「どこから来た」
「誰がやった」
「何を斬ればいい」
問いは次々に出るが、すべて宙に浮く。
調停官の一人が、ゆっくりと首を振った。
「……分かりません」
その言葉が、空気を重くした。
「分からない、だと?」
「はい。
調査団は都市内部に入りましたが――」
一拍。
「“戦う前に、動けなくなった”
それが唯一の共通点です」
資料が回される。
死者数。
行動停止者数。
回復不能者数。
どれも、戦争より静かで、
戦争より多い。
英雄の一人が、低く唸った。
「……斬れないな」
誰も否定しなかった。
剣も、魔法も、信仰も、
使う相手がいない。
その時、会議の端に座っていた老調停官が、静かに言った。
「これは――英雄案件ではない」
視線が集まる。
「力で解決できない。
勝利条件が存在しない」
「この異常は、
“判断そのもの”を奪っている」
老調停官は、資料の最後の頁を閉じた。
「よって、正式に判断する」
一言。
「《非裁定》を派遣する」
ざわめきが走る。
英雄の一人が、眉をひそめる。
「……あの連中か」
「裁かず、退かず、選ばせない」
「戦わない冒険者だろう?」
老調停官は、淡々と答えた。
「だからです」
「戦えない異常には、
戦わない者を出す」
会議室に、再び沈黙が落ちる。
誰もが理解していた。
これは敗北ではない。
撤退でもない。
――役割の切り替えだ。
世界機関の中央庁舎は、昼でも薄暗い。
天井が高すぎるせいだ。
光は差し込むが、床まで届かない。
この建物自体が、「判断を上に集める」ための構造をしている。
その廊下を、四人が並んで歩いていた。
「……正式依頼、ね」
ミリアが肩越しに振り返る。
「しかも英雄抜き。
蒼衡も今回は後回し」
「分かりやすいよね」
リュカが資料をめくりながら答える。
「斬れない。
切れない。
評価もできない」
「だから、
“面倒なところ”を全部こっちに投げた」
エルドは黙って歩いていたが、
その盾を握る手には、わずかに力が入っている。
「……でも」
ぽつりと呟く。
「それって、
逃げられないってことだよな」
誰も否定しなかった。
一番後ろを歩くレインだけが、
視線を落としたまま口を開く。
「逃げ場がない案件ほど、
“非裁定”向きだ」
「裁いた瞬間に、
全部壊れる」
扉が開く。
簡素な会議室。
豪華さはないが、壁には無数の記録結晶が埋め込まれている。
待っていたのは、三人。
世界機関の調停官二名と、
書記官が一人。
全員、立ち上がらない。
歓迎でも、威圧でもない。
ただの“業務”だ。
「《非裁定》の皆さん」
調停官の一人が、淡々と口を開く。
「今回の依頼は――」
レインが手を上げた。
「概要は、もう読んだ」
「確認したいのは、
“何をしてはいけないか”だ」
一瞬、調停官が言葉に詰まる。
「……それは」
「切ってはいけない。
止めてはいけない。
解決したことにしてはいけない」
レインは続ける。
「違う?」
調停官は、静かに頷いた。
「はい」
「今回の異常は、
排除によって安定しません」
「むしろ、
“判断した瞬間に拡大する”」
ミリアが椅子に腰掛け、足を組む。
「最悪じゃん」
「はい」
即答だった。
「英雄を出せば、
守る対象が生まれます」
「蒼衡を出せば、
切る基準が生まれます」
「どちらも、
今回の異常を“正当化”する」
リュカが、眉をひそめる。
「じゃあ、
何もしなければ?」
調停官は、首を振った。
「それも不可です」
「判断を奪われた人間は、
“放置されている”と認識すらできない」
「ゆっくりと、
自壊します」
室内に、重い沈黙が落ちる。
エルドが、盾を床に置いた。
「……つまり」
「助けるな、でも放っておくな」
「戦うな、でも逃げるな」
「選ばせろ、でも誘導するな」
調停官は、小さく息を吐いた。
「……そうです」
ミリアが、乾いた笑いを漏らす。
「無理難題にも程がある」
レインは、ゆっくり立ち上がった。
「いい依頼だ」
全員が、彼を見る。
「世界が、
“自分で考えること”を放棄し始めてる」
「その状態で、
誰かが答えを出したら」
一拍。
「それは、
支配になる」
「だから――」
レインは、調停官を見る。
「この依頼、
僕ら以外に出した?」
「……いいえ」
「なら、受ける」
ミリアが、即座に立ち上がった。
「ちょっと待って。
まだ条件聞いてない」
レインは振り返らない。
「条件は一つだ」
「“成功”を定義しないこと」
調停官は、しばらく黙っていたが、
やがて深く頷いた。
「……了承します」
「報告義務は?」
「途中経過のみ」
「評価は?」
「行いません」
「失敗したら?」
「……その時は」
言葉を濁す。
レインは、それ以上聞かなかった。
扉に手をかける。
「行こう」
廊下に出ると、
ミリアが横に並ぶ。
「ねえ」
「これさ」
「世界に嫌われるやつじゃない?」
レインは、少し考えてから答えた。
「好かれる理由が、
最初からない仕事だ」
ミリアは、ふっと笑った。
「じゃあ、相性いいね」
エルドが、盾を背負い直す。
「……俺は」
「今回、
何を守ればいい?」
レインは、足を止めた。
振り返り、全員を見る。
「判断する力だ」
「人が、
自分で決める余地」
「それが残るなら、
街が壊れてもいい」
リュカが、静かに言った。
「……重いね」
「うん」
「でも」
ミリアが拳を握る。
「それを、
軽く扱える奴らが出てきた」
誰も、口を閉ざさなかった。
《非裁定》は、
依頼書を持たないまま、
次の現場へ向かう。
裁かないために。
退かないために。
そして――
選ばせるために。
街は、音がなかった。
正確に言えば――
音はある。風の音、布の擦れる音、遠くで鳴く鳥の声。
だが、人の音がない。
「……気持ち悪いな」
ミリアが、思わず声を落とす。
市場通り。
露店は並び、商品も残っている。
果物は腐りきっていない。
パンも、まだ硬くなりきっていない。
――つまり、放棄されたわけではない。
「生活が、
途中で止められてる」
リュカが、地面にしゃがみ込む。
「逃げた痕跡もない。
争った形跡もない」
「でも、
誰も“次の行動”に行ってない」
エルドは、盾を構えたまま歩いていた。
通りの中央。
一人の男が立っている。
荷物を抱えたまま。
片足を前に出し、
そのまま止まっている。
「……おい」
エルドが声をかける。
男は、ゆっくりと顔を向けた。
「……ああ」
返事はする。
目も合う。
だが――焦点が合っていない。
「どこへ行く途中だった?」
エルドの問いに、
男は口を開く。
「……どこへ……」
数秒。
沈黙。
「……分からない」
声に、感情がない。
恐怖も、悲しみもない。
ただ、“空白”。
ミリアが、歯を噛む。
「これ……洗脳とかじゃない」
「意志が、
削られてる」
レインは、街全体を見渡していた。
《戦場演算》は沈黙している。
戦場ではない。
敵意も、配置も、前線も存在しない。
だが――
(……判断コストが、
異常に高い)
一歩進む。
何かを選ぼうとすると、
“重さ”がかかる。
考えるほど、
足が止まる。
「……来てるね」
レインが、低く言う。
「逸脱個体の“副作用”だ」
「直接、
殺してはいない」
「でも――」
視線を、街の中央広場へ。
「選択そのものを、
“罰”に変えてる」
広場には、人が集まっていた。
集まっている、というより――
“集められた”ような配置。
だが誰も、指示していない。
命令も、強制もない。
ただ、そこにいる。
「……鐘を鳴らそうとしてる」
リュカが、指をさす。
広場の鐘楼。
一人の女性が、鐘縄を握っていた。
鳴らせば、非常事態。
鳴らさなければ、日常。
その判断が、
彼女を縛りつけている。
「……鳴らした方が」
「いや……でも」
「もし違ったら……」
声が、何度も途中で切れる。
ミリアが、一歩踏み出しかける。
「手伝う?」
「いや」
レインが、静かに止めた。
「それは、
“代わりに決める”ことになる」
ミリアは、唇を噛む。
「……じゃあ、
どうすんのよ」
レインは、広場の中央に立った。
武器は抜かない。
魔力も展開しない。
ただ、声を出す。
「誰か」
「“間違えてもいい”って
言ってやれ」
エルドが、すぐに理解した。
盾を外し、
地面に立てる。
「……俺が言う」
鐘楼の下に立ち、
女性を見上げる。
「鳴らしてもいい」
「鳴らさなくてもいい」
「どっちでも、
お前の責任だ」
「でも――」
一拍、置く。
「選ばなかったことだけは、
俺が許さない」
女性の手が、震えた。
恐怖ではない。
怒りでもない。
“自分で決める”という行為に、
初めて重さが戻った。
「……鳴らす」
声は、かすれていた。
だが、はっきりしている。
鐘が鳴る。
澄んだ音が、
街に広がる。
その瞬間。
空気が、わずかに揺れた。
重さが、
少しだけ軽くなる。
人々が、
一斉に息を吸う。
「……動ける」
誰かが、呟いた。
逸脱個体は、姿を現さない。
だが、確実に“見ている”。
《終審断罪ファイナル・センテンス》の視界の端で、
数値が更新される。
《異常要素:非裁定》
《干渉結果:判断復元》
《処理優先度:上昇》
――解析、完了。
レインは、空を見上げた。
(……来る)
(次は、
観測じゃない)
ミリアが、隣に立つ。
「ねえ」
「これさ」
「勝ちとか、
負けとかじゃないよね」
「うん」
「でも」
レインは、街を見る。
鐘の音を聞き、
人が走り出し、
助け合いが始まっている。
「世界にとっては、
一番うるさいやり方だ」
逸脱個体は、それを嫌う。
選択が増えるから。
迷いが生まれるから。
物語が始まるから。
《非裁定》は、
街を背に歩き出す。
次に来るのは――
必ず、対話では終わらない。
だが、それでも。
彼らは、
裁かず、退かず、
選ばせ続ける。




