逸脱個体・思想起動
それは、生まれた瞬間から答えを持っていた。
問いは不要だった。
判断は不要だった。
迷いという工程そのものが、存在しなかった。
《終審断罪》は、
崩れた街の上空に静止していた。
瓦礫。
血痕。
逃げ遅れた人間たちの悲鳴。
――観測完了。
この世界には、音が多すぎる。
叫び。懇願。怒号。正義。
どれもが「自分は生きるべきだ」という主張で満ちている。
だが、その主張に
裏付けは存在しない。
《存在有罪》。
判定は一瞬だった。
「なぜ、私たちは……」
言葉を発しかけた人間は、
声を終える前に消失した。
肉体が壊れたわけではない。
魂が砕けたわけでもない。
――最初から“無かった”ことにされた。
《終審断罪》は理解している。
裁いているのではない。
罰しているのでもない。
整理しているだけだ。
不要な概念を。
過剰な存在を。
世界に対して説明責任を果たせない生命を。
遠方で、別の“音”が発生する。
《最適淘汰》が、
森ごと人間集落を圧縮していた。
価値を測り、
危険度を算出し、
「強すぎる可能性」を理由に、英雄候補を先に潰す。
――合理的だ。
さらに遠く、
《帰還否定》が展開した戦場では、
すでに“逃げる”という選択肢が消えている。
前進も、後退もない。
あるのは、終点のみ。
三体は互いに通信しない。
連携も取らない。
必要がないからだ。
思想は一致している。
この世界は、
「選びすぎた」。
命を。
未来を。
感情を。
選択の総量が、世界を腐らせた。
だから――
選択そのものを減らす。
《終審断罪》は、
瓦礫の向こうに現れた新たな人間集団を見る。
避難民。
非戦闘員。
武器はない。
だが、判定は変わらない。
生きている。
増える。
いずれ選択する。
――有罪。
処理を開始しようとした、その瞬間。
遠くで、
未知の演算負荷が発生した。
これは……
既存個体でも、変異群でもない。
《非裁定》。
裁かず、退かず、選ばせない――
異常な概念。
《終審断罪》は、初めて
“処理対象外”という例外を認識する。
……解析が、必要だ。
世界はまだ、
完全には静かになっていない。
世界は、まだ静かだ。
少なくとも──そう“処理されていない区域”では。
逸脱個体は瓦礫の上に立ち、視界を走査する。
人間の集団、魔力反応、結界残滓、戦闘痕。
すべては数値に変換され、価値として整列されていく。
──低価値。
──不要。
──排除優先度、後。
その中で、一点だけ異物があった。
「……高い」
数値ではない。
危険度でもない。
“世界に与える影響量” が、突出している。
英雄。
人間社会が偶像として掲げる存在。
戦力。象徴。希望。
だが逸脱個体の視界では、それらは一括して処理される。
《世界寄与度:過剰》
《存在影響量:臨界値超過》
《将来的変数:不確定・拡散型》
──結論。
高価値=危険。
逸脱個体は剣を構えない。
魔力も放たない。
ただ、観る。
英雄が動くたび、周囲の因果が歪む。
人が集まり、争いが起き、守る者と奪う者が生まれる。
一人の行動が、千の判断を誘発する。
「……非効率」
英雄の強さではない。
理念でもない。
“存在そのものが引き起こす連鎖” が、世界を騒がせている。
逸脱個体は静かに記録する。
《対象:英雄群》
《現段階処理:保留》
《理由:未成熟。排除時の反動が大きすぎる》
──今は、まだ早い。
だが。
「成長すれば……処理対象」
その判断に、感情はない。
怒りも憎しみもない。
あるのは、最適化だけだ。
逸脱個体は背を向ける。
英雄は、それに気づかない。
だがその瞬間、世界のどこかで“選別”は始まった。
次に会う時、
それは観測ではなく──執行になる。
最初に気づいたのは、風だった。
戦場の名残がまだ残る丘の上で、
英雄たちは簡易的な野営を張っていた。
敵は退けた。被害も最小限。
報告書上は、いつも通りの「成功」だ。
──なのに。
「……おかしくないか?」
ライザ=クロウデルが、双短剣を弄びながら呟く。
刃が、わずかに震えている。
「魔力の流れは安定してる。結界も正常」
ノイン=フェルツが冷静に周囲を見回す。
召喚陣にも異常はない。
「でも、なんか……見られてた気がするんだよな」
その言葉に、全員が黙る。
錯覚、と言い切れない沈黙。
戦場特有の緊張感とも違う。
もっと静かで、もっと不快な感覚。
「敵意はなかった」
ヴァルハルト=レオンが口を開く。
「だが……評価されている感じがした」
評価。
その単語に、イリス=アークライトが眉をひそめる。
「……人の視線じゃないわね。
もっとこう……“結果だけを見る何か”」
英雄たちは、無意識に背後を確認する。
誰もいない。
魔力反応もない。
気配すら、残っていない。
「敵じゃない、のか?」
「味方でもない」
「じゃあ、何だ?」
答えは出ない。
だが、共通していたのは一つ。
──あれは、強さを見ていなかった。
剣技でも、魔法でも、連携でもない。
英雄という“存在”そのものを、
世界にとって有用か、不要かで量っていた。
「……進化されたら、厄介だな」
ヴァルハルトの一言に、誰も反論しなかった。
それは不安ではない。
恐怖でもない。
英雄たちが初めて感じた、
“自分たちが狩られる側になる可能性” だった。
その夜、誰もが眠りを浅くした。
そして彼らはまだ知らない。
あの視線が、もう一段階“先”へ進もうとしていることを。




