女王は、数が減っていくのを知っている
女王は、声を発していなかった。
だが、理解していた。
――減っている。
静滅群。
自らの意志を刃として生み出した、排除のための個体群。
その一部が、もう存在しない。
《空白》は、最初だった。
存在を薄め、痕跡すら消す個体。
女王の感覚網から、ふっと抜け落ちるように消えた。
異常と呼ぶには、あまりにも静かすぎた。
続いて、《群圧》が失われた。
選択を過密化させ、集団を停止させる制圧個体。
その消失は、女王の内部に鈍い圧痛として残った。
(捕食)
その概念に辿り着いたとき、
女王の思考は、一瞬だけ揺れた。
――同種による捕食ではない。
――命令系統の外側。
逸脱個体。
自らが生み出し、
制御できず、
それでも「存在している」もの。
女王の感覚は、さらに遠方へ伸びる。
ひとつ、またひとつ。
名を与えた個体の反応が、急激に弱まっていく。
《代行》の反応が、途中で途切れた。
《沈黙》の感情遮断が、無意味になった瞬間を感知した。
《遮断》の戦場遮断が、内側から破られた痕跡。
すべてが、
「戦闘」ではない。
――捕食。
理解した瞬間、
女王は初めて、自身の思考に躊躇という揺らぎを持った。
(これは……私の意図ではない)
逸脱個体は、選ばない。
人間も、魔物も、変異群も。
価値、役割、命令――すべてを不要と断じる知性。
女王が人類史から抽出してしまった
「悪意」「排除」「合理化」
その集合体。
それらが今、
女王の“刃”を、喰らっている。
(私は……)
(排除するために、生んだ)
(だが、これは――)
女王の内部で、
「止める」という概念と
「存在を肯定した責任」が衝突する。
ネームドの反応は、さらに減っていく。
だが女王は、もう数を数えなかった。
代わりに、確信する。
――あれらは、進化している。
――捕食によって。
――私の想定を超えて。
女王は、初めて明確に思考した。
(……止めなければならない)
それは命令ではない。
排除でもない。
義務だった。
そして同時に、
女王は理解してしまう。
――止めるためには、
――人間と、
――英雄と、
――《非裁定》と、
――そして「選ばせない者たち」と、
向き合わなければならない、と。
静かに、
だが確実に。
世界は、
次の局面へ踏み込んでいた。
依頼は、終わっているはずだった。
レインは、地図の上に置かれた赤い印を見下ろしながら、わずかに眉を寄せる。
「……おかしいな」
場所は、三日前に“静滅群”の残党を掃討した森林地帯。
戦闘記録、魔力残滓、現場確認――すべて問題なし。
“完全排除”判定。
それなのに。
「現地の再調査要請が、もう三件来てる」
リュカが淡々と報告する。
「どれも内容が同じ。
“敵はいない。だが、何かが消えた”」
ミリアが、無意識に拳を握る。
「……消えた?」
「死体がない、じゃない。
“痕跡そのものが薄れている”」
エルドが低く唸る。
「ブランクの能力じゃない。
あれは“消す”というより、最初から無かったようにする」
レインも同意するように頷いた。
「うん。
ブランクとクラウドは、もう“消費済み”だ」
その言い方に、ミリアが顔を上げる。
「……消費?」
レインは、少しだけ言葉を選んでから答えた。
「戦闘の形跡がない。
でも、ネームド級の“存在量”が減っている」
地図の端に、小さな印がいくつも書き込まれている。
どれも、かつてネームドが確認されていた地点。
「倒された、とは言えない」
「逃げた、とも違う」
「じゃあ――」
ミリアの声が、かすれる。
レインは、はっきりと言った。
「食われた、に一番近い」
その瞬間、室内の空気が変わった。
冗談ではない。
比喩でもない。
レインの《模写理解》は、戦場に残った“結果だけ”を拾っている。
――力が、継ぎ足されている。
誰かが勝ったのではない。
何かが“増えている”。
「影の連中とは、性質が違う」
リュカが静かに言う。
「彼らは否定だった。
でもこれは……」
「吸収だね」
ミリアが続ける。
「排除しながら、強くなってる」
レインは、視線を地図から外さない。
「しかも、選んでる」
「……選んで?」
「雑魚じゃない。
ネームドから優先的に消えてる」
沈黙。
エルドが、盾を持つ手に力を込めた。
「つまり――」
「うん」
レインは、はっきり言った。
「次は、僕らの番でもおかしくない」
外で、風が鳴った。
だがその音は、どこか“遅れて”届いたように感じられた。
「……影騒動は終わった」
ミリアが言う。
「でも」
レインは、ゆっくりと立ち上がる。
「別の何かが、始まってる」
まだ名前はない。
まだ姿も見えない。
だが確実に――
世界の“食べ方”が変わり始めていた。
それは、音ではなかった。
光でも、痛みでもない。
**“欠けた”**という感覚だけが、女王の内部に走った。
(……また)
巣の最深部。
情報と記憶を繋ぐ神経網の中心で、女王は静かに思考を巡らせる。
直接、見てはいない。
だが――
確かに、ひとつが消えた。
《観測》を通した映像は、途中で途切れている。
戦闘の兆候は、ない。
敵意の波形も、記録されていない。
それなのに。
(……“いなくなった”)
女王は、ネームドの名を呼ぼうとして、止めた。
呼べない。
呼ぶ前から、そこに在ったはずの“輪郭”が無い。
それは排除ではない。
命令違反でもない。
“捕食”――
だが、同族によるそれでは、ありえないはずだった。
(……理解不能)
女王は、人類史から得た概念を照合する。
強者が弱者を奪う
資源を吸い上げる
成長のために犠牲を切る
――だが、それらは意図を伴う。
今、起きていることには、
意図の“痕跡”すら存在しない。
ただ、消えている。
次の瞬間、
別の欠損。
(……二つ目)
今度は、より深い位置。
女王直属のネットワークの端が、一瞬だけ重くなり、軽くなる。
情報が“抜け落ちた”。
(……空白ではない)
空白なら、把握できる。
《空白》は、そういう存在だった。
だがこれは違う。
「食われた後の余白」。
残滓が、ない。
痕跡が、整理されすぎている。
(……これは)
女王は、初めて“恐怖に近い演算エラー”を起こす。
逸脱個体。
自らが、人類史から
**「人間の悪意・排除思想のみ」**を抽出してしまった結果。
命令を受け取らない存在。
判断を共有しない存在。
(……私は、何を生んだ)
三つ目の欠損が、届く。
今度は――
感情を記録していた個体。
怒りでも、悲鳴でもない。
ただ、**“途切れた”**という通知だけ。
女王の思考が、わずかに乱れる。
(……止めなければならない)
だが同時に、別の演算が走る。
(……だが、彼らは“私の思考の延長”でもある)
自らの罪。
自らの思想が、形を持った結果。
(……存在を否定すれば、それは自己否定)
巣の奥で、何かが“脈打つ”。
それは進化ではない。
誕生でもない。
“増幅”。
女王は理解する。
まだ姿は見えない。
まだ名前も、与えられていない。
だが――
(……彼らは、もう“止まらない”)
世界のどこかで、
またひとつ、名が消える。
女王は、目を閉じることを覚え始めていた。
風が、止まっていた。
正確には、
止まっているように感じられた。
「……嫌な感じ」
ミリアが、足を止める。
森の中。
依頼は単純だった。
変異群の小規模出現――雑魚個体の間引き。
影騒動が終わった今、
本来なら肩慣らしにもならない。
「敵意反応は……薄い」
リュカが《戦域把握》を広げる。
「数も少ない。
逃走傾向あり」
「じゃあ――」
ミリアが前に出ようとした、その瞬間。
「待って」
レインの声が、低く落ちた。
ミリアが振り返る。
「どうした?」
レインは、地面に残った痕跡を見ていた。
踏み荒らされた下草。
引きずられたような跡。
だが――
「……軽すぎる」
「軽い?」
「うん。
戦った後の“結果”が、軽い」
ミリアは一瞬、理解できずに眉をひそめる。
リュカが、先に気づいた。
「……確かに」
「普通なら、
ネームド級が絡んだ痕なら
“配置”が歪む」
「空間に、癖が残る」
だが、ここにはそれがない。
なのに――
「……圧がある」
エルドが、盾を構えたまま言う。
「目に見えないけど、
ここ……重い」
レインの《模写理解》が、
微かに反応する。
だが、読み取れない。
(……同系統)
(逸脱個体)
(でも――)
(前に感じた“量”じゃない)
一歩、踏み込んだ瞬間。
――空気が、わずかに“遅れた”。
ミリアが即座に跳び退く。
「っ……今の!」
攻撃は、なかった。
音も、衝撃もない。
それなのに、
“当たった後の感覚”だけが残った。
「……来てる」
リュカが、即座に判断する。
「姿は見せない」
「でも――」
エルドが歯を食いしばる。
「俺たち、
“見られてる”」
レインは、ゆっくりと息を吐いた。
「……前に戦った逸脱個体と、
同じ“型”だ」
「でも」
視線を、森の奥へ。
「因果の重さが違う」
ミリアが、拳を握る。
「……強くなってる?」
「うん」
レインは否定しなかった。
「たぶん」
「――“食ってる”」
沈黙。
誰も、軽口を叩かない。
リュカが、短く言った。
「……撤退判断でいいね」
「うん」
レインは、即答した。
「今、戦う意味がない」
「勝っても、
“情報を与える”だけだ」
一歩、下がる。
二歩、距離を取る。
その瞬間。
――重さが、消えた。
まるで、
満足したかのように。
「……追ってこない」
ミリアが、低く呟く。
「うん」
レインは、森を見つめたまま答える。
「“今の僕ら”は、
まだ獲物じゃない」
それが、
何よりも不気味だった。
拠点へ戻る途中、
レインは短く言った。
「……ネームドが、また一体消えた」
誰も、聞き返さなかった。
影は終わった。
だが――
世界は、別の“食われ方”を始めている。
ノーリトリートは、
まだ名前のない脅威を背負ったまま、
次の判断へ向かう。




