静かな戦場と、選別される命
森は、戦場にしては静かすぎた。
風は吹いている。
枝も揺れている。
だが――音だけが、存在しない。
「……おかしくない?」
ミリアが小声で言った瞬間、
自分の声が途中で途切れたことに気づいて口を押さえる。
声が、消えたのではない。
届いていない。
「音が……遮断されてる」
リュカが《戦域把握》を展開しかけ、
即座に眉をひそめた。
「いや、違う。
“遮断”じゃない……優先度を落とされてる」
レインは、前方を見据えたまま動かなかった。
(……ネームド反応、確認)
(対象:
女王直属・排除特化個体《沈黙》)
(……戦闘中?)
その瞬間だった。
前方の木々が、音もなく崩れ落ちた。
倒壊ではない。
爆発でもない。
“切断”でも、“破壊”でもない。
――存在の選別。
「来る……!」
エルドが盾を前に出す。
だが次の瞬間、
戦場の“気配”が、一段階、深く沈んだ。
《沈黙》がいたはずの位置に、
それよりも“濃い”存在が立っている。
四肢は歪み、
輪郭は曖昧。
だが、その中心だけが異様に明確だった。
「……捕食、完了」
声は聞こえない。
だが、意味だけが直接、脳に落ちてくる。
レインの《認識剥離》が、警告を吐き出す。
(ネームド消失)
(捕食確認)
(逸脱個体――進化)
(識別名更新)
――《淘汰》
――進化後個体:《無感淘汰》
「……静かすぎるわけだ」
ミリアが、歯を噛みしめる。
足音も、呼吸音も、
仲間の動きさえ――等価に“不要”と判断されている。
《無感淘汰》が、ゆっくりと首を傾けた。
その視線が、
ノーリトリート全員を、順に“測る”。
(価値査定、開始)
(……優先排除対象、確定)
レインは、一歩だけ前に出た。
剣を抜かない。
魔力も展開しない。
ただ、告げる。
「――裁定は、させない」
無音の戦場で、
戦いは、もう始まっていた。
最初に失われたのは、距離感だった。
踏み出したはずの一歩が、進んでいない。
後退したはずの身体が、同じ位置にある。
「……空間、固定?」
リュカが《退路設計》を走らせる。
だが返ってきた情報は、ぞっとするほど単純だった。
「違う……選ばれてない。
“移動する価値がない”って判断されてる」
《無感淘汰》は、動かない。
それでも、戦場は変わり続けていた。
地面に走る微細な振動。
空気の密度が、均等に削られていく感覚。
――世界そのものが、削除候補として整理されている。
「クソッ……!」
ミリアが《前線穿断》を放つ。
一直線の衝撃波が、音も衝撃も伴わずに――消えた。
否、違う。
“届く前に、不要と判断された”。
「攻撃が……“価値不足”?」
次の瞬間。
ミリアの背後、空間が裏返る。
「――ッ!」
レインが腕を掴み、強引に引き寄せる。
その直後、彼女がいた位置が抉り取られたように消失した。
切断でも、破壊でもない。
そこに“存在していた事実”が、なかったことにされている。
《価値査定》
《不要排除》
《無感淘汰》が、初めて腕を動かした。
それだけで、戦場全体が一段階、静かになる。
エルドが前に出る。
《還流盾》を最大展開。
受け止める――否、“受け入れる”構え。
だが衝撃は、来なかった。
代わりに、盾の内側で概念が暴れ始める。
「……ッ、これは……!」
後悔。
選択。
失敗。
《沈黙》を捕食したことで得た、
感情遮断の残滓が、逆流してくる。
「受け止めるほど……削られる……!」
盾が、音もなく崩壊した。
「エルド!」
レインが前に出る。
《戦場演算》
《認識剥離》
同時起動。
世界が“数値”に落ちる。
(……攻撃じゃない)
(判断そのものが、攻撃)
(価値を下げられた瞬間、存在が落ちる)
《無感淘汰》が、再び“見る”。
今度は、レインだけを。
《価値再査定》
《排除優先度:高》
「……なるほど」
レインは、静かに息を吐いた。
「じゃあ――」
一歩、踏み込む。
《不退一閃》
――極。
逃げない。
引かない。
価値を示す。
剣が振るわれた瞬間、
初めて戦場に――“音”が戻った。
衝突。
火花。
世界が、悲鳴を上げる。
《無感淘汰》の腕が、初めて弾かれる。
「……価値、更新」
声なき声が、僅かに揺れた。
だが同時に、
その身体がさらに歪む。
捕食による進化が、まだ終わっていない。
「来るぞ……!」
リュカの声が、はっきりと届いた。
――暴力的な力が、
ここから解禁される。
戦場に――違和感が割り込んだ。
《無感淘汰》が再び動こうとした、その瞬間。
空気が、裂ける。
「――遅れた?」
軽い声。
だが、その軽さは死線を何百も越えた者のものだった。
双短剣が、同時に閃く。
ライザ=クロウデルは、地面を蹴っていた。
否――存在判定の外側を滑るように、入り込んでいた。
「価値査定? へぇ」
《無感淘汰》の視線が、ライザを捉える。
《価値再算定》
だが、次の瞬間。
「残念」
ライザの姿が、分裂する。
残像ではない。
生存確率の高い行動だけを連続選択した結果、
“そう見える軌道”を描いているだけだ。
《不要排除》が、空を切る。
「その判断速度――」
後方で、静かな詠唱が始まる。
イリス=アークライト。
光の魔導陣が、世界に“理想”を上書きする。
「――理想定義」
《世界許容値・再設定》
淡い光が、戦場を包んだ。
完全な拘束ではない。
だが、《無感淘汰》の周囲だけ、**“排除が通りにくい現実”**が形成される。
「……判断遅延」
逸脱個体が、初めて後退した。
レインが息を吐く。
「助かった……」
だが、ライザは笑わない。
双短剣を構えたまま、逸脱個体を睨む。
「……これ」
「まだ、成長途中だよね」
イリスも、表情を曇らせる。
「ええ。
あの“判断”は、固定化されていない」
《無感淘汰》は、光の結界越しに二人を見る。
《価値更新:保留》
《排除優先度:一時低下》
そして――消えた。
撤退。
だが、それは敗走ではない。
「……逃がしたか」
レインが呟く。
ライザは、短剣を下ろしながら言った。
「いや。
学習した」
その一言で、場の空気が冷える。
「次に来る時は――」
イリスが、静かに続けた。
「今より、ずっと“暴力的”でしょうね」
「正直さ」
ライザは肩をすくめる。
「あれ以上進化されたら、英雄でも困る」
冗談めかした口調。
だが、誰も笑わなかった。
戦場に残ったのは、
退けたはずの脅威が、確実に先へ進んだという実感だけだった。
――逸脱個体は、止まっていない。
場所が変わる。
白でも黒でもない、
どこにも属さない会議室。
世界機関の中枢――
英雄、蒼衡、《非裁定》が、同じ円卓につかされるのは久しぶりだった。
「まず、結論から言おう」
世界機関の調停官が口を開く。
「――影の問題は、終結したと判断する」
誰も反論しない。
だが、安堵もない。
「問題は、次だ」
空間投影に、複数の被害報告が浮かぶ。
村。
街道。
小都市の外縁。
共通点は一つ。
生存者が少なすぎる。
「変異群による被害――ではない」
「正確には」
調停官は言葉を選ぶ。
「変異群同士の衝突痕が確認されている」
蒼衡のリーダー、セイン=ヴァルクスが眉を動かした。
「……内部崩壊か」
「ええ」
レインが、静かに続ける。
「女王の統制から外れた個体がいる」
「しかも」
ミリアが歯を噛む。
「ネームドを喰ってる」
室内が、沈黙する。
英雄の一人――
イリス=アークライトが、視線を伏せた。
「……知性を、力に変える存在」
「最悪だね」
ライザ=クロウデルは、いつもの軽口を抑えて言った。
「倒しても、糧になる」
「逃がしても、学習する」
「正直」
一拍。
「討伐対象として、完成しかけてる」
調停官が、低く告げる。
「世界機関としては、
逸脱個体を最優先危険指定とする」
「だが」
視線が、レインに向く。
「無差別殲滅は、許可できない」
レインは、少し考えたあと、頷いた。
「分かってます」
「だから」
「裁かない」
「切り捨てない」
「でも」
目を上げる。
「止める」
その言葉に、蒼衡の面々が静かに同意する。
英雄たちは、表情を引き締める。
それぞれが理解していた。
――次の敵は、
単純な“悪”ではない。
会議が終わり、場が解散する直前。
誰にも聞こえないほど小さく、
調停官が呟いた。
「……女王は」
「まだ、止めようとしているのか」
遠く。
地下深く。
変異群の巣の最奥。
女王は、新たな沈黙を感じ取っていた。
――喰われた。
――奪われた。
――そして、戻らなかった。
「……これは」
初めて、
恐怖に近い感情が、女王の中に生まれる。
「……私の、罪だ」
逸脱個体は、もう“道具”ではない。
判断し、選び、
世界を“不要”と断じる存在。
それは――
人間が積み重ねてきた悪意の、完成形だった。
そして。
どこかで。
《無感淘汰》は、静かに理解する。
《価値更新:人類脅威度・上昇》
《次段階:全域展開》
物語は、
もう「影」では終わらない。
――選択そのものを喰う存在が、動き始めていた。




