嫌悪は、増殖する
依頼掲示板が、妙に静かだった。
紙は貼られている。
だが、剥がされていない。
「……減ってる?」
ミリアが、掲示板を見上げて言った。
「数じゃない」
リュカが、指先で紙を一枚押さえる。
「更新されてない」
受付の職員は、困ったように笑った。
「依頼は……ありますよ」
「ただ……」
言葉を濁す。
「受ける人が、
少なくなってきてて」
レインは、何も言わずに紙を取った。
内容は単純。
・夜に何かがいる
・家畜が落ち着かない
・直接の被害なし
「……また、これか」
エルドが、低く呟く。
最近、増えている形式。
倒されていない。
襲われていない。
それでも“嫌な感じ”だけが残る依頼。
現地は、小さな集落だった。
逃げ出した形跡はない。
家も壊れていない。
だが、
人の動きが鈍い。
「……こんにちは」
ミリアが声をかける。
返事はある。
だが、間がある。
「……ああ」
「どうか、しました?」
村人は、少し考えてから首を振った。
「いや……別に」
「何かが、
いる気はするんだけどな」
「襲ってこないし」
「だから……」
言葉が、続かない。
レインは、周囲を見る。
畑の端。
井戸のそば。
家と家の間。
――いた。
変異群の雑魚個体。
いつもの大きさ。
いつもの歪み。
だが、
立っているだけだ。
威嚇もしない。
近づきもしない。
ただ、
人の生活動線の“真ん中”にいる。
「……どいてくれればいいのに」
ミリアが、小さく言う。
その声には、
苛立ちよりも――
嫌悪が混じっていた。
エルドが、盾を構える。
「倒すか?」
「……うん」
ミリアは頷く。
踏み込む。
《踏越位》
斬撃は、正確だった。
変異群は、抵抗もなく倒れる。
音もなく、
血もほとんど流れない。
「……終わり?」
村人たちが、遠巻きに様子を見る。
誰も、近づいてこない。
「もう、大丈夫ですよ」
ミリアが言う。
村人は、少し笑った。
「……そうですね」
だが、
誰も動かない。
レインは、その光景を見ていた。
倒したはずなのに、
場の空気が戻らない。
(……一体、じゃない)
《戦場演算》が、
別の“配置”を示す。
少し離れた路地。
森との境。
街道の曲がり角。
「……まだ、いる」
リュカが、息を呑む。
「しかも」
「全部、
“戦わなくていい位置”だ」
ミリアは、剣を握り直す。
「……ねえ、レイン」
「なに?」
「これさ」
視線を、村全体へ向ける。
「倒しても、
私たちが嫌な役になる」
「うん」
レインは、静かに答えた。
「向こうは、
それを狙ってる」
その瞬間。
遠くで、
別の変異群が――
ゆっくりと、位置を変えた。
戦うためではない。
人が、
一番迷う場所へ。
「……これ、全部やる?」
ミリアが、村を見回して言った。
倒れた一体。
だが、配置は崩れていない。
畑の端。
井戸の陰。
街道へ続く分かれ道。
まだ三体――
“立っているだけ”の変異群がいる。
「数は雑魚」
リュカが冷静に分析する。
「脅威度も低い」
「でも」
エルドが、盾を下げたまま言う。
「全部倒すと、
この村――」
言葉を切る。
「俺たちが、
“壊した側”になる」
村人たちは、遠巻きにこちらを見ている。
恐怖ではない。
期待でもない。
様子見だ。
「……嫌だな」
ミリアが、吐き捨てるように言う。
「戦ってないのに、
責められる感じ」
レインは、目を閉じる。
《戦場演算》が、
複数の選択肢を提示する。
・全個体殲滅
・一部放置
・誘導
・村人の避難
どれも“正しい”。
どれも“後味が悪い”。
(……判断を、奪いに来てる)
「……ミリア」
レインが言う。
「全部倒す」
ミリアが、少し驚いた顔をする。
「え」
「でも」
続ける。
「倒し方を、
選ばせない」
「……どういう意味?」
レインは、村人を見る。
「ここで、
誰かに決断を押し付けると」
「向こうの思う壺だ」
リュカが、理解したように頷く。
「“処理”としてやるんですね」
「うん」
「戦闘じゃなく、
掃除として」
エルドが、盾を前に出す。
「なら、俺が前に立つ」
「威圧はしない」
「ただ、
動線を塞ぐ」
ミリアは、深く息を吸った。
「……分かった」
「感情、切り離す」
「でも」
剣を握る。
「嫌いなのは、
変わらない」
四人は、分散した。
戦闘は、短い。
威圧もない。
叫びもない。
淡々と、
“配置”を解体していく。
倒す。
引き離す。
誘導して、終わらせる。
変異群は、最後まで反撃しない。
ただ、
人が迷う位置から外されるだけ。
すべてが終わった頃。
村に、少しずつ音が戻り始めた。
鍋の音。
足音。
話し声。
だが、
誰も歓声を上げない。
「……ありがとうございました」
村長が、頭を下げる。
声は丁寧だ。
だが、距離がある。
「……ねえ、レイン」
ミリアが、小声で言う。
「これ、
勝ってないよね」
「うん」
即答だった。
「でも」
村を見る。
「止められてはいない」
その言葉に、
誰も反論しなかった。
遠く。
森の縁で、
別の変異群が――
同じ“立ち位置”を、別の村で取っている。
嫌悪は、
静かに、
確実に――
広がっていた。
巣の奥は、変わらず静かだった。
振動はない。
警戒もない。
勝利を祝う気配もない。
女王は、動かない。
だが――
変化は、確かに起きていた。
外から戻った変異群の個体が、
何も語らず、その場に留まる。
傷はある。
損耗もある。
だが、
恐怖も、怒りも、存在しない。
女王は、それを“見る”。
(……排除)
(……戦闘、短時間)
(……人間側、選択に疲労)
女王は、初めて“数値以外”の変化を認識する。
(……嫌悪、増加)
それは損失ではない。
失敗でもない。
(……有効)
(……効率、良好)
女王は、命令を出さない。
だが、
巣全体の配置が――
一段、洗練される。
次に向かう個体は、
村の中心ではない。
守る理由が生まれやすい場所。
壊すと“こちらが悪者”になる場所。
子どもの通学路。
共同井戸。
祈りの場。
女王は、理解している。
人間は、
正しい判断ができる生物だ。
だが――
正しい判断を、続けられる生物ではない。
一方。
世界機関の記録庫では、
新しい分類項目が仮登録されていた。
《心理侵食型・変異群(仮)》
だが、その項目には
まだ名前がない。
原因も、
中心個体の存在も、
断定されていない。
ただ一文だけ、
備考欄に書き加えられている。
「討伐数と被害が比例しない」
「感情的疲弊が先行する」
そして、その報告書の最後。
対応実績の欄に、
繰り返し同じ名が記されていた。
――《非裁定》
女王は、その名を知らない。
だが――
止まらなかった存在として、
静かに記録している。
巣の奥で、
女王は“次”を待つ。
より多くの嫌悪が、
より自然に生まれる場所を。
戦わず。
壊さず。
ただ――
人間が、疲れ切るまで。
夜は、何事もなかったように更けていく。
だが世界は、
確実に一段――
嫌な方向へ進んでいた。




