嫌悪は、判断より先に来る
依頼内容は、相変わらず地味だった。
「夜間に畑を荒らす何か、ですか」
レインが掲示板の紙を読み上げる。
「最近この手のばっかりですね」
リュカが肩をすくめる。
「でも」
ミリアは、紙から視線を外して言った。
「前みたいな“止まる感じ”はない」
「うん」
レインも頷く。
「判断阻害は、報告されてない」
だからこそ、
世界機関も、英雄も、蒼衡も動かない。
――《非裁定》の仕事だ。
夜。
畑の外れに立つ四人の前に、
それは現れた。
既知の変異群雑魚個体。
体格も、動きも、今までと変わらない。
威嚇。
突進。
乱暴な動き。
「……普通だな」
エルドが盾を構える。
「囲もう」
ミリアが一歩前に出る。
《踏越位》
前線を越えた一瞬で距離を詰め、
最短の斬撃。
獣は抵抗らしい抵抗もなく倒れた。
「……終わり?」
エルドが、警戒を解く。
「うん」
レインは、周囲を見渡す。
《模写理解》は沈黙。
《戦場演算》も、
“問題なし”と示している。
理屈では、完璧だった。
「帰ろっか」
レインが言う。
そのとき。
ミリアが、動かなかった。
剣を収めたまま、
倒れた変異群を見下ろしている。
「……ミリア?」
呼びかけに、少し遅れて顔を上げる。
「ごめん」
短く、そう言った。
「理由、分かんないんだけど」
一拍。
「これ」
声が、低い。
「嫌い」
場が、静まる。
リュカが、彼女を見る。
「……どういう意味?」
「分かんない」
ミリアは、正直だった。
「強くもないし、
危なくもないし」
「でも」
足元を、もう一度見る。
「さっきのやつ、
“来なくてもよかった”」
「それでも来た」
エルドが、ゆっくり言う。
「……立つ理由が、ない」
「そう」
ミリアは頷く。
「戦う理由も、
守る理由も」
「なのに、
ここにいた」
レインは、言葉を失う。
演算は正しい。
判断も合っている。
それでも――
ミリアの違和感は、消えなかった。
(……嫌悪)
(感情が、先に来る)
それは、
今までの敵にはなかった反応だった。
レインは、倒れた変異群から目を離す。
「……覚えておこう」
「こういう“理由のない配置”」
ミリアは、小さく息を吐いた。
「うん」
「たぶん」
夜風が、畑を撫でる。
静かな依頼。
静かな勝利。
だが――
確実に、何かがズレ始めていた。
帰り道は、静かだった。
夜露に濡れた街道を、
四人は並んで歩く。
誰も口を開かないわけじゃない。
だが、さっきまでの軽さが、どこか消えていた。
「……ミリア」
リュカが、慎重に声を出す。
「さっきの“嫌い”ってさ」
「うん」
ミリアは即答する。
「説明できない」
「理屈でもない」
「ただ――」
少し、言葉を探す。
「“置いていかれた感じ”がした」
エルドが、足を止める。
「置いていかれた?」
「うん」
ミリアは頷く。
「私たちが来る前から、
そこに“役割”があったみたいな」
「倒される役割?」
「違う」
首を振る。
「倒される前提」
「……それが嫌だ」
レインは、黙って聞いていた。
《戦場演算》は、
確かに“最適解”を出していた。
・包囲
・最短撃破
・被害ゼロ
だが――
そこには“違和感”がなかった。
(……問題は)
(問題がなかったこと、か)
「レイン」
エルドが、低く言う。
「盾役の感覚で言うと」
「さっきのやつ、
“受ける前提”だった」
「攻撃してこない前提で、
立ってた」
「……待ってた?」
リュカが呟く。
「そう」
エルドは頷く。
「俺たちが来るのを」
一瞬、空気が冷える。
「……なるほど」
レインは、ようやく口を開いた。
「それなら、
ミリアの違和感は正しい」
「戦闘じゃない」
「配置だ」
「しかも」
一拍。
「観測込み」
ミリアが、眉をひそめる。
「気持ち悪い」
「うん」
レインも、同じ表情だった。
「英雄や蒼衡なら、
“問題なし”で終わる」
「でも」
視線を、夜空へ向ける。
「僕らは、
“違和感を残す”」
リュカが、小さく笑う。
「厄介な役回りですね」
「選んだんだ」
エルドが言う。
「裁かず、退かない」
ミリアが、歩きながらレインを見る。
「……ねえ」
「なに?」
「さっき、
覚えておこうって言ったでしょ」
「うん」
「忘れないで」
少しだけ、強い声。
「私の“嫌い”」
レインは、即答した。
「忘れない」
それは約束でも、誓いでもない。
ただの事実として、
彼は受け取った。
夜道を抜ける。
街の灯りが、見えてくる。
その背後で――
倒された変異群の“役割”は、
すでに次へ引き継がれていた。
その夜。
変異群の巣は、いつもと変わらず静かだった。
争いはない。
指示もない。
ただ、一定の距離と配置が保たれている。
巣の最奥。
女王は、動かない。
倒された雑魚個体の情報は、
怒りとしても、損失としても処理されない。
ただ一つ、
記録が更新される。
(……接触)
(……戦闘、短時間)
(……人間側、迷いなし)
(……だが)
女王は、そこで初めて“引っかかる”。
一瞬だけ。
(……感情反応)
(……拒絶)
それは、数値ではなかった。
効率でも、配置でもない。
“嫌悪”。
理解できないはずの概念。
だが、
確かに存在していた。
女王は、思考を進める。
(……止まらなかった)
(……配置が、成立しない個体)
(……観測対象、更新)
巣の外で、
別の変異群が動き出す。
今度は、
同じ場所には立たない。
少しだけ、
人の近くへ。
女王は、命令を出さない。
それでも、
全体が同じ方向を向く。
(……判断を奪えない相手がいる)
(……なら)
(……“嫌悪”を増やす)
遠く。
人間の街では、
《非裁定》が宿に戻り、
それぞれが眠りにつく。
ミリアは、
夢も見ずに眠った。
だが、
目覚めた時。
理由もなく、
胸の奥に残るものがあった。
嫌悪。
拒絶。
説明できない違和感。
それは、
まだ“戦い”ではない。
だが確かに――
向こうも、こちらを見始めている。
夜は、何事もなかったように明ける。
だが、
世界はもう一段、
静かに深く――
ずれていた。




