配置が変わった日
世界機関・中央評議室。
高い天井。
円卓。
壁一面に並ぶ地図と魔導投影。
影騒動が終結してから、三日後――
“事後処理”と呼ぶには、空気が重すぎた。
「……では、報告を続けます」
分析官の声が淡々と響く。
投影された地図には、
赤い点がまばらに浮かんでいた。
「変異群による被害件数は、減少しています」
英雄の一人が、腕を組んだまま言う。
「減っているなら、問題ないだろう」
「はい。
“戦闘被害”だけを見れば、です」
分析官は言葉を選ぶ。
「ですが――」
次の投影。
赤点が、線で結ばれた。
「発生地点に、規則性があります」
蒼衡のセインが、眉をひそめる。
「……街道を避けている?」
「正確には」
分析官が訂正する。
「“切断可能区域”を避けています」
一瞬、沈黙。
「切れる場所を避ける?」
別の英雄が、鼻で笑う。
「そんな都合のいい話があるか」
「あります」
即答だった。
「蒼衡の過去三件の出動区域では、
変異群の発生が“意図的に空白”になっている」
セインの視線が、鋭くなる。
「……つまり」
「はい」
分析官は、言い切った。
「変異群は、
討伐される場所を選んでいません」
「……では何を選んでいる?」
円卓の奥から、低い声。
世界機関・統括官だった。
分析官は、少しだけ息を整える。
「“判断が遅れる場所”です」
投影が切り替わる。
小規模村落。
交易の薄い集落。
英雄が即応できない地点。
「戦闘は起きていない。
犠牲も、最小限」
「だが――」
一拍。
「生活が、止まっている」
英雄の一人が、椅子にもたれた。
「……面倒な敵だな」
「殲滅対象ではない」
別の者が続ける。
「だが放置もできない」
セインが、静かに言った。
「切れない」
「切る理由が成立しない」
統括官は、そこで一つの書類を円卓に置いた。
「では、これを」
表紙には、簡潔な文字。
――《非裁定 行動報告》
英雄たちの視線が集まる。
「……あの連中か」
「裁かず、退かない」
「危うい立ち位置だ」
統括官は、頷いた。
「だが」
「現時点で、
変異群の“配置崩し”に成功しているのは――」
一瞬、間を置く。
「彼らだけだ」
空気が、わずかに張り詰める。
評価。
警戒。
期待。
そして――不信。
すべてが、同時に存在していた。
「……結論を出すのは早い」
統括官が、会議を締める。
「だが一つだけ確かだ」
視線が、地図に戻る。
「変異群は、
考えて動き始めている」
「そしてそれに最初に触れたのが――」
言葉は、最後まで言われなかった。
だが、誰もが理解していた。
前線は、
すでに動いている。
世界機関・中央評議室。
分析官の報告が一段落すると、
円卓の空気は、微妙に緩んだ。
――いや、緩んだように“見えただけ”だった。
「要するにだ」
英雄の一人が、指で机を叩く。
「敵は賢くなった。
なら、こちらも火力を上げればいい」
「単純ですね」
蒼衡のユールが、淡々と返す。
「切れる場所であれば、
変異群は問題にならない」
「問題は――」
セインが続けた。
「切れない場所が、
増えていることだ」
英雄が、わずかに眉を寄せる。
「それは、
俺たちの仕事じゃない」
「市民の判断が遅れる?
生活が止まる?」
「それを戦争に持ち込むな」
空気が、少しだけ冷える。
分析官が、慌てて補足する。
「英雄の皆様の戦果は、
疑いようがありません」
「ですが――」
資料が切り替わる。
「変異群が“排除された後”の回復速度に、
明確な差が出ています」
二つの数値が並ぶ。
英雄介入区域。
非裁定介入区域。
「……復旧が早い?」
「はい」
「被害は同程度。
討伐速度は英雄が上」
「ですが」
一拍。
「“生活が戻るまで”は、
非裁定の方が短い」
英雄の一人が、鼻で笑った。
「それは偶然だろう」
「そうですね」
分析官は、否定しない。
「現時点では、
偶然の範囲です」
「ですが」
視線を、統括官へ向ける。
「同じ偶然が、
五回続いています」
沈黙。
蒼衡のガランが、低く唸る。
「……裁かない連中に、
成果が出るのは気に食わん」
「だが」
セインは、冷静だった。
「事実は事実だ」
英雄側の席から、別の声。
「危険だ」
「判断を委ねる戦い方は、
いつか破綻する」
「誰が責任を取る?」
その言葉に、
室内の温度が一段下がる。
統括官が、ゆっくりと口を開いた。
「……責任は、
世界機関が持つ」
英雄たちが、視線を向ける。
「非裁定は、
管理下に置く」
「自由行動は認めるが、
観測対象とする」
「成功すれば評価。
失敗すれば――」
言葉を切る。
「切る理由が、成立する」
蒼衡のユールが、静かに息を吐いた。
「……便利な立ち位置だな」
「必要な立ち位置だ」
統括官は、感情を交えず答える。
「今はまだ」
円卓の中央に、地図が再投影される。
変異群の発生地点。
英雄の戦線。
蒼衡の切断線。
そして――
その隙間を縫うように動いた、
《非裁定》の足跡。
「彼らは」
統括官が、静かに締める。
「敵でも、味方でもない」
「ただ――」
「“今の世界”に、
一番合っている」
誰も、反論しなかった。
評価は定まらない。
信頼も、疑念も混ざったまま。
だが一つだけ、全員が共有していた。
変異群は、
もう“雑魚”ではない。
そして――
それに最初に触れ続けるのは、
間違いなく非裁定だということを。
依頼内容は、拍子抜けするほど普通だった。
「畑荒らしですか?」
ミリアが掲示板の紙を指で弾く。
「うん」
受付嬢が頷く。
「最近、夜に何かが出るらしくて。
家畜が落ち着かないって」
「変異群?」
「……たぶん違うと思います」
即応を要する案件ではない。
英雄も、蒼衡も動かない。
だから――
《非裁定》に回ってきた。
夕方。
畑の縁に立ち、周囲を確認する。
エルドが盾を下ろしたまま言った。
「……平和ですね」
「嵐の前の、ってやつ?」
ミリアが軽く笑う。
「こういう依頼、久しぶりな気がする」
「影騒動が長かったからね」
レインは、畑を一望する。
《模写理解》は、沈黙したままだ。
敵意なし。
異常反応なし。
「……ほんとに、
普通だ」
ミリアが、ふっと息を吐く。
「ねえ、レイン」
「なに?」
「影が終わってさ」
少し、言葉を探す間。
「……これからも、
こういうのやるんだよね」
「うん」
即答だった。
「派手じゃないし、
評価も遅いけど」
「それでいい」
ミリアは、横目でレインを見る。
「……変わらないね」
「変わる理由がない」
そう言うと、
ミリアは小さく笑った。
「そっか」
沈黙が、心地よく落ちる。
その時――
畑の向こうで、何かが動いた。
「……来た」
エルドが、静かに盾を構える。
だが、現れたのは――
歪な獣。
既知の変異群雑魚個体。
だが、動きが違う。
突進しない。
威嚇もしない。
ただ、
畑と家屋の間に立つ。
「……まただ」
リュカが低く呟く。
「止めに来てる」
「壊しに来てない」
ミリアが、舌打ちする。
「嫌な進化だな」
「でも」
レインは、一歩前に出た。
剣も、魔力も構えない。
「今回は、
“選ばせない”」
《戦場演算》が、
周囲の動線を静かに組み替える。
逃げ道。
誘導。
衝突しない位置。
「ミリア、右」
「了解」
「エルド、前は出ない」
「受けるだけだな」
「リュカ、後ろ」
「任せて」
数秒。
それだけで、獣は包囲された。
ミリアの一撃が、
最小限で急所を断つ。
倒れる音は、軽かった。
「……終わり?」
エルドが、盾を下ろす。
「終わりだね」
レインは頷く。
だが――
視線は、獣の立っていた“位置”に残る。
(……会議室と同じだ)
(配置が、先にある)
ミリアが、レインの隣に立つ。
「ねえ」
「なに?」
「さっきの話」
一拍。
「これからも、
一緒にやるんだよね」
レインは、少し考えてから答える。
「退かない限りは」
ミリアは、少しだけ顔を赤くして、
そっぽを向いた。
「……なら、いい」
夕暮れの畑に、
風が通り抜ける。
世界機関は、まだ会議室にいる。
英雄も、蒼衡も、別の戦場を見る。
だが――
変異群の“考えた配置”に最初に触れ続けるのは、
間違いなく彼らだ。
裁かず。
退かず。
そして今日も、
名もない畑を守った。
それだけで――
十分だった。




