判断が残らない場所
最初に違和感を覚えたのは、音だった。
風は吹いている。
木々も揺れている。
だが――
人の生活音だけが、抜け落ちている。
「……静かすぎる」
ミリアが、街道沿いの村を見下ろして言った。
家は壊れていない。
畑も荒れていない。
血の跡も、争った形跡もない。
それなのに――
人が、動いていない。
「全員、
生きてはいる」
リュカが《戦域把握》を広げる。
「魔力異常なし」
「精神操作の痕跡も、
薄い」
「……なのに」
視線を、広場へ。
数人の村人が、
立ったまま止まっていた。
倒れてもいない。
逃げてもいない。
ただ、
“次の行動”を失っている。
「……これが」
エルドが、低く言う。
「撤退の、
置き土産か」
レインは、
一歩、村に踏み込んだ。
《模写理解》が、
遅れて反応する。
(……選択回路、低下)
(……判断の優先度、
均一化)
(……“急がなくていい”という感覚だけが、
残っている)
「……優しいな」
ミリアが、ぽつりと呟いた。
「殴られてない」
「怖がらされてもいない」
「だから――」
歯を噛む。
「余計に、
動けなくなる」
広場の端で、
老人が腰を下ろしていた。
「……すみません」
レインが、声をかける。
「何があったか、
覚えていますか?」
老人は、
少し考える。
「……覚えていますよ」
「魔物が、
いました」
「でも――」
言葉が、止まる。
「……何を、
すればよかったのか」
「それが、
分からなくなった」
ミリアが、
思わず目を伏せる。
「……逃げろ、
って言われなかった?」
「言われたかもしれません」
老人は、困ったように笑う。
「でも」
「急ぐ理由が、
思い出せなくて」
「……大丈夫だと思ったんです」
空気が、
重く沈む。
「……レイン」
ミリアが、
小さく呼ぶ。
「これ」
「剣じゃ、
どうにもならないよね」
「うん」
レインは、
静かに答えた。
「これは、
戦闘じゃない」
「“判断を置いていく”攻撃だ」
リュカが、
地面に目を落とす。
「配置が、
自然すぎる」
「逃げ道も、
塞がれてない」
「だから、
逃げる理由が生まれない」
エルドが、
盾を地面に立てる。
「……立つ場所が、
ない」
その言葉に、
レインは小さく頷いた。
「だから――」
「ここに、
立たせる」
剣も、
魔力も構えないまま。
《非裁定》は、
村の中へ進んだ。
裁かず。
追わず。
退かず。
判断を、
“取り戻すために”。
最初に動いたのは、エルドだった。
盾を背負ったまま、
村の中央へ歩き出す。
構えない。
威圧もしない。
ただ――
そこに立つ。
「……え?」
近くにいた村人が、
戸惑った声を漏らす。
エルドは、
何も言わない。
盾を、
地面に置く。
その音が、
妙に大きく響いた。
――ゴトン。
「……?」
村人たちの視線が、
一斉に集まる。
「……あの」
一人の若い男が、
恐る恐る声をかけた。
「それ、
何ですか?」
エルドは、
少し考えてから答えた。
「……立つ場所だ」
「立つ?」
「そう」
盾に、
軽く手を置く。
「何をするか、
決められないなら」
「ここに立って、
考えればいい」
村人たちの表情が、
わずかに揺れる。
“今すぐ逃げろ”でもない。
“安全だ”でもない。
ただ、
立っていいと言われた。
「……立っても、
いいのか?」
「いい」
エルドは、
短く答える。
「俺が、
受ける」
意味は、
完全には伝わっていない。
だが――
“拒否されなかった”ことだけは、
確かだった。
一人、
また一人。
村人たちが、
エルドの近くに集まり始める。
その様子を見て、
ミリアが動く。
剣を、
鞘に納めたまま。
広場の外周へ回り、
通りを指差す。
「そっち」
「森じゃない」
「街道」
声は、
強くない。
命令でも、
誘導でもない。
「歩くなら、
そっちの方が楽」
村人たちが、
無意識に視線を向ける。
「あ……」
「……確かに」
「道、
あったな」
“選択肢”が、
言葉として戻り始める。
その裏で、
リュカは静かに動いていた。
《戦域把握》を、
最小限に絞る。
逃走路を作らない。
安全圏も、作らない。
代わりに――
“分かれ道”を、
ほんの少しだけ強調する。
「……あれ?」
「さっき、
こんな広かったっけ?」
「いや、
元からだな」
“元からあったもの”として、
判断を取り戻させる。
レインは、
一歩も前に出ない。
《模写理解》で、
全体を観測するだけ。
(……回路、再接続中)
(……恐怖じゃない)
(……責任の、
所在が戻ってきている)
広場の中央。
老人が、
ゆっくり立ち上がった。
「……そうか」
「座ってる必要、
なかったんだな」
誰に向けた言葉でもない。
だがその瞬間、
村全体の空気が、
わずかに動いた。
「……レイン」
ミリアが、
小さく言う。
「これ」
「戦ってないのに、
勝ってない?」
「うん」
レインは、
静かに頷いた。
「“止められてたもの”を、
外してるだけ」
エルドの盾の周りで、
村人たちは自然に会話を始めていた。
「先に、
家に戻る?」
「いや、
鐘、鳴らそう」
「そうだな」
“決める”という行為が、
戻ってきている。
その時。
《模写理解》が、
再び微かに反応した。
(……離脱)
(……変異群・雑魚個体)
(……観測のみ)
レインは、
目を細める。
「……見られてる」
ミリアが、
即座に察した。
「来る?」
「今は、
来ない」
リュカが、
空を見上げる。
「……でも」
「次は、
様子見じゃ済まない」
エルドは、
盾を背負い直す。
「……なら」
「次は、
俺が前に立つ」
レインは、
村を一度振り返った。
動き出した人々。
戻り始めた生活音。
「……間に合った」
だが同時に、
理解していた。
これは――
“前触れ”だ。
判断を奪うだけの敵は、
もう、終わった。
次に来るのは――
判断そのものを、
喰いに来る。
変異群の雑魚個体は、
あっけないほど簡単に倒れた。
ミリアの一歩が前線を踏み越え、
《踏越位》からの一閃。
骨格の歪んだ獣は、反撃すらまともにできず、
その場で崩れ落ちる。
「……弱っ」
率直な感想だった。
エルドが盾を構え直し、周囲を確認する。
「連携なし。
突進も、囮もない」
「うん」
リュカが頷く。
「“いつもの雑魚”なら、
もう少し足掻く」
レインは、倒れた個体をじっと見ていた。
《模写理解》は、
ほとんど反応しない。
(……能力としては低い)
(でも――)
視線を、村の外れへ向ける。
畑。
井戸。
民家の影。
「……変だね」
ミリアが、先に言った。
「これ、
暴れに来た感じじゃない」
「うん」
レインも、同意する。
「“ここにいた”だけだ」
リュカが、地面の痕跡を確認する。
「逃走経路なし。
縄張り主張もなし」
「配置だけされてる」
エルドが、低く呟く。
「……人を襲う前提じゃない」
「でも」
盾越しに、村を見る。
「人が“動けなくなる”位置だ」
その言葉に、
全員が同時に気づく。
――まただ。
判断が遅れる。
様子を見る。
決めない。
戦闘はないのに、
“生活が止まる”。
「……切れない敵だね」
ミリアが、剣を収めながら言う。
「英雄向きじゃない」
「蒼衡も、
動きづらい」
レインは、静かに息を吐いた。
「だから――」
「僕らが呼ばれる」
村人の一人が、恐る恐る近づいてくる。
「……もう、大丈夫なんですか?」
「うん」
ミリアが、できるだけ明るく答える。
「終わったよ」
嘘ではない。
だが――
完全な真実でもない。
村に、少しずつ音が戻る。
鍋の蓋。
足音。
話し声。
それを背に、
《非裁定》は歩き出す。
「……なあ、レイン」
ミリアが、小さく声を落とす。
「これ、増えるよね」
「うん」
迷いなく答える。
「しかも、
次は“考えた配置”になる」
リュカが、苦笑する。
「厄介ですね」
「でも」
エルドが、盾を背負い直す。
「立つ場所は、
もう分かってる」
レインは、仲間を見る。
全員が、頷いた。
裁かず。
退かず。
だが――
放ってもおかない。
変異群は、
まだ“雑魚”だ。
だがその裏に、
意思が芽生え始めている。
それだけで、
十分すぎるほど――
嫌な予感だった。




