資産家の恋
久世の家庭には母がいない、いわゆる父子家庭というやつだ。
だが最初から父と娘の二人三脚で生きていたわけではない。母は久世が九歳の時に死んだ。死んだというか、殺された。
久世家の当主である父が、民間の保険会社に勤めていた母と出会ったのは、三十五歳の時だった。
父は先祖の代から受け継いだ邸宅と資産のおかげで、遊び相手に困ることはなく、常に周りには女がいた。
しかし金の臭いに釣られてやってくる女というのは得てして欲深く、男に好かれるためだけに自己研鑽を積んでいる。メイクもファッションも、媚びた態度も、全ては男のため。女たちは皆二十代と若く、年下好きの父は、相手が資産目当てで十歳近く年上の自分に言い寄ってきていることを理解しながらも、ハーレムを楽しんでいた。
そんな日々に終わりを告げたのが、母との出会いだった。
当時二十三歳だった母は、新卒の保険営業としてノルマに追われる日々を送っていた。保険営業といっても飛び込みではなく、代理店型のインバウンドセールスだったので、自分で顧客を獲得しにいくのが難しい仕事だ。店の前を通る人に声をかけて、保険商品への加入へとそれとなく誘導する。多くの人は素通りするか、迷惑そうな顔をしてくるものだが、五十人に一人くらいは立ち止まって話を聞いてくれる。その一人が保険に加入するかどうかはまた話が別で、実際に成約に至る確率は極めて低かった。
代理店の店長はどういう手法を使っているのか、毎月膨大な数の契約を上げている。その一方で新卒の母はまったく成績が振るわず、同僚からも出来ないやつとして白い目で見られるようになっていた。
父が代理店の前を通ったのは偶然だった。
普段は通らないルートなのだが、工事で通りの一部が封鎖されていたため、ぐるりと迂回するルートを通った。待たせていた車に乗り込もうと駅前の送迎用スペースに向かう途中、その代理店の前を通りかかった。
時刻は夜の八時。もう店じまいの時間が迫っていた。店内では母が一人で店番を任されており、パソコン画面を死んだような目で見つめている。父はそのうら若き保険営業員を一目見た瞬間に、雷に打たれたような衝撃に襲われた。
白磁のごとき肌に、薄く塗られた桃色のリップ。とても派手とはいえない化粧で、ナチュラルメイクというにはあまりに質素。それでも目を引く美しさは、天然ものだ。父にすり寄ってくる金目当ての女たちはメイクこそ上手だが、それだけだ。メイクを取れば平均的な容姿か、微妙にそれ以下の者もいる。
父は思わず店の扉を開けた。閉店間際の時間に来客があるとは思わなかったようで、母ははじかれた様に椅子から立ち上がって父を出迎えた。もちろん保険に入るつもりはないし、死亡保険や相続対策の保険ならばとうに加入している。最近はがんや心筋梗塞での死亡リスクも高いと聞いたので、医療保険も契約済みだ。金は有り余るほどあるから保険に頼る必要もないのだが、旧知の友人から紹介されたので、付き合いで入ったものだった。
「えっと、どんな保険をお探しですか?」
この聞きかたでは成績も上がらないだろうと、父は初対面で母の仕事の出来なさを見抜いた。オドオドとしながらも、必死に商品のパンフレットを並べて説明する母。客の話もろくに聞かず、とにかく契約に持っていこうとする姿を、父は愛おしいと感じたそうだ。
それから事はとんとん拍子に進んだ。
他に誰もいない店内で父に口説かれた母は、翌月には退職届を提出。入社から一年以内の寿退社に、同僚の女性からはひんしゅくを買った。特に富豪の資産家と結ばれたという点が、周りが最も気に入らなかった点だ。
資産目当てのハーレムは綺麗さっぱり解消し、幸せな結婚生活を送り始めた父。父も顔は整っているほうだったので、天然ものの美人である母との間に生まれる子供は、どう転んでも容姿に恵まれるだろうと期待されていた。
そうして生まれたのが久世詩織。
周囲の期待通り、いやそれ以上に美しい容姿を持って生まれた久世は、幼いころからちやほやされて育ってきた。屋敷にやってきた客人や家政婦も久世を目の前にすると、とろけた表情になる。五歳になるころには、久世も自分の魅力を自覚し始めていた。
自分が笑いかければ、大人たちは破顔する。少し甘えてやれば、なんでもホイホイと言うことを聞いてくれる。母のDNAが色濃く受け継がれたおかげで、久世の肌は真珠と形容されるほどに透き通った白さを持っていた。
母が殺されたのは、それから四年後だ。
一発だった。一発で見事に心臓を撃ち抜かれ、苦しむ暇もなく絶命した。
母を殺害したのは、元警察官の男だった。正義に人生を捧げた男が、なぜ警察を辞職したあとに犯罪に手を染めようとしたのかは分からないが、本来の目的は久世の誘拐だったらしい。久世を拉致して、身代金を要求するという手筈だったようだ。
屋敷に侵入してきた男から久世を守るため、母は犠牲となった。銃弾から久世を守る盾となり、運悪くも心臓で弾を受けてしまったのだ。当たり所がずれていれば、助かったかもしれない。犯人は逃走したが、その後警察にによって逮捕された。元同僚を捕まえたときの警察は、果たしてどんな顔をしていたのだろうか。
資産目当ての犯罪に巻き込まれるのは、これが初めての出来事だった。
父が変わり始めたのは、それからだ。




