お嬢様のお怒り
只者ではないオーラは、一目見た瞬間から確かに感じていた。ただそれは執事の洗練された所作や、人に仕える立場でありながら、こちらが平身低頭したくなるような凄みからくるものだった。決して殺し屋としての脅威を感じていたわけではなかったのだが、久世が言うには、彼は最強の殺し屋であるらしい。
「そんなにすごい人なら名前も顔も知ってるはずですけどねえ。失礼ですけど僕、あの人のこと初めて見ましたよ」
「業界の方がご存じないのは当然です。執事はもう長らく、仕事としての殺しはしていませんから。今は久世家専属の従者として働いています」
「なるほど、裏社会の表舞台に出てきてないってことですか」
裏か表かややこしい。
前菜の皿が下げられ、スープが運ばれてきた。
普段スープといえばコーンポタージュかミネストローネくらいしか飲まないのだが、出されたのは深緑色の、見たことないスープだった。
「さっきの女の子、えっとAさんのことですけど、殺されちゃったのはあの失礼な態度のせいですか?」
彼女の眉間に穴が開いた心当たりといえばそれしかない。
「おそらくそうだと思います」
「おそらく?」
「私から執事には事前にこう指示してありました。招いた客人の振舞いが食事会に相応しくないと判断した場合、執事の独断で処分せよ、と」
松本の体温が下がった。なんて指示を出していたのだ、このご令嬢は。
「しかしまさかあの程度で射殺とは、私も予想外でした」
「結構顔をもみくちゃにされてましたよね。だいぶ失礼だとは思うんですけど」
「過保護なんです。あの男は」
スープを飲み終えると、過保護な執事がメイン料理を運んできた。
スライスされた赤身の肉が、白い皿の上に丁寧に並べられている。昨晩の松本のご飯は、スーパーで3割引きになっていた豚肉だった。同じ肉というジャンルにあると思えないくらい、皿に盛りつけられたものは美しい。
グラスに赤ワインが注がれる。
「こりゃ何の肉ですか。まさかさっきの女の子の…、なんてことはありませんよね!いやそれでも美味しけりゃいいんですよ?切ったばかりで新鮮でしょうし」
食欲を削ぐジョークは勘弁してもらいたい。実は松本も一瞬同じことを考えたのだから。解体ショーの音が耳に蘇ってくる。
食事会は滞りなく進み、デザートを全員が食べ終えたところで久世が切り出した。
「そろそろ本題をお話しましょう。私が皆様をここへお招きした理由を」
「やっぱり殺し屋ばかりを集めたのには理由があるんですね?気まぐれでごちそうを振舞ってくれるだけだとは端から思ってませんでしたが、まあ聞きましょう、久世さん。一体どんなワケで僕たちは集められたんです?」
久世は、ふうと息を吐いた。先ほどまでの優雅な雰囲気からは感じられなかった、わずかな緊張感が彼女から伝わってくる。
「私の執事を、殺してほしいのです」
執事を殺す。その意味をすぐには理解できなかった。
執事にとって久世は仕える相手であり、身をささげて守るべき存在だ。先ほども久世の指示とはいえ、主人に無礼を働いたAを容赦なく射殺したではないか。
「先ほども申し上げました通り、あの男の殺し屋としてのスキルは別格です。これまで何十人、いえ何百人かもしれません。途方もない数の相手を冥土へと送ってきたのです」
「それは久世さんを守るためではないんですか?」
松本の問いに、岩井も頷く。
「殺しちゃったらダメでしょ。言うなれば最強のボディーガードみたいなもんですよ?久世さんみたいな富豪は、資産目当てのやつらに安全を脅かされることもあるでしょうに。執事がいないと危なくなるのは久世さんご自身では?」
「ダメです。殺してほしいんです」
久世は聞き分けの悪い子供のように、ドレスの裾を掴んで上目遣いになる。こうして岩井と並んでみると、まるで父親に怒られている娘みたいだ。
「だからなんでなのか、その理由をですね…」
岩井が困ったというふうに頭を掻くと、久世がテーブルを叩いて立ち上がった。
「殺してくれるのか、殺してくれないのか、どっちなんですか⁉」
まだテーブルに残っていたワイングラスが床に落ち、赤い小さな水たまりができた。
食事会が始まる前の、凛とした雰囲気を纏った久世はどこかへ消えていた。感情に支配され、すっかり取り乱している。なにが彼女をそこまで刺激したというのか。
「落ち着いてくださいって!ああほら、お召し物が汚れちゃってますよ。綺麗なグリーンのドレスにワインのシミが」
岩井がポケットから取り出したハンカチで久世の体を拭こうとした。怒りのボルテージが上がっている人相手に、どさくさ紛れにセクハラを試みるとは、この男もなかなかだ。
久世がテーブルクロスを引き裂く。いきなり何をするのかと、松本は彼女の奇行に目が離せなくなった。
破かれたテーブルクロスの下には、ナイフが忍ばせてあった。まったく気がつかなかったが、そこの一部分だけナイフの体積の分盛り上がっていたのだろうか。
久世はナイフの柄を素早く握り、岩井の腹部に突き立てた。




