被害者A
「お食事の準備が整いました。どうぞ、お召し上がりください」
解体ショーが終わってからまもなく、給仕係の女性三人を従えて戻ってきた。松本たちの目の前に、食前酒と前菜が供される。
執事の燕尾服には、血の飛び散った跡は見受けられない。チェーンソーを振るっていたのが執事だとして、仮に解体ショーの時だけ着替えていても、血の臭いはそう簡単に消せないはず。しかし松本の後ろから料理を差し出す執事の体からは、何の臭いも漂ってこなかった。
久世が乾杯の音頭を取る。とはいっても飲み会のようなテンションではなく、お上品にグラスを目の高さで傾けるだけだ。席から身を乗り出さなくてもいいので、全ての飲み会の乾杯は今後この方式を取ってほしいと思った。
口に含んだ瞬間に高級だと分かるシャンパンに、松本は思わず「美味しい!」と声に出した。酒は嫌いなほうではないが、プライベートであまり飲むことはない。本来なら会社終わりに一杯引っかけたり、バーでカクテルでもしゃれこみたいものだが、あいにく夜の仕事がある。ほろ酔いの状態でこなせるほど楽な仕事ではないのだ。
庶民らしい素直な感想をこぼした松本に、久世はふわりと笑いかけた。グラスの脚を持つ彼女の指は細長く、爪は綺麗な桃色をしている。
「松本さんの言う通り、こりゃあいい酒ですな!こんなこと聞くのは野暮ってもんですがね。おいくらくらいするんです?」
出された酒の値段を聞くなど無作法にもほどがある。あのギャルのように、岩井も撃たれるのではないか。
「ごめんなさい。私はお酒の値段は把握しておりませんの。食事の世話は全て、給仕係に任せておりますから」
うまいかわし方だ。仮に値段を知っていたとしても、これ以上追及されないように予防線を張っている。
岩井も実際の値段を知りたかったわけではないらしく、久世の返答に「はあ、そうですか」と軽く相槌を打ったあと、また一人で喋り始めた。
「僕の職場でもこの前ね、40年勤めあげた大ベテランの先生が退職されたんですよ。その時にお祝いを渡そうって話になったんですが、その人は大の酒好きだったんですよ。特にワイン。ワインには目がないし、飲みに行ったらワインのうんちくを語るような、まあちょっと面倒くさい部分もあったんです。で、せっかくだから高級ワインでも贈ろうかってんで、ネットで調べたんですけどね。なんと一本で三百万近くするじゃあないですか!
車が買えますよ。なんなら軽自動車ならおつりが来ますね。ワインの世界ってのはどうも分からない。僕なら三百万は出せないなあ」
目の前のシャンパンが三百万を超えている可能性など微塵も考慮せず、まるで水のようにすいすいと飲み進める岩井。そんな話を聞かされては、口をつけるのすら恐れ多くなってしまう。松本はいったんグラスを置いた。
後日に殺害対象の銀座のホステスから、殺す数時間前に聞かされた話では、歴史的価値のついたシャンパンは億を超えることもあるそうだ。車どころか家を買ってもお釣りがくる。
「久世さん、一つお聞きしたいのですが」
カプレーゼをフォークで突いていた北村がそう切り出した。
「なんでしょう?」
「先ほどのけばけばしい女性は一体何者だったんですか?まるで何事もなかったかのように食事会が始まりましたが、さすがに気になって食事も喉を通りません」
そのわりにはカプレーゼが既に半分以上食べられているが。
その点については松本も気になっていた。というか、説明してくれないと困る。
「そうですね。私からご説明差し上げませんと」
久世がシャンパンで口を湿らせる。
「本日お集まり頂いた皆様には共通点がございます。もうお分かりかとは思いますが、ここにいる皆様は殺しのプロの方々でいらっしゃいます」
松本の予想は的中した。殺し屋は自分だけではなかったのだ。
剽軽者でマシンガントークが止まらない高校教師の岩井も、仏頂面のSPの北村も、2人とも殺し屋を生業としている人間らしい。いや、社会保険料を天引きされているのは昼の仕事のほうだし、どちらかといえば副業か。とにかく、表社会だけで生きているわけではないということだ。
「そんな気はしてたんですよ!特に北村さんなんかね、ほらこのブイシネに出てきそうな顔!これで殺し屋じゃないならなんだって言うんですか。ははは」
ブイシネに出てきそうという、遠回しにヤクザみたいな顔だと言われた北村だが、気分を害した様子はない。きっと言われ慣れているのだろう。
「しかし松本さん。あなたみたいな若くて綺麗な女性も同業者だとはね。世の中捨てたもんじゃありませんな。この業界なんて、むさくるしい男連中ばっかりだと思ってましたよ」
久世を前にしていくら容姿を褒められても、嫌味にしか受け取れない。今日はめかしこんでいるので多少マシに見えるだろうが、普段の松本はいかにも平均的と言った容姿だ。素材は悪くないので化粧映えはするタイプだが、殺し屋が目立っていいことは一つもない。地味であればあるほど景色に溶け込める。
「それで久世さん。あのギャルは?」
話を脱線させた岩井が責任をもって、北村の放った問いを引き継いだ。
「彼女も殺し屋です。名前は…。ああ、それはもういいでしょう。どうせ死んでますから。仮にAとしましょう。Aは銃火器のエキスパートだったんです。特にスナイパーとしての実力を買われて、アメリカでの要人の暗殺や、紛争地帯でも活躍していたと聞いています」
あの鬱陶しいハイテンションは、海外のノリも入っていたせいだろうか。
「銃の扱いに長けた人物が、ああも簡単に銃殺されるとは考えにくいのですが」
北村の指摘はもっともだ。松本の専門は黒魔術であるが、今も脚に銃を忍ばせているとおり、心得くらいはある。サバゲー程度の遊びで銃を扱えるつもりになっている素人に比べると、習熟度は高い。だからこそ北村の言う通り、自身が銃で狙われたときの事も想定して動けるはずなのだ。それが銃のエキスパートとくればなおさら。
「なぜAが容易く撃ち殺されたか?それを説明するのは簡単です」
久世が首を斜め後ろに傾けて、奥の部屋を示した。
給仕を終えた執事が帰っていった部屋で、解体ショーの現場でもある。
「あの執事が最強の殺し屋だからです」




