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愛娘

 

 脇腹に穴を開けられた岩井は、口から吐き出しながら松本を睨んだ。初老の割に、やはりタフだ。最初に会ったときにセンスがおかしいと感じた金色のネクタイの先に血が滲み、余計に変なカラーリングになっている。

 

 「な、なんで撃った。なんで!」

 

 「話聞いてなかったんですか?悪魔を送り返すには人間の生贄が必要だって言ったでしょ」

 

 「だから僕はあんたを半殺しにして生贄に捧げようと…」

 

 「私の首を絞めようとしましたよね。さすがにおじさんの動きくらい読めますって。身体能力には自信があるようでしたけど、所詮はサッカー部の顧問程度。球追っかけて蹴ってるだけじゃ、体は鍛えられませんよ」

 

 岩井がえずくたびに、床に広がる血の面積が広がっていく。このまま放置していては出血多量で死んでしまう。早いところ生贄に捧げる準備をしないと。

 

 悪魔召喚の時には魔法陣のようなものを地面に描くらしいが、帰ってもらう時にそれは必要ないと本で読んだ。必要なのは生贄だけ。活きがいいほうがいいらしいが、半分死にかけの初老の男性でも、まあ問題はないだろう。

 

 岩井の頭を掴んで、テーブルの上に仰向けに寝かせる。

 

 手順としては、生贄の四肢を釘がなにかで留めた状態で、呪文を唱えることで悪魔にお帰り頂けると記憶している。あいにく釘は持参していなかったが、藁人形の呪いを試した時に久世に用意してもらったものがある。一本でいいと伝えたが、久世が念には念を入れて予備の釘を五本入れてくれていたので、助かった。呪いが失敗した時点で無用の長物だったが、武器に使えるかもと持ってきて良かった。

 

 松本は釘を一本、まずは岩井の右手首に打ち付けた。

 

 「ぎゃああああああぁ!」

 

 岩井の絶叫がこだまする。年寄りでもこんな大声が出せるとは、大した肺活量だ。

 

 年相応に皮膚はたるんでおり、釘の先端は簡単に刺さった。これが久世だったり、筋肉質な北村だったらもっと苦労しただろう。最後に生き残ったのが岩井でラッキーだった。

 

 「ちょっとチクっとしますよ。我慢してくださいね」 

 

 二本目がずぶりと刺さる。

 

 「ぐぎいいいいいいぃ!」

 

 「若い子と最後にナースプレイが出来て良かったじゃないですか。はい、大好きなお注射ですよ」

 

 これまでの人生で最も痛かった注射は、仕事で海外に行った際に、現地の薄汚い病院で受けた予防接種だ。あの時の針は、冗談かと思うほどに太かった。血管何本分あるのかと、刺されるのがものすごく怖かった記憶がある。実際に看護師の腕も悪く、刺しては戻し、刺しては戻し、なかなか刺すべき場所が見つからないと、ヘラヘラ笑っていた。下手な看護師に注射器を扱わせるのは、全世界の法律で禁止にしてほしい。

 

 今の岩井はそれくらい痛いのだろうか。いや、血管とか関係なく刺しているので、痛いどころの騒ぎではないかもしれない。しかしこれでも気絶しないのが岩井のすごいところだ。普通なら痛みで気を失っていてもおかしくないのに、憎悪のこもった目で松本を睨みつけている。

 

 「このクソ女!悪魔!お前だけは許さん!」

 

 「悪魔を祓うために頑張ってるんでしょう。岩井さんはその材料なんですから、大人しくしててください。あんまり暴れると血がいっぱい出て、ほんとに死んじゃいますよ。そしたら困るの私じゃないですか。もうこの屋敷に生贄に出来そうな人間なんて…。ああ、まだメイドさんたちがいましたっけ。でもここまで来たんだし、もう岩井さんでいいです」

 

 三本目を右のふとももに打ち付ける。

 

 声にならない悲鳴が岩井の口から漏れた。

 

 打ち付けてみてちょっと緩いと感じたので、刺さった釘をぐいぐいと動かすとさらなる激痛が岩井を襲う。

 

 「手首よりも面積が広いので刺さりやすいと思ったんですけど、なんか足のほうが難しいですね。藁人形と同じ感覚ではダメか。ちょっと岩井さん、動かないでいてもらえます?ちゃんと固定しないと悪魔のほうも納得しないかもしれないんで」

 

 しつこく釘を打ち込み、ようやく三本目が固定された。

 

 ラストだ。四本目を残ったもう片方の太ももに打ち込んだ。

 

 岩井はまだ動いている。動いているが、それは意思を持って動いているというよりは、陸に打ち上げられた魚が、酸素を求めて跳ねているのに近い、本能的な動作だった。口を金魚のようにパクパクさせているのも、より魚っぽさが際立っている。よく見ると岩井の顔は、魚に似ているかもしれない。スーパーの鮮魚コーナーにいくたび、これから何度も思い出すことになりそうだ。ちょっと食欲が減退してしまう。

 

 最後の釘を打ち終えてもなお、岩井は生きていた。

 

 良かった。死なずにいてくれた。彼の生命力に感謝だ。

 

 もし岩井ではなく久世を生贄に使っていれば、四本の釘を打ち終えるまでに絶命していた可能性がある。しかし見た目としては久世のほうが生贄に相応しい。料理は見た目がまず大事だというし、いくら味がよくてもビジュアルが汚ければ、人間の脳はまずいと錯覚してしまうものだ。松本もタイに行ったとき、訳の分からない風貌の、虫かも肉かも不明な料理を食わされた。目を閉じて咀嚼すると、確かに味は悪くなかったのだが、どうにも見た目のせいで総合評価はマイナスだった。二度と食べたくない。

 

 ようやくこれで生贄が完成した。

 

 岩井の目は、もはや松本を見てはいない。白目を向いてしまっている。口からは泡を吹き、唇は小刻みに振動している。何かを伝えようとしているのか、たまに言葉を発しているような動きになるが、誰になにを伝えようと言うのだ。警察に通報することも無理だし、岩井に愛する家族がいたところで、もう彼を待っているのは生贄として捧げられる運命のみ。家族がこの姿を見たらさぞかし悲しむだろう。それとも、もはや人としての尊厳を奪われた姿に幻滅してしまうかもしれない。もしも松本に彼氏がいたとして、こんな姿で発見されたら、もう愛する自信はない。人は結局見た目だ。久世だってあんなに美しかったのに、今や片足しか残っておらず、生前の彼女の価値はもうどこにも存在しない。

 

 完成した生贄を前にして、テーブルに置かれたままのワインを飲む。結局これいくらだったんだろう。シャンパンの値段も分からずじまいだったが、あの食事会のメニューだけで会社員の給料が少なくとも三年分は飛びそうだ。

 

 松本が生贄を作る間、森山は大人しく待っていてくれた。自分のために調理をしているというのを理解していたのだろう。

 

 「お待たせしました。こちらお食事の、えーと、小汚いおっさんでございます」

 

 執事として働いてた時の森山がそうしていたみたいに、胸に片手を当てて慇懃な態度で出来上がった生贄を示した。

 

 森山はテーブルに近づく。手にはまだ久世の片足を持っている。まるで玩具を与えられた子供みたいに、それを肌身離さずずっと持っているつもりだろうか。

 

 生贄を食らう森山の所作は、とても美しいとは言えないものだった。獣のように顔を岩井の腹に突っ込み、人狼を食べたときみたいにガツガツと、そしてべちゃべちゃと汚い咀嚼音を立てている。ご飯を食べるときに咀嚼音が漏れる人は大嫌いだ。本人はそれに気づいていないことが多く、仮に注意されても止めないのが余計に質が悪い。

 

 そういえば夫の食事マナーが不快すぎるというだけの理由で、殺しの依頼をされたこともあった。離婚で済む話だと思ったが、どうも殺さなければ気が済まなかったらしい。夫婦関係というのは、いとも容易く崩れてしまうものだ。これだから独り身が一番なんだ。

 

 森山の食事シーンを後ろから眺めている間に、残りのワインを飲み干した。さすがにこれだけ飲むと、頭がクラクラする。だが仕事はもう終わったのだし、早めの打ち上げだと思えばそれでいい。

 

 岩井の原型がなくなったのは、それから約三十分後だった。案外ゆっくりと食事を楽しむタイプらしい。早食いは体に毒だというから、そのほうが健全だ。

 

 久世を食らったときに割れた顎はそのまま、相変わらずワニのようなサイズの口が開いたままだ。喉の奥までしっかり見えている。

 

 ごちそうさま、も何も言わずに森山は食堂を去った。

 

 

 松本はお手洗いを借りて血を洗い流したあと、玄関へと向かった。先ほどは押しても引いてもびくともしなかった扉は、いとも簡単に開いた。外の空気を吸うのは久しぶりな気がする。実際には三時間くらいしか経っていないと、空を見上げて分かった。まだ明るい。夕暮れ時ですらない。ドレスには不似合いだと思って腕時計はつけてこなかったが、まだおやつの時間くらいだと思われる。今日はおやつを食べ過ぎた。森山の生存を確認するために、無駄に二回ものティータイムを挟んだうえに、食事会の最後にもデザートが出てきたので、正直お腹いっぱいだ。コース料理というのはどうしてちょっとづつ出してくるのだろう。食事は庶民派の松本からすれば、最初から一気に出してほしい。好きなものを好きなタイミングでつまめるほうがいい。三角食べをしなさいと幼少の頃から教わってきたのに、コース料理では三角食べが出来ないではないか。

 

 「今日の晩御飯、どうしようかなあ」

 

 

 昼間は食べ過ぎたと思ったが、夜になれば案外お腹は空いてくるものだ。

 

 駅前の牛丼チェーンに入り、タブレットでメニューを見る。季節限定の商品がでかでかとオススメされているが、どうにも惹かれない。やっぱりスタンダードなものが一番だ。結局グランドメニューの中でも、最も王道の牛丼を注文した。並盛をタッチしかけたが、思い直して大盛にした。

 

 隣に座ってきた客は、若いサラリーマン風の男だった。上司から電話がかかってきたらしく、箸を止めて電話に出る。電話口で相手が怒鳴っているのが、松本の耳にまで聞こえてきた。

 

 通話を終えると、男は大きな溜息をついた。牛丼がほかほかと湯気を立てているのに、まったく箸をつけようとしない。早くしないと冷めてしまうではないか、と他人の牛丼の心配をする。

 

 「殺したい」

 

 男がそう言った。

 

 「あのクソ上司、殺してやりたい」

 

 はっきりと殺意を口にした。

 

 これも春先によく増える依頼だ。新卒で入った会社や転職先の上司が気に食わず、殺してやりたいと憎む。立場では自分が下なので強く言い返せないが、心の中にはどす黒い感情がうすまずいている。そういう人からの依頼が増える季節が、大体三月から四月。五月は五月で、いわゆる五月病というやつの患者が増える。鬱になると普通はふさぎこむものだが、なぜか殺人衝動に駆られる人も一定数存在する。なので五月も結構稼ぎ時だ。六月から九月にかけては閑散期と言える。常に誰かに恨みを持っている人間は世の中に溢れているので、多少暇になるくらいなものだが。

 

 十二月なんてそりゃもうすごい。彼氏に振られた。むかつくから殺してほしい。彼女に送ったプレゼントをフリマアプリに出品された。殺してほしいなど、愛憎渦巻く季節にも依頼は増える傾向にある。今年も年末にかけて忙しくなるだろう。今は十一月。繁忙期まであと残り一カ月か。

 

 そんな事を考えなが牛丼を摘まんでいると、隣の男性がまた言った。

 

 「殺したい!殺したい!死ね!」

 

 これは顧客獲得のチャンスかもしれない。会計を終えて機械から出てきたレシートの裏に、連絡先を書いて、男性の前に置いた。あいにく名刺は切らしていたので、手書きで申し訳ない。

 

 「これは?」

 

 「お兄さん随分お悩みみたいだから。私でよければ相談に乗るよ」 

 

 性的な商売の誘いだと勘違いしたのか、男性が警戒して身を引く。だとしたらもっと喜ぶべきではないのか。アラサー独身女からの誘いなんて、新卒サラリーマンからしたら垂涎ものだろう。女は三十を超えると一気に色っぽくなるというし、まもなく松本もその域に達そうとしてる。これが久世なら、サラリーマンは一瞬で落ちたのだろうか。

 

 「ああ、そんな怖がらないで。さっき殺したいって聞こえたからさ。これ私の連絡先。良ければ殺しの仕事、受けるから」

 

 食事のついでに営業をかけ、牛丼屋を出た。

 

 サラリーマンが松本の後を追って店から出てきた。

 

 「ほんとに殺してくれるんですか?」 

 

 「うんいいよ。今月はちょうど暇だったんだ」

 

 

 季節は十二月。十一月の間に受けた仕事は、例のサラリーマンの一件と、あと小さい仕事が三件の合計四つだった。

 

 サラリーマンの上司の殺害はとても簡単だった。なんなら黒魔術を使うまでもないレベルだったが、証拠を無駄に残すのも嫌なので、簡単な黒魔術で殺しておいた。久世家で使った青いグラスの呪いみたいな、誰でも出来る簡易的なものだ。黒魔術は本当にコスパのいい殺し方だとつくづく思う。

 

 岩井の普段の殺し方は最後までよく分からなかったが、あの時みたいに毒薬を注入するやり方も使っているのだろう。あんなの時間と手間がかかってしょうがない。あの時は久世と松本の協力があったからよかったものの、単独行動ならさらに面倒くさそうだ。

 

 そういえば教師がいきなり消えた岩井の勤務先では、どのような騒ぎになっているのだろう。ニュースを調べてみても、高校教師が失踪したという事件は報じられていない。もしや生贄として捧げたからだろうか。黒魔術で死んだ人の行方を警察が追えないのと同じで、悪魔に生贄として捧げられた人間の消息も、闇の中なのかもしれない。

 

 もちろん久世詩織の失踪は大体的に報じられていた。こういう時に美人は得だと思う。もし久世が不細工なお嬢様なら、世間はあまり注目しなかっただろう。ニュースで取り上げるにしても、見た目はいいほうがネタになる。ネットニュースの見出しにも、生前の久世の写真が使われていた。コメント欄には『こんな綺麗な人が死ぬなんて』『ご冥福をお祈りします』などの文章が溢れかえっている。

 

 関連記事にアイドルの死亡記事が出ていたが、そこに載っている顔写真は、お世辞にもかわいいとは言えないものだった。『これでアイドルとかマジ?』といった、死者への冒涜のコメントが多い。久世の記事とは大違いではないか。やっぱり世の中顔だな、と松本は思った。

 

 

 十二月は想像以上に忙しかった。


 例年のようにカップルの片割れを殺したり、大企業の会長殺しも依頼された。


 昼間の会社のほうも多忙で、松本は息をつく暇もない一カ月を過ごした。


 大晦日くらいはゆっくりしたいと、依頼を断ってこたつに入る。


 みかんを向いて、白い筋ごと食べた。ここが一番栄養があるとネットで見たことがある。

久世のニュースは十二月に入ると、あまり聞かなくなった。世間の興味というのは、すぐに移り変わるものだ。

 

 森山は無事にあっちの世界に帰ったのだろうか。最後まで久世の足を大事そうに持っていた森山。彼の忠誠心が本物であることは確かだった。好きだから。大事だからこそ食べてしまい、自分の一部にしたい。そんな気持ちが暴走したのかもしれないが、とんだカニバリズムだ。とても感動できるものではない。

 

 「あ、お酒なくなった。買いに行かないと」

 

 年越しには酒がなくてはいけない。パジャマから私服に着替えるのも面倒なので、上からコートを羽織っただらしない恰好でコンビニまで出かけた。

 

 東大阪の町工場の社長からの依頼で、ここで働く大澤を殺してから、スタッフの質は随分よくなった。大澤の接客態度は最低レベルで、とても接客と呼べるものではなかったが、今日の夜勤担当は明るい雰囲気の女の子だ。冷蔵ケースから缶チューハイ二本と、向かいのコーナーにあったおつまみ数種類を見繕ってレジに置く。

 

 「袋はご入用ですか?」と聞いてくる声もかわいらしい。

 

 「あ、お願いします」 

 

 チューハイ二本を両手に持って帰り道を歩くのは恥ずかしい。年末に出没したダメ人間みたいに思われてしまう。

 

 コンビニで会計を終え、かつて猫を殺した駐車場に腰を下ろした。なんだか夜空が見たい気分になったのだ。とはいっても、都会じゃあまり星は見えない。というか全然見えない。冬の大三角なんてものを小学校で習った気がするが、夏の大三角のほうが有名すぎて、どうしても脇役感が否めない。デネブ、アルタイル、ベガの存在感に比べて、冬の大三角を諳んじることの出来る人の少なさ。別に何の星座が冬の大三角なのか調べる気も起きず、そのまま何もない夜空を見上げた。

 

 「寒っ。もう帰ろ」

 

 尻についた土埃を払って立ち上がった時、誰かに腕を引っ張られた。

 

 見ると、そこには四歳くらいの小さな女の子がいた。お人形のようなかわいらしい見た目をしている。

 

 「どうしたのお嬢ちゃん、迷子?」

 

 目線を合わせて優しく声をかけると、女の子はこくりと頷いた。

 

 「お家はどこ?この近くなの?」

 

 「分かんない」

 

 女の子はそれだけ言った。大晦日に迷子とは、この子もとんだ災難だ。

 

 「お嬢ちゃん、お名前は?」

 

 「みお」

 

 どんな漢字を書くの、と聞きかけて、目の前の子が漢字など分かるわけないと思い直した。

 

 「みおちゃん、お母さんとお父さんは?いつから一人なの?」

 

 「お母さんもお父さんもいないの」

 

 ますます複雑な状況になってきた。家出かとも思ったが、両親がいないということは孤児か。近くに孤児院があって、そこから脱出してきたのかとスマホで近所の孤児院を検索したが、一件もヒットしない。最寄りでも十駅離れている。孤児院なんてそうそうある施設でもないか。スマホの電源を落とし、みおの手を引く。

 

 「それじゃあお巡りさんのところ行こうか。きっとお家に帰してくれるよ」

 

 「いや!」

 

 みおが首をぶんぶんと振った。

 

 聞き分けのない子供のように首を振る久世のことが思い出された。みおは本当に子供なので、これが自然なことであるが。

 

 「うーん、困ったな。どうしようか」

 

 「お姉ちゃんのお家、行く」

 

 「えっ、私の?これって女児誘拐にならないかな」

 

 本人の同意があったと説明しても、警察は納得しないだろう。殺しの仕事では警察と依頼主が癒着しているのでそれなりに取り計らってもらえるが、個人的に犯した犯罪については警察も容赦しない。普通に刑事罰として問われるのが松本の立場だ。

 

 しかし極寒の大晦日の夜に、みおを一人で放置して帰るわけにもいかないし、警察には行かないと頑固だ。しかたなくいったん自宅に連れ帰ることにした。

 

 こたつに入ったみおは、先ほどまでの緊張感に溢れる表情を解き、ふにゃりとした笑顔になった。こうして笑うと、本当に作り物みたいに愛らしい。

 

 みかんを剥いてあげると、白い部分を取り除き始めたので、そこも栄養があるんだから食べないと、と注意した。みおは少し不満げだったが、大人しく白い筋ごと口に入れた。もし自分に娘がいればこんなふうだったのかと、決して実現しえない未来を想像してしまった。

 

 

 みおと過ごした年越しは、大人になってから初めて楽しいと思えた日になった。一緒にカウントダウンをして、ハッピーニューイヤーと祝う。初詣に出かけておみくじを引き、松本だけが大吉でみおが凶だったので、おみくじを交換したあげた。果たして交換して意味があるのか不明だが、神様もその辺は考慮してくれるだろう。

 

 凶のおみくじには、ろくなことが書いていなかった。待ち人は来ないし、仕事運もない。金運も上がらなければ、健康面でもなにか悪いことが起きると言う。これまで散々人を殺してきた報いだと受け入れればそれまでだが、どうにも新年のスタートがいい気分で切れない。

 

 みおと一緒に屋台を回り、りんご飴や綿菓子を買い与えた。祭りで食べるお菓子はどれも美味しいと思えないのだが、みおは喜んで食べているのでよしとしよう。

 

 ヨーヨー釣りや金魚すくいにもチャレンジした。松本が全神経を集中させて本気でやれば、おそらくすべてのヨーヨーや金魚を取りつくしてしまうので、遠慮して三匹くらいにしてやった。

 

 しかし射的屋では本能が勝ってしまい、全ての的を倒して屋台の親父から怒鳴り散らされた。

 

 「おじさん怒ってたね」

 

 「ね、なんでだろうね」

 

 

 みおとの生活が続き、春になるころには、彼女が所在のない子供だということを忘れかけていた。

 

 もうこの子はウチの子にしていいんじゃないか、とさえ思ったが、きっとどこかにみおの帰りを待っている人がいる。だが警察に行こうとすると、「いや!」と言うので困る。

 

 みおを養うために、高額の依頼を積極的に受けるようになった。殺しの難易度は確かに上がったが、黒魔術を使えばそう難しい話でもない。黒魔術に耐性を持っている人間などいないので、材料さえ揃えばあとは呪いをかけるだけ。本人の毛髪や爪が必要な時が少し骨が折れるくらいだ。

 

 「さらは、お仕事なにしてるの?」

 

 あまり聞かれたくなかった質問が、ついにやってきた。まさか殺し屋というわけにはいかないので、昼間に務めている会社のホームページを見せて、ここで働いてるんだよ、とだけ言っておいた。嘘は言っていない。社会保険だってここで入っているし。

 

 「みおは将来、なにになりたいの?」 

 

 「うーん、お嫁さん!」

 

 子供らしいかわいい答えだ。松本は幼少期にそんな夢を抱いた事はなかったが、お嫁さんになるというのは女の子の憧れなのだろう。ウェディングドレスを着た将来のみおは、さぞかし美しいに違いない。その頃は自分はもう五十代かと考えると、一気に嫌な気分になった。

 

 松本はあの事件以来、久世の件について続報がないかを頻繁に調べていた。

 

 警察の捜査が進んだと言う話は聞かない。悪魔に食われたお嬢様の行方は、誰も分からないのか。

 

 松本のスマホ画面を覗き込んでいたみおが、久世の写真を指さして言った。

 

 「おかあさん!」

 

 「えっ?」

 

 「おかあさん」

 

 「おかあさんって、この人が?」

 

 「うん、この人がみおのおかあさん」 

 

 母親はいないと言っていたはずだ。それに久世が母というのは、何かの間違いだろう。

 

 「きっと似てるだけの別人じゃいかな?この人は、そう、みおのお母さんじゃないよ」

 

 「ううん、おかあさん」 

 

 何を言ってもみおは譲らない。

 

 仕方がないので、話を合わせておくことにした。

 

 

 みおは成長して六歳になった。やはり美人の家系に生まれた子のようで、みるみる綺麗になっていく。

 

 久世に似ている。松本はみおの顔を見るたびにそう思った。

 

 あの時みおが、久世のことをお母さんと呼んだことが、ずっと気にかかっていた。

 

 まさか久世に子供が?食事会の時は妊娠している様子は無かったし、仮に子供を宿していたとしても、悪魔に食われたではないか。みおがこの世に生を受けるはずがない。 

 

 あるいは食事会以前にすでに生まれていたとか。

 

 どちらにしても、血縁関係がないと断定できないほどに、みおと久世の顔は似ていた。

 

 だとすれば、父親は誰なんだ?松本は考えた。 

 

 久世は中学生のときに、父親から性的暴行を受けかけた。だがそれは未遂に終わったはずだ。森山が助けたのだから。

 

 だがもし森山が父を殺す以前に、すでに久世と父が交わっていたとすれば…。 

 

 みおは近親相姦で生まれた子ということになる。

 

 久世の父の姿は見たことがないが、彼女の話では見た目はそこそこ悪くなかったらしい。だとすれば美人の遺伝子と美男の遺伝子が、遺伝子のエラーを起こしやすい近親相姦の壁を超えて、みおという可憐な少女を誕生させた可能性もある。

 

 考えれば考えるほどに吐き気がしてきた。人形のように見えていたみおの顔も、気持ち悪く感じてくる。これまで三年間を一緒に過ごしてきたみおにそんな感情を抱くのは間違っているのは分かっている。

 

 なんとか考えないようにして、疑念を心の中に押し込めた。

 

 

 みおは七歳の誕生日を迎えた。一年前と比べて、やはり久世に似てきている。長い睫毛も、小さな口も。そして教えてもいないのに、優雅な所作になってきている。まるで久世の魂が乗り移っているかのようだ。お嬢様として育てたはずもないのに、どこでそんな所作を身に着けてきたのだろうか。

 

 そしてたまに感情を昂らせて、激高するのもそっくりだ。苦手な野菜を食べさせようとすると、「いい加減にして!」と机を叩いて部屋を出ていく。岩井に執事殺しを断られかけた時と似ている。

 

 小学校でもみおは男子生徒から大変にもてるらしく、毎日のように贈り物やラブレターをもらって帰ってくる。今時ラブレターなんて古風な、と思ったが、そこに認められた文章は、小学生が書いたとは思えない情熱が込められていた。最近の子供もなかなかやるな、と感心する。

 

 休日になると、みおがどこかへ遊びに行きたいと言い出した。

 

 「どこに行きたいの?」

 

 「ショッピングモール!」

 

 みおはなぜかショッピングモールによく行きたがる。別に遠くも無いので、二人で歩いてモールに行くと、フードコートやアパレルショップで目を輝かせてはしゃでいる。家出をした久世も、あの時こんな気分で楽しんでいたのだろうか。

 

 どうしてみおの行動一つ一つに久世の姿を重ね合わせてしまう自分がいた。

 

 もう帰ろうかという時、みおが「猫カフェに行きたい」と言い出した。

 

 前に二人でネット動画を見ていて、偶然猫カフェの公式アカウントが上げている動画を見つけた。スタッフとじゃれあう猫の姿に、みおは大興奮していた。

 

 「いいよ、近くにあるみたいだし、行こうか」

 

 予約不要と書いてあったので、そのまま徒歩で店に向かう。

 

 店内には十匹の猫がおり、看板猫は大変な人気だった。客がこぞって動画を撮っている。松本のところには猫が全然寄ってこない。仲間を殺した女だと思われているのだろうか。あれはノラ猫じゃないか。お前たちの仲間じゃない、と、空しくねこじゃらしを一人で振る。

 

 一方でみおの元へは、たくさんの猫がにゃあにゃあ言いながら寄って行った。体にマタタビでもつけているのか、と疑いたくなる。猫じゃらしには目もくれず、みおの膝に、我先にと猫たちが乗っていく。

 

 「いいなあ、みおのほうばっかり」

 

 「さらは猫ちゃんに嫌われてるね」

 

 ストレートに言われると傷つく。

 

 たまに猫が目の前を素通りしていくので、そのタイミングを狙って背中を撫でるのだが、まるで無視だ。触られた事実などないかのように、涼し気な顔でスルーされる。

 

 「そろそろ帰ろうか」

 

 猫とじゃれているみおに声をかけると、「嫌!」といつもの駄々っ子が発動する。

 

 「もう、わがまま言わない。ここ二時間制なんだから」

 

 みおの腕を掴んで立たせた瞬間、彼女の顎先が割れた。下方向に、ぱっくりと割れた。

 

 「え」

 

 そしてワニのような大きな口で、抱いていた看板ネコの頭をがぶり。

 

 もうそこには愛らしい看板ネコの姿は無かった。

 

 

 悪魔。

 

 あの時見た森山と同じだ。

 

 松本は確信した。みおは久世と父親の子じゃない。久世と森山の子だ。

 

 食事会の日、森山は久世を食らった。体内に取り込んだ。

 

 あれで久世は死んだかと思ったが、違ったのだ。

 

 悪魔の中で、久世と森山は合体した。一緒になった。交配したのだ。

 

 そうして新たな命が生み落とされた。

 

 それがみおだ。

 

 お母さん、と久世を呼んでいた意味が今分かった。あれは嘘でも妄想でもない。久世はみおの母親だ。

 

 悪魔と人間の間に生まれた子。それがみお。

 

 みおは他の猫も次々に食っていった。猫カフェの店員も食われた。頭からがぶりと食いちぎられた店員もいれば、下半身だけ無くした店員もいる。

 

 悪魔をこの世界から追放するには、生贄しかない。食事会で岩井を生贄として捧げたシーンが脳裏に蘇る。

 

 誰か、誰か生贄を。

 

 店内を見回したが、生きている人間は一人もいなかった。見事に全員、食らいつくされていた。

 松本は足元にふわりとした感触を覚えた。みおの攻撃から生き残った最後の一匹の猫が、恐怖に震えながら松本にすり寄っている。さっきは愛想がなかったくせに、都合のいい猫だ。

 

 松本は猫の頭を撫でて、そして掴んだ。力いっぱい掴んだ。

 

 ふぎゃあ、と猫が悲鳴を上げる。

 

 釘は持っていない。だが刺さればなんでもいい。

 

 店員の死体のエプロンから、ボールペンを抜き出した。赤に黒、青と三色ある。あと一本足りない。

 

 そこで松本は、ジーンズの尻ポケットにペンが一本入っているのを思い出した。

 

 先日みおが学校でもらったというボールペンを、一本くれたのだ。ジーンズはあまり洗濯しないので、その時に尻ポケットに突っ込んだまま、今日までずっと履いていた。

 

 四本のボールペンを、猫の四肢に刺す。生贄の完成だ。

 

 このレベル生贄で満足してくれるのか分からない。

 

 松本は恐怖で目を閉じ、数秒待った。なにも音がしない。

 

 薄く目を開けると、猫は死んでいた。

 

 生贄ではなくなっていた。

 

 顔を上げると、みおが大口を開けていた。



第一部 完

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