表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/20

心当たりのない招待状

 

 「ふう、一仕事終わった後の一服は格別に美味いね。600円で出来る最大の娯楽ってやつだよ。あっ、でもまた値上がりするんだろうな。一箱700円。いや、800円になったら辞める。うん、絶対にそうする」

 

 松本は殺害現場であるコンビニ前の喫煙所でタバコを吸う。たばこ税が近々また上がるとか上がらないとかニュースで見たが、何円になろうがどうせ禁煙はしないだろう。殺しの後に接種するニコチンとは、どうしてこうも美味なのだろうか。全てのストレスや疲れが吹き飛ばされる、まるで魔法のアイテムだ。 

 

 大澤の遺体は、契約している専門の回収業者に処理を任せている。彼らの仕事は迅速かつ丁寧で、店員が一人殺された形跡などまるで無かったかのように、全てを綺麗さっぱり消してくれる。その分契約金額も高いのだが、依頼主から支払われる報酬にはその分の代金も含まれているので、松本の財布にダメージはない。

 

 野良猫を殺した際に飛び散った血しぶきや、なにかどろっとした液体もついでに掃除してもらった。

 

 タバコはいつも、短くなるまでちまちまと吸うようにしている。けち臭いと言われても構わない。一箱600円、1本あたりが30円と計算すると、まだ半分残っているのにもみ消すような贅沢な吸い方は出来ないものだ。

 

 別に金がないわけではない。

 

 松本の本職は殺し屋であるが、副業として会社勤めをしている。稼働時間でいえば、一日8時間を会社員として働いていると考えると、むしろ殺し屋が副業の気もするが。

 

 大澤の殺害を依頼してきたのは、東大阪にある町工場の社長だ。

 

 社長には大学生になる娘がおり、その子は大澤と一時期交際していたらしい。しかし大澤は娘から金をせびり、その金は酒やギャンブルに消えていった。娘が居酒屋のバイトで稼いだバイト代を、当たり前のような顔で搾取していく大澤。そんな日々が4ヶ月ほど続いたある日、ついに娘の貯金が底を尽きた。

 

 もう金はないという娘に対して、大澤は殴る蹴るの暴力を振るった。まるで打ち出の小槌を振るえば小判が出てくるとでもいうように、大澤は拳を娘に振るい続けた。

 

 隣人の通報を受けて警察が到着したころには、娘は頭から血を流して意識不明の状態だった。かろうじて一命はとりとめたものの、脳に障害が残ってしまい、精神的ショックのせいで、普通の生活に戻れなくなったと言う。

 

 事件から1年が経った今、本来であれば就活の時期を迎える頃であるが、娘はリクルートスーツに腕を通すことも、履歴書の作成すらも出来ないほど、自分の殻に閉じこもっている。

 

 社長が父親として激しい怒りを覚えるのは当然であり、それは怒りなんてものではなく、憎悪、いや大澤への殺意へと変わっていった。

 

 しかし社長という立場上、自らの手で制裁を加えて逮捕されてしまえば、会社がつぶれることにもなりかねない。社員の生活を守る責任もあるので、どれだけ憎くても自分の手を汚すわけにはいかない。

 

 そこで知り合いの伝手をたどり、松本という殺し屋にたどり着いたわけだ。

 

 東大阪は治安がいいほうではない。殺し屋を過去に利用した顧客の数も決して少なくないし、裏の世界に通じている人間の数も、他のエリアに比べて多い。

 

 松本は依頼を基本的には断らないスタンスだ。もちろん金額などの条件は譲らないが、依頼人は殺害対象へ強い憎悪を抱いているので、抹殺できるのであれば金に糸目はつけないことがほとんどだ。実際、こちらが提示した金額について依頼人と揉めた経験は一度もない。むしろ羽振りのいい客が多く、チップとして1000万程度を弾んでくれることもあるので、とても稼ぎやすい商売だ。

  だから松本は金に困っていない。むしろ会社員の同僚は年収300万から400万、管理職でも600万ちょっとという給与水準から考えると、かなり高給取りだ。あんなに毎日必死に働いてその程度の給与しかもらえないのは割に合わないと松本は考える。みんな殺し屋やって稼げばいいのに。

 

 松本が昼間は会社員として働いているのは、社会的信用を得るためだけの理由だ。殺し屋になりたての頃はこれ一本で食べていこうとしていたが、賃貸契約の際に審査が通らなかったのだ。まさか職業欄に殺し屋と書くわけにもいかず、最初は個人事業主として申請したが、どこの物件のオーナーからも却下されてしまった。

 

 正社員でないと安定的な給与がない、というのは古い考えだ。フルタイムで勤務している正社員の何倍も稼いでいる個人事業主だっているというのに。

 

 そんなわけで松本は、ネットで見つけた適当な会社の求人に応募した。事務職として採用され、今は上司から言われるままに資料の作成や事務処理を任されている。正直言って仕事内容は楽だ。楽過ぎてやりがいがない。

 

 松本にとっての楽しみは、夜の仕事だ。

 

 一度、同僚にこう聞かれたことがある。「松本さんって、仕事終わったあとはなにしてるの?」

 

 そこで松本は答えた。「夜のお仕事です」

 

 言葉選びを間違えたと気づいたのは、翌週のことだった。

 

 自分が風俗店で働いているという、根も葉もない噂が社内で広まり始めたのだ。いや、葉くらいは自分が撒いたかもしれないが、夜の仕事と聞いた風俗と結びつけるのは、いささか思考が単純すぎる。

 

 だがまさか、風俗ではなく殺し屋ですと訂正するわけにもいかず、それから松本は風俗嬢の事務職員ということで社会では通っている。男性社員の自分を見る目が卑しくなったのも、ちょうどそのころからだ。

 

 

 3本目のタバコを吸い終わった頃、現場の清掃作業も終わった。店内に店員がいないことを覗けば、すべてが殺人前に逆戻り。大澤がのたうち回った際に散らかしたバックヤードの小物たちも、綺麗にもとあった場所に戻されている。

 

 お疲れ様です、と業者に挨拶をして、松本は家に帰った。

 

 社会的信用を得たおかげで契約することのできたアパートは、築5年の1LDK。駅からのアクセスの良さや、近所に大きなスーパーがあることが決め手だった。オートロックもついており、セキュリティも万全。職業柄、寝ている間にこちらも命を狙われることがあるので、気休め程度かもしれないが、オートロックは嬉しかった。

 

 ロビーに設置されているポストを確認する。どうせ興味のない広告や、地元の情報誌みたいなものしか入ってないだろうが、しばらくチェックしていないだけでポストはすぐに満杯になってしまう。既に1週間確認を怠っていたので、結構な量が貯まっている。

 

 「チラシの投函はお断りって張り紙、だしとこうかな。どうせ読まずに捨てられるんだから、紙資源の無駄だよまったく。ペーパーレスの時代だっていうのにさあ」

 

 深夜の誰もいないロビーで、ぶつぶつとつぶやきながらポストの中身を両手に抱えて部屋に戻った。

 

 もしかしたら必要なものが混ざっているかもしれないので、それらを一応テーブルの上に置き、捨てていいものとそうでないものにより分けていく。

 

 「これはいらない。これもいらない。ああ、ピザ屋のチラシかあ。こういうの見ると、久々にピザ頼みたくなるなあ」

 

 次々にゴミ箱へ広告類を突っ込んでいき、最後の一枚を手に取った。

 

 「なにこれ、手紙?」

 

 手触りのザラザラした便せん。差出人は『久世詩織』と書いてある。

 

 その名前に心当たりはなかった。間違いで送られてきたのだろうかとも思ったが、宛先は確かに松本の住所になっており、宛名も松本 沙良様とある。

 

 手紙の中身は食事会への招待状だった。

 

 日時と場所以外は、何も書かれていない。参加か不参加に〇をつけるところもない。

 

 手紙に記された住所をネットで検索して、松本は驚いた。

 

 「うわ、めちゃくちゃ豪邸じゃん。こんなのドラマでしか見たことないんだけど。食事会ってまさかここで?なんで私が招待されてんのか分かんない」

 

 パソコン画面に表示されたのは、まるで西洋の貴族が住んでいるような瀟洒な屋敷だった。まず年収1000万程度では手に入らない物件だ。いや、一億でも無理だろう。よほどの資産家か財閥の生き残りか。はたまた裏家業などの危ない仕事で稼いでいるタイプか。

 

 殺し屋という職業上、人の恨みを買うことも多い。もしやこれは罠ではないかと勘繰ったが、罠にしてはあまりにお粗末だ。松本をおびき寄せたいなら、もう少しましな手を使うだろう。豪邸での食事会に誘われてホイホイついていくわけがない。松本は別にグルメでもないし、高級な肉よりも牛丼チェーンのペラペラの肉のほうが舌に合っている。

 

 行くべきか、無視すべきか、松本は悩んだ。

 

 11月15日。招待状に書かれていた日付になった。

 

 松本はどこにいるのかというと…。

 

 「お待ちしておりました。松本様」

 

 黒髪を後ろに撫でつけた若い執事に導かれ、屋敷へと案内された。

 

 久世詩織からの招待状を握ったまま、自分の住むアパート10個分はありそうな屋敷の中へ、足を踏み入れた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ