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生贄は誰が?


 注射器の中身はみるみる減っていった。透明の毒薬が、森山の血管に確かに注入されていく。

 

 「なにを…」

 

 言いかけて森山の膝が、ガクリと崩れた。

  

 「効いてますよ!悪魔にだって毒は有効なんだ!こりゃ世紀の大発見ですな!」 

 

 空になった注射器を高らかに掲げ、岩井は小躍りする。

 

 森山の額に青筋が浮かんだ。玉のような汗が噴き出す。

 

 「とっととずらかりましょう。これは即効性の毒ですが、もしかしたらすぐに回復されてしまうかもしれない。なんせ相手は悪魔ですからな。一瞬で免疫をつけるって可能性も否定できません」

 

 「森山、ごめんなさい。ごめんなさい」

 

 床にくずおれた森山を覗き込み、久世が涙を流しながらそう口にした。

 

 毒の回りは相当に速いらしく、森山はせき込んで体を折っている。

 

 逃げるなら今しかない。

 

 「逃げますよ、久世さん!」

 

 松本は久世の腕を引っ張る。

 

 うん、と小さく返事した久世は、子供みたいにしゃくりあげている。悪魔を屋敷から追放するためとはいえ、幼少期から連れ添った執事が死ぬのを、その目で見届けるのは残酷なことだ。

 

 「さようなら、森山。生まれ変わったら、今度は人間として生きてね」 

 

 久世はのたうち回る森山の頭にそっと手を置いた。

 

 それが過ちだった。

 

 森山の顎が下方向に割れて、ワニのように大きな口が開いた。

 

 「え…」

 

 久世の手首は、一瞬にして森山の口の中に収まった。食いちぎられたのだ。

 

 白磁のような久世の肌から、対照的に真っ赤な血が噴き出す。

 

 「ああああああああぁ!」

 

 久世の絶叫が地下室に響いた。

 

 「久世さん!」

 

 久世を助けようと駆け寄る松本の肩を、岩井が掴んだ。

 

 「あれと戦うつもりですか⁉どう見ても化け物ですよ!主人を食うなんて、もう手がつけられない!逃げるしかないんですよ!」

 

 数秒後、久世の絶叫が止まった。

 

 痛みが引いたのではない。頭ごと食われたのだ。

 

 誰もが目を奪われる美しい顔は、悪魔の腹の中に収まった。

 

 

 松本と岩井は必死に階段を駆け上がった。どうせ上に戻ったところで扉は動かないので逃げようがないのだが、あのまま地下室にいては久世と同じ運命を辿るだけだ。

 

 食事会の最初に案内された食堂へとひとまず戻り、席に腰を落ち着ける。体力には自信がある岩井でさえも、さすがに息が上がっていた。

 

 「ついに僕たち二人だけになりましたな」

 

 「岩井さんがいうと、なんだか嫌らしく聞こえます」

 

 「本当なら若い女の子と二人きりなんて最高のシチュエーションなんですが、残念なことに、この屋敷にはまだやつがおります」

 

 「あの悪魔、久世さんを食べるだなんて」

 

 「さっきの感動的な抱擁は一体なんだったんですかね。ドラマからいい感じの音楽が流れるタイミングでしたよ」

 

 「ぶち壊したのは岩井さんじゃないですか」

 

 「指示したのは久世さんです」

 

 「まあ毒は効いてたみたいですけども…」

 

 「いやあれ効いてるっていうんしょうか。久世さんを食べたときは随分と元気そうでしたが」

 

 「もしかして岩井さんの言う通り、すぐに回復したパターンじゃ?」 

 

 「だったらもう手の打ちようはありません。終わりです終わり。あと少しで年金もらえたのに、これまで収めてきた年金保険料がパーですよ。こんなことなら払わなければ良かった」

 

 自分が定年退職する頃には、年金の受給年齢がさらに引上げられているのではないか、と松本は考える。そもそも年金制度自体が崩壊しているかも。いや、それまで残り三十年と少し、生きているかも分からない。というか今日、このあとすぐ死ぬかもしれない。

 

 カツカツ。またあの足音だ。

 

 「来ましたな」

 

 「来ましたね」

 

 「どうするんです」

 

 「もう逃げ場もないですよ」

 

 「黒魔術でなんとかは…、ああ、ならないんでしたね」 

 

 「残念ですが」

 

 食堂の扉が開いた。そこにいたのは、森山であって森山では無かった。

 毒のせいか、眼球が片方抜け落ちている。整髪料できっちりと撫でつけていた頭髪は禿げあがり、ほとんどスキンヘッドだ。加齢による抜け毛への最後の抵抗を見せる六十代男性のように、わずかな髪の毛だけが残っている。

 

 その手には、久世の片足が握られていた。あれだけ無残に食い殺しておきながら、忠誠心の残滓でもあるのだろうか。最後まで久世が脱がなかったヒールが、その足にはまだ履かされていた。

 

 「辞世の句でも詠みますか」

 

 「五七五でしたっけ」 

 

 「辞世の句っていえば大抵は五七五七七でしょうよ。知らないんですか松本さん。秀吉やら石川五右衛門やらの辞世の句を」

 

 「知りません。俳句のほうが簡単じゃないですか」 

 

 「これだから最近の若い人は。僕の高校の生徒もまったく学がなくて困る」

 

 森山が一歩。また一歩と近づいてくる。

 

 死を覚悟して目を閉じた松本の脳裏に、昔読んだ黒魔術の書物が蘇ってきた。

 

 「あ、生贄捧げればなんとかなるかも」

 

 「はい?」

 

 「悪魔を召喚しちゃったら基本的にもう終わりなんですけど、人間一人を生贄に捧げれば、倒すことは出来なくてもあちらの世界に送り返すことは可能だと、本で読みました」

 

 「そうですか。ならば松本さんに犠牲になってもらうしかありませんな」

 

 岩井が松本に飛び掛かり、首を締め上げようとする。

 

 松本はドレスの裾をめくり、足に巻きつけてあったホルダーから銃を抜き、岩井の脇腹に銃口を押しあてた。

 

 「急所は外しますから、一発で死なないで下さいね」 

 

 引き金を引く。岩井の脇腹から、あまり綺麗とは言えない色の血液が流れ出した。

 

 


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