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毒薬で悪魔は殺せるのか

 

 地下室へと続く階段は埃に塗れていた。相当長い年月の間、使われていなかったのだろう。クモの巣があちこちに張り巡らされており、地下室の扉にたどり着くまでに何度も顔に不快な感触があった。クモの食べ残しのコバエが口に入ってきて、松本はぺっ、と地面に唾を吐く。

 

 「ここが地下室ですか。すごい匂いがしますな」

 

 「使わなくなった物は全部ここに詰め込んでますから、よく分からない薬品とかも混じってるみたいです。私もどこに何があるかまでは把握してません」

 

 もう慌てて逃げる必要はないのだが、自分の足で歩くよりも楽な移動手段を覚えた久世は、岩井の背中から降りようとしない。

 

 「それで外への抜け道っていうのはどこのことですか?」

 

 松本が積まれた段ボールをよけながら、それらしき場所を探す。

 

 「確かその奥です。そうそう、そこの木の扉があるでしょう。鍵はかかっていないはず」

 

 久世の言う通り、扉は軽く押しただけで開いた。抜け穴は天井が低く、姿勢を低くしないと通れないサイズだ。

 

 「とっとと逃げましょう。いつ森山さんに感づかれるかも分かりませんからな」 

 

 さすがにおんぶした状態では通れないので、岩井は久世を地面に降ろした。

 

 先頭が岩井、間に久世、後ろが松本の順番で抜け穴を通ることにした。

 

 岩井が一歩踏み出した瞬間だった。

 

 カツカツ、という足音が近づいてきた。あの埃っぽい階段を降りてくる人物がいる。

 

 「まずい、もう気付かれた!」


 久世は慌てふためき、早く行けと先頭の岩井の背中を押す。

 

 「そう急かさんで下さいよ。この歳になると、走るよりも中腰の姿勢で動くほうがきついんですから」

 

 四つん這いのほうが早く移動できると判断し、三人は間抜けなムカデ競争のような体勢で外を目指して進んでいく。

 

 外界と地下道を隔てているのは、金属製の上げ蓋だった。外部から屋敷への侵入を防ぐために、あえて分かりにくくカモフラージュしているのだろう。

 

 「よいしょっと。あれ、動きませんが」

 

 「そんなわけないでしょ。もっと力いれてくださいよ」

 

 久世はもう口だけで何もしない厄介者と化していた。

 

 「いやこれ重たいですよ。もしかしてまたロックされたんじゃないですか?」

 

 「そもそも鍵なんてついてませんから、ロックのしようもないはずなんです」

 

 「じゃあ経年劣化で錆びついて、動かなくなってるとか」

 

 松本が後方からそう言うと、久世がゆっくりと顔だけ振り向いた。

 

 「そんな事ってあるんですか」

 

 「金属って錆びついたら、まあ、そうなることもありますよ」

 

 

 足音が先ほどよりも大きくなった。まもなく森山が地下室に到達するはずだ。

 

 「いったん戻りましょう!ここでもたもたしてて追いつめられたら、袋のネズミですよ」

 

 岩井の合図で、四つん這いの姿勢のまま三人は後退した。

 

 幸いにして、地下室にはまだ森山は到着していなかった。

 

 とりあえず扉の前に木の箱やら段ボールやらを置いて、バリケードを作る。

 

 「さあて、どうしたもんですかな」

 

 「岩井さん、なんとかしてください!」

 

 久世が岩井の胸倉を掴んで揺さぶる。

 

 「なんとかって言われましても…」

 

 「あなた教授の経験もおありでしょ?その頭脳を使ってなにか出来ないんですか!」

 

 「勉学で悪魔は倒せませんよ。世の中そんな甘くはない」 

 

 「ていうかあなた殺し屋でしょ。どうやって普段殺してるんですか!」

 

 「やり方は色々ですな。例えば毒殺だったり」 

 

 「毒殺?」 

 

 「毒って案外簡単に作れるもんですよ。人体は皆さんが考えるよりも脆い。ちょいと細胞どもを混乱させてやれば、一気に瓦解してコロリと逝きますよ」

 

 松本は背後にある段ボールから漂う異臭に鼻を摘まんだ。

 

 「なんかこの箱の中からえぐい臭いがするんですけど、これ使って毒薬とか作れません?」

 

 岩井が段ボールの中身を検める。

 

 「ふーむ、いいものを見つけましたな。悪魔にきく毒薬があるかは知りませんが、試してみる価値はありそうです」

 

 

 かくして岩井特製の毒薬が完成した。

 

 毒といえば紫だったり緑のイメージだったが、出来上がったそれは透明だった。

 

 岩井は持参していた注射器を、毒薬で満たす。

 

 「こいつを首筋にブスリとやれば、普通の人間ならイチコロです」

 

 問題はどうやって森山に注射するかだ。人狼でさえ容易く返り討ちにしてしまう森山の動きを、どう封じればいいのだ。

 

 「それなら私に任せてください」

 

 役立たずと化していた久世が、久々に威厳に満ちた顔に戻った。

 

 森山が地下室の扉を開けて、中に入ってきた。松本と岩井は森山の背後を取れるように、段ボールの山に身を隠している。

 

 「お嬢様、ここにいらしたのですね」

 

 「地下室には入っちゃダメって言ったのに。まあいいわ。それより森山、あなたどうして…」

 

 久世は一拍置いてから言った。

 

 「どうして、悪魔に魂を売り渡してしまったの?」

 

 森山は主人からの問いに適切な答えを探そうと、顎に手を当ててしばらく黙り込んだ。

 

 「簡単な話です。お嬢様に害をなす全ての獣どもから、お守りするためですよ。もうあんな悲劇を二度と繰り返さないために」

 

 悲劇というのは、父に性的暴行を加えられそうになった時のことだろう。

 

 やはり森山は、久世への忠誠心のために人間ではない存在になることを自ら選んだのだ。久世を守るためには、並大抵の人間の力では不十分。どんな危険が彼女の身に迫るのか分かったものではない。北村のような優秀なSPを何人雇おうとも、プロの殺し屋相手では歯が立たない。

 

 久世が偶然見てしまったと言う、インドネシアの悪魔召喚の儀式を記した本。森山はその非現実的な力に頼るしかないほど、追い詰められていたのだろう。

 

 そうして誕生したのが、この悪魔なわけだ。

 

 「森山、もういいの。私、あなたに守ってもらわなくても大丈夫。だってもう大人よ。自分の身くらい自分で守れるわ」

 

 久世は森山に駆け寄り、ボロボロになった燕尾服を纏うその体を抱いた。

 

 「お嬢様…」

 

 森山は久世の細い体を抱き返す。その手つきは、歴史的価値のある芸術品に触れるみたく、恐る恐るといったふうに震えている。まるで触れれば壊してしまう、とでも思っているように。

 

 主人と執事の感動の抱擁は、約十秒続いた。

 

 そして久世の一言で、感動ムードはぶち壊された。

 

 「今だ!」

 

 それを合図に岩井が段ボールの陰から飛び出し、森山の首筋に注射器を突き刺した。

 

 

 


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