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執事としての務め

 

 父に初めて過激な暴力を振るわれた日から、三年の月日が流れた。中学生になり、第二次性徴を迎えた久世は、元より人並み外れた容姿にさらに磨きがかかっていた。ますます母親に似てきた、と父は言う。その言葉は、腹を殴られた日以前であれば嬉しかっただろう。

 

 久世自身も、生前の母の姿を美しいと感じていた。殺害された時は既に三十歳を超えていたが、世の同年代の女性が本格的にアンチエイジングに躍起になるころ、母は少女のような若々しさを保っていた。年の離れた姉と言われて勘違いしてもおかしくない。

 

 そんな母に似ていると言われて嬉しくないはずはないが、あの日父は久世の前で、故人となった母を罵った。久世の頭の出来が悪いのは、母親譲りだと、そう言ったのだ。

 

 結局父が気に入っていたのは、母の容姿だけ。所詮はアクセサリー程度としか思っておらず、中身まで愛してはいなかったのだと、あの時はっきりと分かった。

 

 「行ってらっしゃいませ、お嬢様。お気を付けて」

 

 森山は毎日学校まで送り迎えをしてくれた。学校の廊下を歩いているだけで、自身に注目が集まることにも、もう慣れていた。小中高一貫のお嬢様学校なので男子生徒はいないが、もし共学であれば、さぞかし久世は引く手あまただっただろう。同姓でさえも気軽に近づきがたい、そんなオーラを纏っていた。

 

 女子校といえど、教師陣には男性もいる。彼らのうちの多くが、久世を性的な目で見ていることには気がついていた。久世と話すとき、目線を胸元から外さない体育教師や、やたらと軽々しくボディタッチをしてくる古典教師など、中学生相手に欲情する変態で溢れていた。教師が聖職と言われていたのは遠い昔の話で、むしろ教師による性犯罪のニュースはここ数年で急激に増えている。自分もその餌食にならないよう、久世は男性教師から適度な距離を取る術を自然に身に着けていた。

 

 学校が終わると、森山が正門に車を着けて待っている。後部座席に乗り込み、革張りのシートに体を横たえる。家までは二十分程度だが、車窓からの景色はもう見飽きたし、森山に学校での愚痴を聞かせるのも気の毒だ。だから久世は、帰路につく間はいつも目を閉じて、浅い眠りにつくことにしていた。

 

 

 悪夢は再びやってきた。

 

 まるで三年前のあの日の再現のように、勉強机に向かっていた久世のところへ、いきなり父が怒鳴りこんできたのだ。激怒の理由もあの時と同じ、学業成績についてだ。

 

 中学に入ってからの久世の成績は、常に学年三位をキープしていた。偏差値の高い学校なのでこれでも十分にすごいほうなのだが、いかんせん上位二人の学力が桁違いすぎた。全ての教科において満点に近い数字を叩き出しており、教師が意地悪で作った、教科書には載っていないような奇をてらった難問も、二人は見事に正答していた。久世は教科書の内容を丸暗記する努力はしたが、応用問題に対応する能力が欠けていた。そこで二人との差が付き、毎度三位という順位に落ち着いていた。

 

 父はそれが許せなかったらしい。また殴られる。

 

 抵抗の意思は無かった。目を閉じて、嵐が過ぎるのを待とう。

 

 右の頬に平手打ち、ついで左にも一撃。あの日よりも三歳歳を取っているはずなのに、父の力は強くなっている気がした。先月に生え変わったばかりの歯が、ぐらりと揺れた。永久歯だったのに、とぼんやりとした頭で考える。

 

 「どうして、どうしてお前はそうなんだ!久世家の恥さらしめ!」

 

 手だけでなく、今度は足も出た。父のつま先が鳩尾に食い込む。あの時のように胃の内容物が逆流こそしなかったが、口から酸っぱい胃液のようなものが漏れた。体を九の字に折ってうずくまる久世の頭を掴み、壁に叩きつける。全身から力が抜け、久世は仰向けに倒れた。壁にぶつけた衝撃で軽い脳震盪を起こし、後頭部からは血が出ている。

 

 いつ終わるんだろう。父はいつ満足してくれるんだろう。

 

 手首を踏みつけられたが、意識が朦朧としており、痛みをあまり感じない。ただ骨の砕けるくらいの強い力が加わっていることは、なんとなく頭の片隅で理解できた。

 

 意識が戻れば激痛に襲われるだろうが、痛みは我慢していればそのうち引いていく。今は父が去るのを待つしかない。

 

 十分が経った。まだ父はそこにいる。

 

 二十分が経った。まだ父はそこにいる。

 

 不意に足元が冷たくなった。地肌が床に触れている。

 

 倒れた状態で父を見上げると、その手には久世のナイトウェアのパンツが握られていた。顎を引いて自分の下半身を見ると、そこにあったのは下着の一枚だけ。父に脱がされたのだと頭がようやく理解した。

 

 生前の母に似てきた、という父の言葉が思い出された。父が好きだったのは、母の中身ではなく見た目だ。その母に似てきたということは、父は今、久世を娘ではなく、性欲のはけ口として見ていると考えて間違いないだろう。

 

 男としての本能が抑えきれないのを裏付けるように、父の目は獣のそれになっていた。肩で激しく息をして、久世に覆いかぶさる。

 

 こうやって母のことも虐待していたのだろうか。久世の知らないところで、家庭内暴力が行われていたのだろうか。

 

 父が自らもチノパンを脱ぎ、トランクス姿になる。父のそれは屹立しており、五十代の精力とは思えない角度でそり立っていた。精力剤でも服用したのだろうか。そうでないなら、よほど背徳的な興奮を覚えているのだろう。

 

 部屋の天井を見つめていた久世の視界が、醜い男に覆われた。

 

 女として自分は殺される。母のように命を奪われなくても、これはある意味での死だ。

 

 すべてを諦めて全身から力を抜き、父に足を開かされたその時。

 

 久世の顔に何かの液体が飛び散った。父の口から垂れた唾液かと思ったが、違う。

 

 それは真っ赤で、妙に粘り気のある、血だった。

 

 父の胸の間から、刀身の長い刺身包丁が突き出ている。

 

 「ぐぼっ!」父の口から血が噴き出し、久世の顔にスプレーのようにかかった。

 

 父の体が崩れ去り、久世にかぶさる様にして倒れた。

 

 「森山…、あなたがやったの?」

 

 デスクライトに照らされた森山が、刀身が真っ赤に染まった包丁を持って震えていた。



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