五
何年ぶりだろうか、こんなに胸が躍るのは……テツは座り薄い縄を手に持ちヘクターは数回素振りをし木刀を体にに染み込ませていく、ベルカの英雄とどこぞの馬の骨とわからないおっさん。
ルーファスは見ているだけで口元が緩みテツに期待してしまう、部下達は呆れた様子で見守っている、誰もが馬鹿らしいと思い勝負の結果なんて見るまでもないと。
「お~テツがきたな」
口元に肉汁をつけ骨つきの油たっぷりの肉にかぶりつきながらニノが現れるとルーファスは楽しげだった顔を冷ましてしまう、突然訪問してきて食事をさせろと言い女性一人では到底食べきれない量を食い荒らしたからだ。
「ニノ、食糧代は高くつきますよ」
「そんなケチ臭い事いってるからいつまでも魔王に好き勝手されてるんだぞ、それよりどうだテツは」
「まだ見てないから何とも……まぁでも誓ってもいい、テツ君は負けるでしょう」
ニノから得た情報は拳で戦う戦法、確かにこの世界ではない戦い方だがそんな小手先の技術ではヘクターに勝てるなどルーファスは微塵も思わない、別にテツを小さく見てるわけではない。
王国ベルカで英雄とまで言れるまで登りつめたヘクターが負ける姿は想像すらできない、そんな自身満々のルーファスの顔を見るなりニノは鼻息を荒くし得意気に一言だけ言う。
「テツはハンクとやりあって生き残ったんだぞ」
「……あのハンクとですか」
薄い縄を両拳に巻く作業をしていると隣に置いていたパンドラがカタカタと震え勝手に左右に飛び回る、言いたい事はわかりテツは無視しているが自分を最強と名乗る少し頭の弱いパンドラは言いたい事を口に出す。
「人間、私の力を使うならまだしも何で素手の勝負に持ち込んだ、前々から馬鹿だと思っていたが救いようのない馬鹿だな」
「うううるせぇな!! お前に馬鹿と言われると無性に腹が立つんだよ!!」
「策はあるのか? お前とあいつとじゃ力の差が開きすぎている、お前は私の力が無ければちっぽけな羽虫同然なのを忘れないでちょうだい」
テツだって男の子である、ここまで言われたらやってやろうと思い勢いよく立ち上がり縄で武装した拳を合わせヘクターに近づいていく、一歩近づくにつれなぜヘクターが英雄と呼ばれているのかわかる。
視線を受けるだけで足がすくみ膝が笑ってしまいそうになる、野生の虎が目の前で獲物を前に涎を垂らしてるかのように見え恐怖を抑えテツは構えていく。
「準備はいいのか? なら始めても構わないな」
「どう――ぞ!! うぉおぅ」
テツが答えると同時に突進していき上からの一振りが繰り出されるが何とか回避、床の大理石は砕け散りまともに食らったら骨の一本は覚悟しないと思い汗が冷たくなる。
大振りの攻撃を前髪をかすらせるように避けたテツの行動に驚きヘクターが目でテツを追った瞬間に顔が左右に跳ね上がる、何をされたのかわからないが木刀を横殴りに振り抜き距離を離す。
「目がいいんだなあんた、片目でよく追えるよ」
顔が焼けるように熱くたった二発もらっただけで腫れてる事に気づき驚く、ニノから聞いていたとはいえ実際戦うまで馬鹿にしてた所があったが、いざ戦うと姿すら追えないとは。
距離を離し軽く飛びながら様子を見てくるテツに対し再びの突進、大きく上に振り上げ一撃の元に粉砕するヘクターが最強たる構えの一つ。
「遅い!!」
木刀を振り下ろす頃には目の前にいたテツは消えて数秒後には腹部に激痛が走る、木刀には近すぎる間合いに入り込まれヘクターはサンドバックのように何発も打ち抜かれていく。
苦し紛れの一振りをすると再度テツは距離を離し表情一つ変えずに軽快にステップを刻んでいく。
{まいったね}
有利に戦いを進められてるテツは心の中で焦っていた、ヘクターはテツより頭二つに抜けて大きい、しかもテツには一撃で倒せるほどのパンチはなく一発づつ刻んでいくタイプだ。
体格差に自身のパンチの軽さ……しかも相手はベルカ一の使い手ともなると長期戦になれば勝機は薄れていく、こちらの動きに目が慣れていく前に勝負をつけないと痛い目をみてしまう。
【相手の弱点を攻めるのは卑怯じゃない】ふとジムのトレーナーの言葉を思い出す。
「グゥ、中々面白い曲芸だな」
「そうだろ? ならもっと曲芸を楽しませてやろう」
テツはヘクターの塞がってる片目の方向に飛んでいく、当然ヘクターは目で追うが視界半分塞がっている状態では限界がある……初めてこんな戦法をとる男と出会い苛立ちが増していくと。
見えない片目の暗闇から衝撃が伝わり気づけば後退していた、見ていた部下達からもドッと驚きの声が上がり座っていたルーファスを思わず立ち上がってしまう。
「テツよもっと自信を持て、お前はベルカの英雄の顔を好き勝手殴り後退させたんだぞ」
腕を組みニノが誇らしげに呟くとそれが背中を押すようにテツは体を左右に振りながら一気にいく、的を絞らさせずに容赦なく英雄の顔面を殴りまくる光景を一番驚いていたのはヘクター自身だった。