三
テツは33歳で九九も出来ず漢字なんて自分の字以外ほとんど書けない、何も最初からこうではなかった……子供の頃父親に勉強を強制され涙を流しながら勉強した、小4の時に親は離婚し父親がいなくなると勉強から解放され一切勉強をしなくなってしまう。
義務教育の中学までは勉強などしなくても学年は勝手に上がり卒業出来る、しかし高校からは別――小学生クラスの算数が出来ないテツが高校の授業など理解できるはずがない、元々レベルが低い高校だったが即座に留年、しかし年が明けた頃に担任に呼び出され母親の前で「これ以上は本人がやる気がないので」と事実上の退学。
無職になり何か働かないと思い居酒屋のバイトを始めると、仕事が覚えられない、やる気はあるのに同じミスを連発しだんだんと職場でもいづらくなり結局はクビ……次の寿司屋も同じ理由でクビ、この時からだろうか働くのが怖いと思い始めたのは。
ある日近所にあったボクシングジムが目につき隠れて中を覗くとそこはテツが知らない別世界だった、ただ見てるだけで強くなれる気がする、1週間が経過するとジムトレーナーらしき老人に声をかけられテツは照れながら話を聞いて家に帰ると母親に頼みこむ。
母親は仕事もすぐクビになって落ちこぼれていく息子が言いだした事を真剣に聞き金を出すといった、翌日からテツはジムに通い練習に打ち込む、練習は苦にはならずむしろ楽しかった、生まれて何一つ上手くいかなかった自分がちゃんと出来てると実感し毎日ボクシングに打ち込んだ。
皮肉にも無職であるおかげで練習時間は人の何倍もあり1年半でプロ試験にまで腕を上げていく、試験はあまりにもあっけなく合格してしまいテツはプロデビュー戦が決まる。
「ハァハァ……ハァ」
初めてのプロのリングに観客の声援にテツは緊張で固くなり焦ってついつい出した大ぶりなフックにカウンターを合わせられ1R1分20秒のKO負け――それから何試合もしたがテツの成績は平凡、勝っては負けて大事な試合に限って派手に負けてしまう、気づけば25といい歳になりトレーナーから肩を叩かれ引退という言葉を宣言されてしまう。
ボクシング以外に取り柄などなくその唯一の取り柄すら才能がなかったらしく無くなる、何も無くなった頃に求人雑誌を立ち読みしていると交通誘導という文字に目がつく。
立っているだけで金になる、魅力的な仕事だと勘違いし即座に電話し2日後には現場に立っていた、しかしそこで思っているほど甘くない現実に直面してしまう、しかし学も無ければ取り柄もなしな自分にはこれくらしか出来ないと思い人生で初めての我慢をした。
そうして気づけば30過ぎて……33年間一度も恋人も出来ず友達は県外に出ていき、同窓会に呼ばれたがテツはいけなかった、この落ちぶれた自分を皆の前に出すのが恥ずかしくてしかたない。
――これが本当に意味のないテツの33年間の人生だ、どこで間違えたんだろう……いや何もしなかった責任だ、結局は全部自己責任、ちくしょう……ちくしょう――
「……ん」
目を開けるとまず痛みで飛び起きる、唇が切れて鼻にはテッシュが詰め込まれ何とも間抜けな姿だった、見上げた天井で事務所とわかり見渡すと誰もいなく電気もついていない、痛みを堪えながらソファーから腰を上げていつも隊員達が集まるテーブルに行くと寝ているニノに毛布をかける男がいた。
「丸さん」
「おぉ気がついたかテツ!! まったく凄い新人が入ったもんだなぁ、まぁ茶でも飲め」
暖かい茶を出す通称丸さん、先輩組の中でも一番年上で面倒見もよく仕事には厳しい一面を持つが理解もあり隊員からの人望も厚い、寝息をたてるニノを肘を立てながら見て茶をすすり大きく息をつく。
「遠藤の奴やりすぎだな~あいつには俺からいっとくわ、まぁさすがに同じ現場は回さないから安心しろ」
「すいません丸さん、教育係の俺の責任です」
「話はだいたい聞いたよ、このお嬢ちゃん可愛い外見に似合わずキツイ事いうねぇ」
テーブルに置いてあった菓子を口に放りこみ両手を頭の後ろに回し大きく後ろに傾く、椅子をギシギシ鳴らしながら丸さんは大きく溜め息を吐いて口を開く、テーブルの上だけ蛍光灯が照らしいつもと違う感じに見える事務所でテツは丸さんの言葉を聞く。
「まぁ夢も希望もねぇわなこの仕事、最初から誘導一本で食ってくつもりで仕事してる奴なんざ俺は見た事ねぇわ」
「ハハッ会社一番の働き者で戦力の丸さんがそんな事言っていいんですか」
「テツよぉ綺麗事は無しにしようぜ、どうせ誰もいねぇんだ……お前もわかるだろ、何年立とうが給料は上がらずついには最低金額まで落ちて今いる隊員なんて俺やお前みたいなのか定年迎えて小遣い稼ぎの爺さん達だぜ?」
交通誘導を20年以上している丸さんの言葉はテツの胸に深く突き刺さる、わかっていた事だが口に出されるとこうも辛いとは思わなかった、テツは無言になり視線を落とすと肩を軽く叩かれ顔を上げると丸さんの憎めないいつもの笑顔がある。
「遠藤の奴は嫌わないでいてくれ、あいつも根は悪い奴じゃねんだが……焦ってんだよあいつも、35で交通誘導してて目標もなく毎日を繰り返す事に、だからまぁ……」
「わかってます、俺からそれとなく仲直りはしてみるつもりです」
「そうか!! いやぁ安心したぁ~事務所で嫌な空気出されるのだけは勘弁だしな、それよりテツ」
憎めない笑顔から悪戯をする子供のような笑顔になり丸さんはニノの毛布をとりテツを近付ける。
「ニノの面倒頼んだぞ~家知ってる奴いなくて困ってんだ、なんならお前の家に泊めてやれ」
「えぇえええ!! ままま丸さん何言ってんすか!!」
「何も手を出せとは言わねぇよ~ただ泊めてやれって言ってんだ……ちなみに明日は二人共休み入れといたからな」
「なんすかその休みは!! はぁ一応は教育係ですしぃ~下心は無いですよ!! そのイヤらしい目はやめてください」
結局家もわからないニノを起こそうとしたが起きる気配はなく、仕方ないとテツは車まで抱えて乗せてエンジンをかけて出発……バックミラー越しに丸さんがグッと親指を立てて眩しいくらいの笑顔で「気合い入れろよ」と叫んでいるのがテツを更に焦らせた。