十
羽を大きく広がり背を反らし大きく溜めていく。親を物心つく前に殺されルーファスという男の下で働いたのは全てこの瞬間のため……何もいらない。少しの幸せも、金も、命さえもフェルには必要ない、ただ魔王の死顔され見れれば。
「ガァアアアアアアア!!」
体内で炎が精製され喉を通り口から復讐の炎が吐き出されていく。魔王は一瞬で煉獄の中に消えうせ周辺の雪、地面、大気までも焦がしていく。
「いくぞニノ!!」
人間一人など一瞬で消し炭になるほどの火力だが魔王はこれでは殺せない。テツの狙い通り炎は割られていく。炎の海に一筋の線を引いたのは魔王。全てを切り裂く野太刀を立て炎を切り裂いていく。
「思い出すぞフェル!! お前の親の炎もこうやって斬ってやったぞ!!」
柄を握る指に火傷が広がっていくが魔王は引かない。逆に前に歩き押し返していく。世にある全てを斬るという野太刀を信じ真っ向から断ち切っていくと炎が弱まる。さすがに息切れしたフェルの咳き込む声が聞こえ笑う。
「さぁどーするテツ!! 頼みの竜は弾切れだぞ!!」
「こーするんだよ!!」
まだ大量の炎の残り火と煙が立ち込める中からテツは突撃していく。相変わらず作戦なんてない。ただ拳が届く距離に近づき殴るのみ。風のように速く、小細工などなくただ正面からいく。
「そんな攻撃が通るかよ!!」
魔王は野太刀で斜めの線を引く――…その線はテツの体に鮮血の線を刻み、申し分ない一太刀が決まる。テツは膝を落とし片足で踏ん張るが足腰に力が入らず……まさにその瞬間全ての力を込めていく。
「俺の取るに足らない……三十三年間の人生よ。少しでいい、一瞬だけでいいんだ、力を出しやがれぇええええ!!」
後ろ足で地面を蹴り抜き前足も加速するように爪先で飛び出す。そこから生み出されたのは低空タックル。雪の上を滑るように飛び野太刀を振り抜いた魔王の下半身を掴む。
「悪足掻きを!! その傷でどーするテツ!!」
「忘れてるのが一人いるぞ魔王」
タックルは決まり魔王と共に空中に身を投げ出したテツが笑う。作戦は単純だった。フェルが炎で魔王の視界を潰しテツが捕まえ最後は――
「ニノォオオオオやっちまえぇえええ!!」
炎と煙の中から刀を突き付けるように飛び出してくる。魔王は野太刀を構えるがテツが下半身を押さえ込み空中という条件化ではまともに武器が振れない。
「――…なんて顔してるんだニノ」
迫りくるニノの顔は今にも泣き出しそうな顔だった。復讐という鬼よりも親に抱きつくような子供の泣き顔で魔王に抱きつくようにニノは重なっていく。
「あぁ~……楽しかったな。こっちにきて戦いまくって愛する女も子供できた、本当に楽しかったな」
刀の切っ先は魔王の皮膚を破り胸骨の隙間に刀身を滑り込ませ心臓を貫く。魔王の戦いに彩られた人生は手塩にかけ育て上げた愛する娘の手によって終わりを告げようとしていた。
「父上……この大馬鹿者め」
刀を勢いよく抜くと魔王は大の字に倒れ命が流れ出すように血潮が下の雪を染め最後を演出していく。空から落ちてくる雪を見上げながら苦しくなってきた息を切らし口を動かす。
「テツ、お前これからどーする? 俺を倒した英雄だぜ」
テツの傷も深く立ち上がる事も出来ず倒れ魔王と二人並んで大の字で空を見上げていく。
「知るかよ糞野郎。それよりくたばる前にニノに謝れ!! お前がした事は親失格なんてもんじゃないぞ」
魔王の足元から砂のように消えていく光景を見ながらテツは言う。消えていく前の最後の役目と魔王は首を持ち上げ娘ニノを見る。下唇を噛み肩を震わすニノを見て誇らしいとさえ思う。
「お前は俺の誇りだニノ。そんな顔をするな……すまなかったなニノ。お前を普通の女の子に育てるには俺では無理だった、お前の才能を見つけてしまってな……さすがは……俺とイリアの……娘だ」
下半身は砂になり消え、胸まで崩壊の砂は進んでいき最後は顔だけになり魔王はニノを見つめたまま最後に笑う。
「悪くない……人生だった」
その言葉を残し魔王は雪平原に吹き荒れる風に乗せられ消滅した。
「どーしましたかニノ」
フェルが顔を覗き込もうとするとニノは背中を向け肩と声を震わす。終わった。テツの旅は全て終わり満足だと空を見上げ自分の番かと思う。
「悪いな二人共~この傷じゃ助かりそうにもない」
相応しい終わり方だった。格好いい物語の主人公にはなれず化け物の似合いの最後だと思いテツが言う。
「テツ!!」
「テツさん!!」
二人の美少女に心配され涙まで目に溜めている光景に笑えてしまう。もうあの牢獄で人生を諦め糞みたいな人生を歩んできた自分には勿体ないくらいの光景だった……もう何も望まない。そう思い目蓋を閉じかけていく。
「ちょっと何悲劇の主人公ぶってるの人間。私と契約したんだから楽に死ねると思わないでよ」
体の中が蛇が這い回るように肉と肉が動き、切られた皮膚と細胞が再生していく。傷の深さからして無理だと思っていたが、お節介な契約主が気をきかせたのだろうか。テツの傷は少しづつ塞がっていく。
「まったく本当に俺達馬が合わないな……パンドラ……うぅ」
情けなくみっともなくテツは泣いた。二人の前で顔を崩し鼻水を垂らし泣いた。魔王を倒した英雄は声を上げ泣き喚いた。泣く理由なんて多すぎてわからない。
人を殺した罪悪感が今更込み上げてきたのか。仲間を守れなかった悔しさ。まだ死ねない苦しみ。全てがテツの涙に変わっていた。