三
夕日が二人を照らす。
「これで最後だなテツ」
「はい」
テツが初めてウィルの家を訪れて一年が調度経過したある日の午後。テツとギンジは向かい合い構える。ギンジと過ごした鍛錬の日々がテツの肉体を変えていき、胸板は厚くなり腕は見違えるほど太くなっていた……一年前のテツより一回り大きくなり戦士の体に生まれ変わっていた。
「いくぞテツ」
ギンジはテツの肉体とは逆に細く衰えていく。頬はこけ、わき腹の骨は浮き出て、あの牢獄の中からテツを導いてきたギンジの面影は消えていた。
「シッ!!」
左ジャブを牽制に突き出すとギンジは合わせて低空タックルで地面を滑る。「上手い!!」威力を気にせず速さ重視の左に呼吸まで合わせたように仕掛けてくるギンジに心の中で呟く。
「まだだ!!」
この半年以上何回もギンジと戦ってきた。癖はわかりタイミングは体が覚えている、潜り込んでくるギンジに膝を合わせ狙いは顔面。当然ギンジもそんな事わかっていたように避ける。
「捕まえたぞテツ!!」
体重を支えてる軸足にギンジに手をかけた瞬間に体が浮く。空振りした膝からさらに足を延ばし爪先でギンジの腹を蹴り抜くと、二人の体格差が出てギンジが飛ぶ。
「ゲ――ケホ!!」
まるで病人を虐待している光景だがテツは一切の手加減をせず、胸を押さえ咳き込むギンジに拳を嵐のように叩きつけていく。フックは骨を砕くようにギンジの体を宙に浮かせ、ストレートは吹き飛ぶように刺さる。
「ガッ!! テツゥ~!!」
視界に写る無表情に淡々と攻撃をするテツを見てギンジは反撃に転じる。待っていたのはとどめ刺しにくる大振りの一撃。拳を何十と貰い続け耐えていると――くる。
「カッ……カハ」
ギンジはわざと後ろに倒れこむように下がり待つ。誘いに乗ったテツが体重を乗せた拳を振り抜いてくるとギンジは腫れて片方の目が見えず、残った目を光らせカウンターの一撃を突き出す。
「ヘヘどうだテツ~驚いたろ~カウンターだぜ……お前は詰めが甘いからなぁ」
テツの顔面に確かにギンジの拳は当たる。タイミングも合い寸分の狂いない角度だったが……ギンジの腕力はもう人を倒せるほど力を残してはいなかった。それを最後にギンジは倒れ大きな息を吐く。
「すまんな。さすがにこれ以上は体が動かんわ」
気付けば夕日は次第に消え微かに暗くなり夜の訪れを知らせるような空だった。傷だらけの体と酷い形になるまで殴られた顔のギンジが空を見上げるとテツも横に座る。
「最初はわけがわからず戦って生き残ってきたが……今ではそれもいい思い出だテツ。結婚までして収入が少なく嫁に見切られ子供をとられた間抜けな男の人生としてはまずまずだな」
テツはもう言葉を出さずに肩を落としたようにギンジの言葉を聞く。
「綺麗な空だなぁ~見ろ俺達のいた世界では見られない星空だぞ!!」
子供のようにはしゃぎ空に向かい指を向け笑うギンジの顔をテツはどうしても見れない。
「……テツよ、すまんな。お前の言う人生面白おかしく変えるのに付き合えってやれなくてな。俺の持っている技術は全部お前にくれてやった後はお前次第だ」
隣に座るギンジは弱弱しく声まで細くなりテツに語りながら顔を落としていく。
「思えば人の人生はマラソンみたいなもんだよな。仕事や恋愛、そーゆ距離を走り続けるマラソンかな……ハハツ少し臭いか? 俺はいい加減走り疲れたのかな――だからこんな……眠いのかねぇ」
テツは膝の間に顔をうずめ何か我慢するように嘆く。息を飲むような星空の下で二人は対照的だった。
「テツ……ごめん……な。お前の夢に付き合ってやれなくて……あぁ……」
もう腕を上げる事すら出来なくなったギンジは人形のように地面に転がる。病気に犯された体でテツを強くするために捧げた男が最後に見た光景は星空――最後の言葉を出しギンジは死ぬ。
「やっぱり……死に……たくねぇな――…っ」
「うぅ!! ギンジさん……っ」
隣で転がる屍となったギンジを拾い上げ抱き寄せるとテツはもう我慢できなくなり吐き出す。
「ひぃぐギンジ……さん!! うぅ――…あぁあああああああ!! マルさん……マル…」
死期が近いとウィルから宣告されたギンジは最後の勝負をテツに挑んだ。テツもそれを理解し一切の手加減なく拳を交え勝てた。その勝利はテツが初めてギンジに勝った勝利……初勝利は涙と嗚咽まみれになってしまう。