一
「ふぁ」
寝る前まで沈んでいた気分はウィルが用意してくれた朝食で少しは晴れた。見た目は雑だが味は確かで食が進み、大きく背伸びし外の空気を吸いに出ると呆然としてしまう。
「よう!! テツおはよう!!」
「ギンジさん何してんすか!!」
砂地の地面の上で上半身裸のギンジが爽やか笑顔で挨拶してくると呆然としてしまう。異世界にきて鍛えられたのか四十代とは思えない筋肉の切れを見るとこれまで殺してきた数を表すようだった。
「何って訓練だ。お前このまま魔王と戦っても勝てないだろ」
「いや寝ててください!!」
「じゃこうしよう。お前が俺に勝てたら寝てやる」
昨日死にそうになっていたギンジがやる気満々で腰を落とすとテツは目を疑う。ウォーミングアップは済ましていたのか汗が浮かび上がっているギンジが飛び出してくる。
両手を開き捕まえると言わんばかりのタックルにテツは反射的に避ける。何度もギンジと戦っているおかげで多少の癖は見抜け構えながら言う。
「馬鹿言ってないで寝てください!! 今の自分の状況わかってます?」
「お前こそわかってるのか? 俺の技術や知識を盗まなきゃ魔王に負けるんだ……ぞ!!」
組むと見せかけタックルにいき開いた手を瞬時に握り大降りのフックを繰り出す。テツはその行動に驚き対処が遅れ顔面に叩き込まれてしまう。背中を地面に擦りながら倒れ鼻血を出しながら悶えていく。
「こんな病人に負けてるようじゃ復讐だっけ? 殺された奴が可哀想だぞテツ~」
わざと挑発するような言葉を並べるとテツは砂だらけになりながら起き上がり、革のシャツを叩き砂を落とす。言葉は無く完全に戦闘モードに切り替えるとギンジは笑う。
「怒ってるんだろ? ほらこいよ。お前に戦い方を教えてやる」
テツが飛び出し一気に間合いを詰めるとギンジに拳を放り込む。しかし鼻先に届くか届かないかの距離で拳は止まりテツの表情が崩れていく。
「ボクシングだけで勝てるほど甘くないぞテツ」
ギンジの踵がテツに膝に刻まれ動きが止まった瞬間にタックルが綺麗に入る。倒されグラウンドの勝負になった瞬間テツは動き回る。教えられた事は攻撃ではなく投げ技、間接の防御方法だけ。まだ実戦するほどに上達もしてない。
「この……もらった!!」
体を捻りギンジを下にし大きく上に上半身を持っていき拳を振り上げた瞬間に体が鎖で繋がれたように固まる。片腕を下から握られ首に足が絡みつく。頚動脈が閉められ目の前がだんだんと暗くなってしまう。
「三角締めだテツ~まずお前は倒されない事を考えないとな」
ギリギリと首を絞める音が耳に響きテツはもがく。動けば動くほど首に深く足が入り意識が薄れていく。
「ふ……ふざけるな!! 俺は必ず魔王を殺――す……こんな技一つすぐに返して」
「無駄だ。一度決まってしまえば外す事なんてできない。お前が寝技の達人だったら話は別だが~よっと」
ギンジが更に力を入れるとテツの目がだんだんと上を向き白目までいった瞬間に体の力が一気に抜ける。腕がダラリと力なく垂れるとギンジは技を解いて息を整える。余裕の表情を見せていたが勝つと呼吸は乱れ地面に座ってしまう。
「まったくよくやるな」
アルコールのビンを煽りながらウィルが壁際で呟くとギンジはようやく息が整い顔を上げる。
「仕方ないだろ教えるの俺しかいないんだからよ」
「しかし魔王に勝てるかのかねぇ~何回か会った事あるが……ありゃ化け物みたいな奴だぞ」
ギンジの心配はそこだった。いくらテツに教えたとしても魔王に通用するのか――話だけ聞くと魔王の扱う技は古武術の一種で近代の格闘技は使ってないように思える。ならば最新の技術をぶつければ勝機はあると思うが不安は消えてはくれない。
「そして何より教えるあんたがその様じゃな。相当辛いだろ?」
「まさかこの歳で老人に心配されるとは思わなかったな~……そうさなぁ~」
ギンジは胡坐をかき曇り空を見上げながら漏らすように言葉を出していく。
「俺もこんな世界にきていろいろ悪さもしたよ。人も殺したし物盗んだりして生き残ってきた、我ながらろくなもんじゃないと思う。どうやらしっぺ返しがきちまったんだろうな」
「言いにくいんだが~お前の病気だが」
「俺のいた時代で言うとおそらく肺ガンって病気だ。煙草ってやつを吸う奴がなりやすい病気でな。治すのは無理と言われててな、それが今の時代だったら尚更無理だろうな」
ウィルは酒を片手にギンジの隣の同じく胡坐をかくとグイって酒のビンを差し出す。
「あんたなぁ~病人にする事かぁ?」
「どうせ治らないなら好きな事しようぜ。酒は飲めるんだろ?」
「ブハハハハハ!! あんた医者かと思ってたが違うらしいな~確かにな。好きな事しなきゃな」
酒を受け取り一気に流し込むように飲むと顔は赤くなりゲップをする。久々の酒だった。闘争の日々で酒の味など忘れてしまっていた事に気付く。いい感じに酔いが回り気分がよくなってくると振り返り気絶するテツを見る。
「好きな事するさ。あの情けないテツを鍛え上げてる事が今は楽しくてしかたねぇ!!」
「あんたも人を見る目ねぇな~よりによってあいつかよ」
「確かになハハハハ!! こんな老人と飲む酒なのにやたら美味いな!!」
ウィルも顔のシワを寄せ笑いながらいつの間にか二人は仲良くなり話も合っていた。ギンジは今までの人生を振り返るように喋りウィルは相槌だけだが、不思議と舌は回ってしまう。
「俺嫁と子供がいたんだが、こんなんだから逃げられてたなぁ~今ど~してっかなぁ」
酔いが更に回り大の字に寝っ転がると雲に喋りかけるように一言一言搾り出していく。
「正直会いてよ!! まぁ会っても親父顔できないけど……一目見てぇな」
「おいおいギンジよぉこんな老人の前で泣きそうな顔で子供の話は勘弁してくれねぇかぁ」
「あ、すまんすまん。駄目だなついついどこかの居酒屋で飲んでる気分だったわ~久々にいい酒飲めたわ」
ヨロヨロ立ち上がり何度か転びそうになりながらウィルの家に戻っていくと一言だけギンジは言う。
「テツを頼むな。こんな馬鹿だけどさ、可哀想な奴なんだよ」
ウィルは背中を微かに揺らし白髪頭の痛んだ髪を叩いて答える。
「あいよ。巻き込んだ張本人だしな、まぁ任せな」