一
「――…ん」
目覚めると空から無数に落ちてくる水滴が頬に当たる。頬を撫でると泥だらけの手に気付き勢いよく起き上がるとそこは泥沼、辺り一面豪雨で緩みきった地面は泥の海のようになっていた。
「……負けたのか」
布切れ一枚で立ち上がると半分以上は破れ、裸同然のニノは豪雨をシャワー変わりに体中の泥を洗い流していく。耳に響くのは雨が皮膚を叩きつける音だけ。濡れて垂れてくる前髪の隙間から果てしなく続く泥の海を見ながら振り返っていく……今までを。
物心ついた頃には武器を握らされ戦い方を徹底的に叩き込まれた。どう効率よく刃を敵に突き刺すか、いかに速く相手より先手をとるか、歳が十になる頃には父や母と刃剥き出しの剣で戦っていた。
「父上、母上。私は貴方達にとっては暇つぶしの玩具というわけですか」
今では親の思惑通り立派な戦士となり、魔王の遊び相手に仕立てられてた事に気付く。敗北しても殺されず、再び戦いにこいと言われるように捨てられてしまう。唯一残されたのは父から譲り受けた刀。
「まったくふざけた親だ……本当に腹が立つな。父上、貴方の思惑に乗ってやる!! 望み通り再び貴方の前に立ち首元に噛みついてやる」
片手に持つ刀を握り閉めると雨の音以外の音が近づいてくる。泥を踏みつける音で振り返ると二人組の男が不思議そうに見てくる。
「ようねぇちゃん、なんて格好してんだ。ズブ濡れじゃねぇか」
腰には立派な剣がぶら下がり軽装だが装備も整っている。見栄えはどこかの国家に所属している戦士に見えるが空気でわかる。傭兵特有の目つき、裸の女を前にし欲望丸出しの口元。ニノはあえて近づいていく。
「見ての通り金も服もなくてな。すまないが何かをわけてくれると助かる」
「そりゃ大変だな。寒いだろこっちきな」
顎を撫でながらニヤニヤと手を伸ばしニノに触れた瞬間に男は悲鳴を上げる暇もなく絶命した。刀を抜くと切っ先を男の喉下に突き刺し、勢いよく引き抜くと顔から地面に倒れ泥の海が赤く染まっていく。
「てめぇ何しやがる!!」
もう一人の男が腰から剣を抜いた瞬間には大きく肩から脇腹まで斜めに斬られていた。男からはニノが消えたように見え気付けば泥の海に沈んでいた。
「ふむ、少し大きいが我慢するか」
死体から装備や服を剥ぎ取り盗賊と大差ない事をするがニノに迷いはない。まずは最低限の金と服を手に入れる事。これさえ出来れば後はどうにでもなる。
「さて……本当に腹が空いた」
腹の虫を鳴らしながら歩き出す。泥のせいで足は倍以上に重く感じながらひたすらに歩く。何時間か歩いたわからなくなるほどに歩くと足腰は悲鳴を上げる。牢獄生活が体をなまらせ体力まで奪ってしまっていた。
「ハァ――ッ!! 腹が空いたぁあああああああ」
空腹と疲労のイライラが爆発し雨だけを降らす憎い空に叫び散らして意味もなく全力で走る。過去を思い出しながら走り抜く。
なぜここまで強くなった。
なぜここまで殺してきた。
なぜここまで……父に勝てない。
「うわぁ」
泥の中に転がっていた石につま先をひっかけ前から再び泥の中に倒れると、薄汚い水の中で父や母、ハンクの顔が頭の中に浮かび上がる。
「やってやる……ここまで私を育てた事を後悔させてやる!!」
叫びとは逆に体中から力が抜け大の字になり空を眺めると微かな匂いがする。嗅いでるだけで食欲がそそられる匂いにニノが体を起こすと遙か先に小さく街を発見し飛び起きる。
「飯だ。飯、飯、飯ぃいいいいいいい」
ニノと魔王の壮大な親子喧嘩は続く。どちらかが死ぬまで続く戦いはまずニノの腹が膨れる事から第二幕が上がっていく。