愛人のもとに向かう夫を送り出した後、妻はなぜ化粧するのか?(筒井筒「伊勢物語」)➁
互いに思い続けた幼馴染同士の結婚。めでたしめでたし、パチパチ。
しかし、まだ物語は続くのでした。
◇「本文」(口語訳)・解説
さて、年ごろ経るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともに言ふかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安の郡に、行き通ふ所出で来にけり。
(そうして、数年が経つうちに、女の親が亡くなり、家計に困るようになると、「このまま一緒に貧乏暮らしができようか、いや、できない」と思って、河内の国の、高安の郡に、通う新しい女ができてしまった。)
当時、特に若い夫婦の家計は妻の実家が持つ習慣があり、妻の親の死去により、夫婦の経済状況が急変してしまった場面。まさに「金の切れ目が縁の切れ目」を地で行く話だが、生活費のあてがなくなったことは、夫にとっても妻にとっても困った状況だった。
ところで、「(このままの状態で)一緒に貧乏暮らしができようか、いや、できない」の部分の男の心情を、次のように解釈することはできないだろうか。
「このままでは妻と共倒れだ。いっそ非常手段としてヒモ生活をしよう。金が無ければ、余裕がある別の女から手に入れればいい」。つまり、男の妻への愛情が無くなったのではなく、単に経済的困窮が悩みの種だった、ということ。
実際、この後彼は、高安の女のだらしなさに呆れ、二度と彼女のもとへは通わなくなる。これはふつう、元の妻の深い愛を再認識したからと説明されるが、たとえ金持ちだからといってたしなみを忘れた女を彼は愛さないからだと考えることも可能だろう。自分だけが愛人と豊かな生活をしたいと考える男ではなかったということ。夫の価値基準は、「金」ではなくあくまでも「愛」にある。
◇なぜ夫は働かないのか
生活費に困るのであれば、働くことが当然だ。それなのに夫も妻もそうしようとはしない。
この一つの解釈として、やはり登場人物たちは貴族階級だからだろう。実業に就くことは頭になく、誰か他の者にすがって生きようという思考回路が働いている。
次の部分は、さらにドロドロしたメロドラマになる。
「さりけれど、このもとの女、あしと思へる気色もなくて、出だしやりければ、男、異心ありてかかるにやあらむと思ひ疑ひて、前栽の中に隠れゐて、河内へ往ぬる顔にて見れば、この女、いとよう化粧じて、うち眺めて、」
(夫が新しい愛人のもとに向かおうとするのに、妻は、ひどいと思う様子もなく、送り出してやったので、男は、浮気心があってこのようなのだろうかと思い疑って、庭の植え込みの中に隠れ、河内へ行ったふりをして妻の様子を見ると、妻は、とてもきれいに化粧をして、物思いにふけり、)
「家政婦は見た」というドラマがあったが、陰険な夫の様子に寒気がする読者は多いだろう。「自分の浮気は棚に上げ、妻の浮気を疑うなんざ、夫の風上にも置けやしねぇ」と成敗されてしまうだろう。
しかも夫は隠れて見ている。妻を罠にかけようとする行為に、邪悪ささえ感じてしまう。「こんな男とは一刻も早く別れた方がいい」と、読者の怒りは最高潮に達する。
だからこそ、この後に続く妻の歌がしみじみ悲しく胸に迫るのだ。夫を徹底的な悪者にしたことで妻の健気さが引き立つという、見事な対比の手法。作者のドラマツルギーの巧みさを感じる。
なおここに、今回の評論のテーマである、「この女、いとよう化粧じて」が登場するが、これについては次回述べる。
「風吹けば 沖つ白波 たつた山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ
と詠みけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内へも行かずなりにけり。」
(風が吹くと沖に白波が立つ、その「たつ」と同じ響きの竜田山を、夜中にあの人は今頃ひとりで越えているのだろうか。
と詠んだのを聞いて、夫はこの上なく愛しいと思って、河内へも行かなくなってしまった。)
この時代、ひとりの男が複数の女性のもとに通うことは社会通念として許容されていた。だから男の行為を不義として断ずることはできない。しかしそのような時代であっても、たとえば「源氏物語」の紫の上を筆頭に、男の来訪を待ちわびる女の悲しみは昔も今も変わらない。
現代であれば、最愛の夫の裏切り・不義に、怒りの炎が燃え盛るところだが、夫をいわば喪失した後、和歌を詠むという代償行為によって、妻はやり切れぬ思いをなんとか昇華させようとする。
その内容がまた読む者の胸を打つ。彼女は夫を責めるのではなく、かえってその無事を祈るのだ。ひどいことをされた相手の幸福を祈る。ほとんど信仰に近い愛。
文学作品なので、彼女の歌には、序詞、掛詞、反語などの技巧が凝らされている。現実の場面だったらありえない余裕だが、そこは指摘すべきではないだろう。
妻の歌を庭の植え込みに隠れて聞いた夫は、「限りなくかなし」と思う。この「かなし」は、漢字をあてると「愛し」であり、自分の心が対象にひかれる様子を表す。一度離れた夫の心が、再び妻に帰った場面。
こうして、妻の深い愛を再認識した夫は、「河内へも行かずなりにけり」となった。
妻の愛の感動・再認識が、愛人への気持ちを冷ましてしまうという設定だが、以前にも述べたとおり、この男の評価基準は「愛」にある。真に生活に困っているのであれば、愛人との関係はうわべだけでも継続する必要があっただろう。彼は、金よりも一筋の愛を取ったのだ。
なお、その場合に現実では、「ところで生活費はどうするのだ」ということになるが、物語なのでそこは問わないでおこう。
◇別系統の物語…妻の嫉妬で器の水が沸騰しちゃいました!
この物語には、別系統がある。夫が愛人のもとに向かった後、妻が金属製の器に水を入れて胸に当てると、それがやがて沸騰し始めたというものだ。こちらはなかなか激しい話だが、本当はそれほど嫉妬の炎が燃えていたというストーリーも面白い。
夫に去られた妻は世をはかなみ、思い出の井戸に身を投げる、というバッドエンドかと思ったら、「雨降って地固まる」だった。恋に波乱はつきものだ。それによってふたりの愛はさらに深まるのだろう。
現代であれば、夫の浮気・裏切りと、妻へのあらぬ懐疑は、断罪されるだろうが。
真に人を思う気持ちは、何ものをも超えるのですね。
◇参考資料
「奈良のむかしばなし」
https://www.pref.nara.jp/koho/kenmindayori/tayori/t2008/tayori2001/naranomukashi2001.htmより
平安時代の歌物語として有名な『伊勢物語』。主人公は、美男の歌人、在原業平とされる。
その業平が、奈良に住んでいたという。今の天理市櫟本町の在原神社あたり。その住居跡に在原氏の氏寺、在原寺が建てられ、明治初年に廃されて在原神社となった。境内にささやかな社殿があり、業平と父の阿保親王(平城天皇の皇子)を祀る。
その昔、業平と紀有常の娘はこのあたりで育った。幼い二人は井筒の井戸に姿を映して遊び、愛を育み、やがて夫婦となった。井筒は、木や石を四角く組んで井戸を囲ったもの。
ところが、恋多き業平は、やがて河内(大阪府)高安の恋人のもとに通い始めた。
それでも、妻は嫉妬もせず、生駒山地を、しかも夜に越える夫の身をひたすら案じた。
ある日、業平が高安に行き、恋人の家をそっとのぞくと、あろうことか、自らしゃもじをもって飯を盛っている。貴族の女性なら考えられないその品のなさに業平は興ざめし、以来、通わなくなった。
業平が住んでいたとされる在原神社(天理市)から河内の高安まで、彼はどんな道を辿ったのか。特定することは難しいが、まずは西へ車を走らせた。
神社から約五分の鉾立(大和郡山市新庄町)。「業平姿見の井戸」と蕪村の句碑がたつ。
伊豆七条から今国府(大和郡山市)へ。安堵町には富雄川にかかる業平橋がある。法隆寺前を通り、藤ノ木古墳南の道を進み、竜田川(斑鳩町)を渡る。福貴畑、杵築神社をへて、十三峠(平群町)へ。峠を越えると、大阪府八尾市だ。高安も近い。
在原神社から高安まで、ほぼ舗装道路が続くが、斑鳩町の一部に田の畦道もある。ざっと三十五キロ。かつて、業平が馬で通ったとしても、山越えの道はあまりに遠く、ことに夜は危険すぎる。男が恋に生きるのも楽ではなさそうだ。