愛人のもとに向かう夫を送り出した後、なぜ妻は美しく化粧するのか?(筒井筒「伊勢物語」)①
◇「本文」(口語訳)・解説
「昔、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ」。
(昔、田舎で暮らしていた人の子どもたちが、(まだ幼かったので男女関係なく無邪気に)井戸のそばで遊んでいたのを、大人になったので、男も女も互いに恥ずかしがっていたけれど、男はこの女と結婚したいと思う。)
「子ども」の純真無垢で性を越えた交流の様子と、「大人」・成人後の、社会的制約による近づき難い様子。「源氏物語」では、光源氏が成人した瞬間に、断固として自分のそばに近づくことを許さない藤壺の様子が描かれる。成人後、男の子は一人前の大人と認められた。女の子は人前に姿をさらすことを忌んだ。大人の男に自分の実体が「見」られるのは、結婚の時だ。
そこにはもちろん、性別を意識する思春期特有の心理もある。前は無邪気に遊べたのに、今それを阻む力が働くのはどうしてなのかという疑問。相手に近づきたい強い衝動と、それを自制する葛藤。自己矛盾が、自らの心の内に渦巻く。ましてやこの男は結婚まで強く意識している。
「女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども、聞かでなむありける。」
(女はこの男と結婚したいと思っていたので、親が他の男と結婚させようとするが、言うことを聞かなかった。)
「男は」と言い、「女は」と言う表現は、男と女それぞれの独立性を強く感じさせる。現代語であれば、ここは、「女も」となるだろう。女は男に従うものだという価値観を外れたものを感じる。だからこの女は、親の結婚話にも従わないのだ。精神力に自立する女。親には従うものだという価値観からも、この女は外れている。この女はただの女ではない。独立自尊の女。
もちろん「~は…。~は…。」という語りの形式が古文にはあり、ここもそれに倣ったものではあるが、現代語の感覚で読むと、先ほどのように感じられる。
「さて、この隣の男のもとより、かくなむ、」
(そうこうしていると、この隣に住む男から、このようなラブレターが届いた。)
物語が展開する。「さて」には、男の強い葛藤や、社会と心の障壁を乗り越え、いよいよ女との結婚に向かって踏み出す様子が表れる。
「筒井筒 井筒にかけし まろが丈 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」
(あなたと一緒に井戸枠と背比べをした私の背丈は、井戸枠の高さを越えたようだよ。あなたに会わないうちに)
当時の「見る」には「結婚する」意味があり、「ずっとあなたと結婚したいと思っていたけれど結婚できないうちに」という意味を、「妹見ざるまに」は含んでいる。女への強い愛を表す歌。
「昔はあんなに無邪気に遊んだのに、今はあなたに近づくことをおさえる謎の力がある。この心のモヤモヤを早く晴らしたい。もう私は、この思いを隠さない。私と結婚しよう。」
一刻も早く結婚したいという強い思いを、「背丈が伸び、自分も一人前の大人になった」と、たとえを用いてさりげなく表現する男。
※地方に住むこの男女は、一般庶民ではない。このような歌のやり取りができる貴族階級の人だ。
「女、返し、
比べ来し 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰か上ぐべき」
(女からの返事。
あなたと比べ合った私の振り分け髪も、もう肩よりも長く伸びました。あなたのためでなかったら、いったい誰のために髪上げをしましょうか。いや、成人式は、あなたのために行います)
「君ならずして 誰か上ぐべき」にも、この女の強さを感じる。「君ならずして」だけでも十分に意志は強調されている上に、さらに「誰か上ぐべき」という反語が用いられる。だから彼女は、ただ男からのアプローチを待つ女ではない。「ホント、遅いんだから! 待ちくたびれたわ! 結婚しようって何で早く言って来なかったの?」という意味の歌だ。
この歌は、「背が伸びた」→「大人になった」→「結婚しよう」という男の論理を踏まえ、私も「髪が伸びた」→「大人になった」→「結婚をお受けします」と上手に返歌したと解釈されている。女は、機知に富み、しかも相手への愛を慎み深く表現したおしとやかな女性のイメージがあるだろう。
しかし、実際は違う。女の歌は、その愛の強さと同時に、意志の強さも表している。「自分」を持っている女なのだ。和歌の教養においても、相手の男と対等にやりあっている。教養と、良い意味でのプライドの高さ・自尊心を持つ女。
※「髪上げ」は、当時の女性の成人式。
「など言ひ言ひて、つひに本意のごとくあひにけり。」
(などと言い交わして、やっと、ずっと抱いていた願いをかなえて結婚した。)
男が愛を「言ひ」、これに対して女も愛を「言ひ」という対等性。これまでの流れから、「つひに本意のごとくあひにけり」には、特に女の強い意志が感じられる。この「本意」は、女の「本意」だ。
◇井戸端という場所
「井のもとに出でて遊びけるを」の部分を読むといつも、その危険性を感じる。「井戸端会議」という言葉もあり、井戸端は女性の社交の場であるとともに、その女性たちと一緒にいる子どもたちにとっても、よい遊び場だったのだろう。
しかし一歩間違えば井戸に落ちて亡くなる恐れもある危険な場所だ。
そのような場所で一緒に遊んだ幼なじみ。家は隣同士なのに、最近はなぜか疎遠な関係。互いに意識する思春期。今でもよくある恋のパターンだ。
求婚が比喩を用いて手紙に認められるという慎み深さ・趣深さの反面、そこには特に女の強い愛が込められていた。